杉江松恋の新鋭作家ハンティング ボディビルディング×ミステリー小説『フェイク・マッスル』のユーモア
大峰が薬物を使用している証拠を掴もうとして、彼の尿を手に入れる手段を考えるくだりなど、くすくす笑わずには読めない箇所だろう。このユーモアが第二の読みどころだ。江戸川乱歩賞はどちらかというと真面目な新人賞で、笑える作品が受賞したことがほとんどない。70年近い歴史の中で、これはユーモアミステリーだ、と言える作品は五指にも満たないのではないだろうか。選評を読むと日野が過去に同賞へ応募した作品はユーモアを感じさせるものではなかったらしい。つまり、本作では自然にその要素が生じてきたということだ。ユーモアのセンスが滲み出るというのは、創作者として洗練された証拠だ。最初に書いた安心して読める感じというのはこれで、特にふざけているわけでもないのにずっと面白い雰囲気が続くというのは頼もしいことだと思う。才能ある書き手、と言って差し支えないだろう。
もちろんミステリーとしての構造もおろそかにはしておらず、ちゃんと論理的に話は進んでいく。最初に挙げた不可能状況の謎解きも、なるほどという解答が与えられる。松村はきちんと段階を経て真相に到達するし、リアリティを無視したご都合主義の展開、偶然の要素に頼ったり、キャラクターが不自然な行動をとることで話が動いたり、ということもない。唯一注文を付けるとすれば、松村がほとんど失敗をしないことか。いくらなんでも初心者にそれは無理だろう、という場面が二ヶ所ある。そこで失敗して主人公が慌てることでさらに笑いが生まれるはずなのである。選考委員の東野圭吾が「この手のエンタテインメント作品は、これでもかというほど粘っこく、しかも続けざまにネタを投入していく必要がある」と指摘している点に同意する。応募作では分量上限もあっただろうから、これからの課題としてもらいたい。
今回の乱歩賞は、節目の年ということで選考委員も豪華であった。綾辻行人、有栖川有栖、真保裕一、辻村深月、貫井徳郎、東野圭吾、湊かなえという面々が選考に臨み、大多数の賛同を得てこの作品が受賞したのである。祝福されたデビュー作だ。その期待に応えてくれることを切に望む。さらに密度の高いエンタテインメントを。
■書籍情報
『フェイク・マッスル』
著者:日野 瑛太郎
価格:1980円
発売日:2024年8月21日
出版社:講談社