杉江松恋の新鋭作家ハンティング まずい食事の連作短編集、オルタナ旧市街『お口に合いませんでした』
なんだこれ。こんな小説、どこに隠してあったんだ。
そう思った。もちろん存在に気づかなったのは私の不勉強が悪い。オルタナ旧市街『お口に合いませんでした』(太田出版)を教えてくれたのは、YouTubeで「エンタメ丼」という書評番組を一緒にやっている松井ゆかりさんである。番組で紹介しているのが非常におもしろそうなので収録後すぐに買ってみた。すぐ読んだ。やはりおもしろかった。なんだこれ。
不味小説である。美味な食事を扱った小説は世に溢れている。漫画ではそれが一ジャンルを成しているほどで、テレビをつければ一週間に一本はそれを原作としたドラマがやっている。だが、まずいものを食ってしまった人が出てくるものというのはない。『お口に合いませんでした』はそういう連作短篇集なのである。
まずい、と言っても単に味が悪いとか食品が腐っているとか、そういう料理だけに還元される問題ではない。食は命をつなぐものだから、それを口にする人の状態に深く関係するのだ。心と体の状況次第で、同じものを食べても受け止め方は異なる。もちろん好みの問題もある。好みとは持って生まれた体質以外に、その人が経由してきた文化によって作られるものでもある。心と体である。
第一話の題名、「ゴースト・レストラン」はフードデリバリー全盛の現在ではすでによく知られた言葉だろう。ネット上などに専門店の看板を掲げて営業しているが、実際には一つの厨房でいくつもの分野が違う料理を作って配達している。そういう実態のない料理店のことを言う。単身向けマンションに住む語り手は、具だくさん自慢のお野菜スープ専門を標榜する店に野菜とソーセージの入ったホワイトシチュー&パンセットを頼む。風邪を引いたのでデリバリーを頼んでみようと思ったのだ。しかし届いたものは「冷えて固まった油のような、あるいは古びた冷凍庫の奥底のような匂い」がする代物で、すべて食べることは諦めてシンクに流してしまう。ここで、食べたいのに食べられないもの、の描写が延々と続けられるのがいい。被虐的な喜悦さえ込み上げてくる。嫌なこと、生を刺激する言葉を聞かされるのは、実は気持ちがいいのである。
ところがこのホワイトシチュー、「終末にはうってつけの食事」の語り手にとってはたまらないご馳走で、週に二回はデリバリーを頼むというのである。「ゴースト・レストラン」の主人公がしつこいと忌避したホワイトソース、屑のような切れ端しか入っていないと詰った具もこの語り手にとっては「ちょっと豚骨スープにも近いような濃厚さがおいしい」のだし「野菜は細かく刻まれて溶け込んでいて、消化にもよさそう」なのだ。体質、そして文化なのである。もっともこの語り手はバイト先であることを失敗し、後輩から「味覚おかしいっすよ」と呆れられてもいるので、少し心配になるのだが。
各話で語り手の料理に関する好みと、その生活のありようとが語られていく。不味なものについては、それを提供したり気にせず賞賛したりする人の傲慢さ、あるいは欠落が匂わされるような書き方になっており、人物像に対する辛辣な批判になっている。「町でいちばんのうどん屋」を読みながら私は悲鳴を上げた。私はうどんが好きで、それも讃岐ではなく福岡のやわやわの麺が好きなのである。だが、この話に出てくるうどんは食う気になれない。しかもものすごい量で「おそろしいことに食っても食っても漆黒のつゆの奥底から麺と油にまみれたカスが出てくる。ほとんど生ゴミに近かった」というのである。この凄まじきうどんを、語り手が訪ねた取引先の営業部長はうまいうまいと食べる。ああ、この取引はうまく行かないのだろうな、と思った。そんなものを食って普通の顔をしている人間とちゃんと付き合えるものだろうか。
不味なものに対して、というよりそれを成立させている人間のほうに本作の辛辣さは向けられているのでる。最も笑ったのは「Girl Meats BIy」で、痩身エステで働く語り手は出会いを求めてマッチングアプリを使っている。常連客の桜木さんとはマッチングアプリ仲間で情報交換をしている間柄だ。いわく「肉寿司チョイスの男性はちょっと危険」ということで意見は一致する。知らなかった。というか肉寿司の店に入ったことがない。肉寿司派の男性読者には衝撃的かもしれないが、一部引用する。
——初対面の異性との食事で肉寿司。しかもリッチな焼肉の箸休め的なに崩しではなく、看板メニューに肉寿司を据えた居酒屋みたいな店を選ぶ男というのは、全然趣味に合わないブランドのネックレスをプレゼントしてくる男とか、一円単位で割り勘を要求してくる男とかとほぼ同種の危険な存在である。
そうだったのか。行ったことないけど、肉寿司。語り手はこのあと、中学校の同窓会でその肉寿司居酒屋に行ってしまうことになる。食べログのURLには「完全個室創作和食バル★肉寿司食べ放題! 三時間飲み放題付き二九八〇円」なる文字が躍る。こんなに不安を催させる単語だけで構成されていて、感心するほどだ。案の定語り手はうんざりするような目に合うのだが、単なるどたばたで終わらず、ものを食べなければ生きていけないという人間の滑稽さ、ふと我に返ればひとりでいるという孤独感に物語の印象を収斂させ、肉寿司とはまったく違うほろ苦い味を残して話は幕を下ろす。最後に転調するあたりがこの書き手のずるいところなのである。上手いと思う。