新型コロナ、東京五輪、分断国家……ミステリは近年の社会をどう映し出した? ミステリ評論家・千街晶之インタビュー

ミステリ評論家・千街晶之インタビュー

 新型コロナ、東京五輪、分断国家、政治腐敗、失われた三十年、ポリティカル・コレクトネスと多様性、統一教会と安倍元首相暗殺……。千街晶之著『ミステリから見た「二〇二○年」』(光文社)は、三百作以上の作品を通して、ミステリ評論家が近年の社会の現実を論じた内容だ。帯の文章に「戦う評論家が、忖度なしで」とある通り、その筆致は鋭い。(円堂都司昭/8月8日取材・構成)

自分のミステリ評論は隙間産業であるという姿勢

ミステリから見た「二〇二○年」
千街晶之『ミステリから見た「二〇二○年」』(光文社)

――千街さんはミステリというジャンル専門の評論家として、著書ではこれまで小説や映像のガイドを執筆するほか、『怪奇幻想ミステリ150選 ロジカル・ナイトメア』(2002年)、『幻視者のリアル 幻想ミステリの世界観』(2011年)など幻想ミステリを論じることが多い印象がありました。日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をW受賞した『水面の星座 水底の宝石 ミステリの変容をふりかえる』(2003年)など、タイトルからしてそうした嗜好性が反映されていたと思います。一方、今回の『ミステリから見た「二〇二○年」』は、ミステリがコロナ禍以降の現実とどう切り結んだかが論じられ、社会的事実に関する記述も多い。この変化の理由は。

千街:自分のなかでスタンスが変わったところと変わっていないところがありまして、変わっていないのは、自分のミステリ評論は隙間産業であるという姿勢です。今までも幻想ミステリのブックガイドとか、誰も作ったことがないものを作りましょうみたいな感じでずっとやってきた。原作とその映像化を対比したミステリ評論は今までなかったな、ならば自分でと『原作と映像の交叉光線(クロスライト) ミステリ映像の現在形』(2014年)、『ミステリ映像の最前線 原作と映像の交叉光線』(2023年)を書いたりとか。

 その種の発想で一番わかりやすいのが、松本清張など社会派が隆盛だった頃に発表された本格ミステリを再評価した『本格ミステリ・フラッシュバック』(2008年)、今世紀になって本格ミステリの映像にどんな例があったかをふり返った『21世紀本格ミステリ映像大全』(2018年)といった共著の路線でしょうね。常に自分は隙間を目指す。他人と同じことをやりたくないんでしょうね。ミステリ評論でみんなが後期クイーン的問題にとり組んでいると、そちらに飛びつく気にならなくて、もっとニッチな隙間をみつけて食いついていく。

 だから、今回の『ミステリから見た「二〇二〇年」』も、最初は、コロナや東京五輪を反映したミステリがいろいろ出てきているな、論じた人がいないならやってみましょうという感じで、隙間産業的発想自体は変わっていないんです。

 ただ、円堂さんがおっしゃったように大きく変わったところもあります。外部の社会とあまり接続しない閉じたミステリ評論の方面は『水面の星座 水底の宝石』で、その時点での自分にできる限りのことをやったと思いました。その後、どうしようかと考えた時、次へとむかうきっかけが二つあった。一つは2005年末からの「容疑者X論争」です。

 東野圭吾『容疑者Xの献身』を笠井潔さんや二階堂黎人さんが本格ミステリの観点から批判し、彼らの主張に多くの批評家や作家が反論するなどして大騒動になりました。私が笠井さんの主張に反論する時、それなりの理論武装をしなければならず、いろいろ勉強した。それが一つのきっかけになっています。

 もう一つは、2011年の3・11の東日本大震災。ただし、3・11の直接的影響というのとは違って、その頃に東京創元社の雑誌「ミステリーズ!」(2021年休刊。後継誌は「紙魚の手帖」)に原作の小説やマンガとその映像化を対比して論じる『原作と映像の交叉光線』を連載していたんです。2014年に書籍化する際、書下ろしでアニメ『UN-GO』を論じた章を追加しました。坂口安吾が戦後間もなくに、明治初期を舞台にして発表した連作『明治開化 安吾捕物帖』を、近未来に舞台を移してアニメ化したものです。

 近未来を描きつつ2011年当時の世相を反映させたアニメだったんですが、原作の勝海舟にあたる海勝麟六というメディア王が、ラスボスみたいな形で登場します。3・11後に流行したような非科学的な陰謀論を批判しつつ、自分も陰謀の主体であるような、二面性のある複雑なキャラクターですけども、そのモデルについて脚本の會川昇さんがインタビューで「きれいなナベツネ」といういい方をしていました。確かに渡邉恒雄を意識したようなキャラクターですけど、3・11の原発事故などとの関連で考えると、ナベツネ以前に読売グループの総帥で初代科学技術庁長官などをやって日本のエネルギー政策を牽引した正力松太郎という人物がいた。海勝麟六は、正力松太郎を意識したキャラクターなんじゃないかと、その時に思ったんです。

