『呪術廻戦』最終巻で虎杖がたどり着いた境地とは……“王道じゃない”少年マンガならではの感動

※本稿は『呪術廻戦』最終巻までのネタバレを含みます。

  12月25日に発売された29巻と30巻をもって、ついに完結を迎えた芥見下々のマンガ『呪術廻戦』。その人気はまさに社会現象クラスであり、今後も国内外で長く語り継がれる作品になることは間違いないだろう。

  では、なぜそれほどまでに多くの人の心が動かされたのだろうか。本稿では同作の展開が「少年マンガらしくない」としばしば指摘されることに注目し、“邪道”な作風について分析していきたい。

  あらためて『週刊少年ジャンプ』(集英社)での連載を振り返ると、そもそも同作は最初からヒット作のレールに乗っていたわけではない。芥見が2021年に『漫道コバヤシ』(フジテレビONE)に出演した際の発言によると、第3話、第4話あたりまで読者アンケートの結果は振るっていなかったという。

  そこで序盤の山場として突入したのが、第6話から始まる「呪胎戴天」だ。同エピソードは虎杖悠仁と伏黒恵、釘崎野薔薇が呪胎の出現した少年院に向かう話だが、3人のうち1人が落命することがあらかじめナレーションで明かされていた。そして実際にそこでは特級呪霊の出現による壮絶な敗北と、虎杖の死という衝撃的な展開が描かれることになった。

  さらに若干のインターバルを挟み、3巻では吉野順平との出会いと別れを描く「幼魚と逆罰」が始まる。こうして読者の心を抉るようなショッキングな話が次々と展開するなかで、『呪術廻戦』は着実に評価を高めていった。すなわち人気に火が付いた一因として、「メインキャラですらいとも簡単に死亡する」という容赦のない作風が大きく作用したと言えるのではないだろうか。

  ここで連載当時の空気を振り返っておくと、『呪術廻戦』はほぼ同時期に連載されていた藤本タツキの『チェンソーマン』と共に、「少年マンガの王道から外れた作品」として語られることが多かった印象だ。いずれの作品も表面的なゴア描写だけでなく、友情や努力などの精神論ではどうにもならない残酷な現実を剥き出しにする点が共通していた。だからこそこの2つの作品は、普段少年マンガを読まない層にもリーチし、大きな話題を呼んだのかもしれない。

  また『呪術廻戦』の“少年マンガらしくない要素”というと、主人公の扱いもかなり特殊だ。虎杖は物語の冒頭、病床にある祖父から「オマエは強いから 人を助けろ」という遺言を授けられる。そこから宿儺の受肉というイレギュラーな出来事を経て、呪術高専に入学することは知っての通りだ。

  “王道”をいくマンガであれば、呪術師となった虎杖が着実に実力を身に付け、より多くの人を守れるようになっていく……という展開になりそうなところだが、現実はそうならない。虎杖はどれだけ成長しても、周囲で巻き起こる惨劇を未然に防ぐことはできないのだ。何度も何度も守りたかった命を取りこぼし、そのたびに痛烈な無力感に駆られてしまう。

  また、そもそも虎杖の成長描写自体が分かりにくい。「渋谷事変」の脹相戦における敗北が象徴的だが、主人公の割には戦績があまり芳しくない。そして呪術師をめぐる物語であるにもかかわらず、ド派手な必殺技を習得していくこともない。例外的に「黒閃」の習得は明確な成長描写だったが、それも虎杖だけの固有能力ではなく、一種の技術というべきものだった。

  かくして虎杖は十分に成長できず、大切な人を守れないという意味で、「主人公になり損ねているキャラクター」だった。だからこそ、作中終盤で描かれた虎杖の覚醒は大きな感動をもたらすものだったと言えるだろう。

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