連載:道玄坂上ミステリ監視塔 書評家たちが選ぶ、2024年8月のベスト国内ミステリ小説
若林踏の一冊:白井智之『ぼくは化け物きみは怪物』(光文社)
五つの本格謎解き小説を収めた中短編集だが、何をおいても読むべきなのは書き下ろしの中編「天使と怪物」だろう。謎解きミステリが持つ構造的な弱点を踏まえた上でそれを逆手に取り、見たことのないような推理の曲芸を生み出してしまう白井の手際はいつもながらお見事である。全ての謎が解かれた後に訪れる余韻もたいへんに素晴らしく、謎解き以外の部分でも良い物語を読んだという充実感を与えてくれる小説になっているのだ。グロテスクな描写があって白井作品はちょっと苦手、と思っている読者こそ、色々な意味でひっくり返るはず。
藤田香織の一冊:小林由香『魔者』(幻冬舎)
週刊誌記者として働く柊二は、社に送られてきた新刊小説を読み、激しく動揺する。そこにはひた隠しにしてきた自分過去が記されていた。兄が犯したリンチ殺人事件。相次いで失踪した両親。加害者家族となった姉の死。他人の秘密を暴くことを仕事にしている主人公が、覆面作家の正体を探り、自分の過去にまつわる真相を追及する構成が効いている。明かされていく「事実」を読みながら、どこまでが悪意でどこからは罪なのか、「魔者」とは誰を指すのか考え続けた。デビュー作の『ジャッジメント』からずっと、小林由香には揺さぶられっぱなしなのですよ。
杉江松恋の一冊:奥泉光『虚史のリズム』(集英社)
このテラ・ノヴェルをきちんと読めているのか自信がないのだが、無類におもしろいことだけは確かなのでお薦めしておきたい。占領期の日本が舞台で、怪文書捜索と老夫婦殺害事件の謎を追うことになったにわか探偵の行き当たりばったりな活動が引き綱となって地下深くに沈む巨大なものが浮上してくる。途中で明かされる趣向は純粋なミステリーだけを求める読者にはなんじゃこりゃあと柴田純的動転をもたらすことと思うが、そういう大仕掛けが少しも不自然ではない奥深さがある小説なのだ。私は読むのに10日間かかった。長時間楽しめます。
奇才の短篇集と特殊設定で注目された作家の新機軸作品に複数票が入りましたが、その他はばらばら。いよいよもってこの国のミステリーシーンは豊穣さを増した気がします。さあ、9月もたぶんとんでもないことになりますよ。どうぞお楽しみに。