 論じるうえでそのあたりの戦後の保守政治やエネルギー政策の歴史を調べたんですけど、その後、2013年に2回目の東京オリンピック開催が決まり、翌年に『ロング・グッドバイ』という浅野忠信主演のドラマがNHKで放送されました。レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』を戦後の日本を舞台に翻案してドラマ化したものですが、原作に登場する大富豪ハーラン・ポッターにあたる役を柄本明が演じていて、明らかに正力松太郎がモデルになっていました。そこで『UN-GO』とつながるところがあったし、そのあたりからいろいろ意識するようになった気がします。

 今回の本では、最後の章で安倍晋三元首相暗殺事件をとりあげていて、安倍という政治家を論ずるには祖父の岸信介や、その盟友だった正力松太郎までさかのぼって考えなければならなかったわけです。だから、今考えると『UN-GO』を論じたことも、今回の本を書くきっかけの一つだったかなと思います。

千街晶之
千街晶之氏

――本のあとがきによれば、2021年に千街さんが入院した時、この企画を考えたそうですが、入院して考えたというよりは、以前からモヤモヤしたものがあったわけですね。

千街:そうですね。病院で手術が終わった後、休んでりゃいいのにいろいろ企画を考えて、ちょうど入院中に繰り広げられていた東京五輪とか、その頃に第5波がきていた新型コロナとミステリの関係をまとめた企画の方向が固まりました。退院してからこんな企画はどうですかといくつかの版元に持ちこんで、最終的に光文社に拾ってもらいました。

――入院はどれくらいの期間だったんですか。

千街:12、3日だったと思います。あそこまで外に出られないものだとは思わなくて、病院内だったら売店とか行けるかなと思ったら、コロナ禍ゆえに病室の6階から出られない制限があったんです。退院するまでのリハビリで少し階段を上り下りするくらいしかできない。隔絶され、すごい静かではあって、なのに外では東京五輪で大騒ぎという不思議な感覚がありました。

――光文社からはコロナや五輪以外の話題も盛りこんだらどうかといわれ、それで企画が通ったそうですが、提案を聞いた時はどうでしたか。

千街:できるのかなと思いました。そのへんをやり出すとすごく大きなテーマになるわけで、無茶ぶりされた感じが正直ありました。とりあえず第一章のコロナと第二章の東京五輪を書いて、第一章と第二章といっても連載でいえば五回分でしたから、その間に時間を稼ぐ感じでいろいろ考えて、ある段階でふだんから自分がモヤモヤ考えていることを書いていけばいいじゃないかと腹をくくった感じです。安倍元首相が暗殺されたのが、第二章を書く途中でしたが、その段階で連載をどう締めくくるかのアイデアはなかった。最後をどうすればいいだろうと悩み続けましたが、第六章まで書いて読み返したら全部の章に安倍晋三の名前が出てきた。安倍と関連して麻生太郎や統一教会を扱ったミステリを思い返すとけっこうある。そのへんを書けば最後をきれいに締めくくれるんじゃないかと考えました。

――コロナと東京五輪をテーマにで考えた時には、連載ではなく1冊を書下ろすつもりだったんですか。

千街:そうです。イメージとしては新書みたいなものを想定していました。

――実際には、光文社の電子雑誌「ジャーロ」に連載されてから書籍化される形になりましたが、執筆中にはいろいろなことが起こり、状況が変わっていったでしょう。あつかうのが大変だった話題はなんですか。

千街:情報量の点では第1章のコロナが拾わなければいけないトピックが多くて、その意味で大変でした。第六章の表現の自由とポリティカル・コレクトネスに関する部分、第七章の統一教会関連などは、テーマがテーマなのでかなり慎重に書いたつもりです。

――連載中に起きた予想外の出来事といえば安倍暗殺があり、ウクライナでの戦争もそうですよね。パレスチナでの戦争は……。

千街:連載が終わった後ですね。第三章の最後の方で、「世界平和の維持に責任を負うべき国連安全保障理事会は機能不全状態で、もはや新たな枠組を作るしかない」と書きました。連載時点では、常任理事国のロシアがウクライナに侵攻したことを念頭に書いたんです。ところが、書籍化の段階では、ハマスとの戦闘の件でアメリカがイスラエル側にべったりつく姿勢が露わになっていた。ちょうど今は、長崎の件が話題になっていますけど(長崎に原爆が投下された8月9日の平和祈念式典に長崎市がイスラエル駐日大使を招待しなかったことを受け、原爆を落としたアメリカを含めイスラエル側に立つ欧米主要6カ国の駐日大使が参加しなかったことが物議を醸した。インタビューはその前日に行われた)。

――状況変化に応じて単行本化で加筆したところは。

千街:けっこうありますね。特に第一章と第七章がそうかもしれません。コロナに関してはどんどん状況が変わったし、どこかで切らないと本にできません。なので、連載終了後に初校が出た時点でコロナについては区切りをつけました。また、第七章は統一教会との関係や派閥についてなど自民党をめぐる問題が次々に浮き彫りになり、また書き足さなきゃいけないのか、いい加減にしろよと思いながら加筆した記憶があります。

――これまでの千街さんの本とはだいぶ色あいが違う本になりましたけど、書きあげてみてどうですか。

千街:今の自分にやれることはやりました。あとは、それを踏まえて議論してくれる人がいればいいなという感じです。

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