杉江松恋の新鋭作家ハンティング 斎堂琴湖『桜葬』の複雑化・多重化する技法

ばらばらのものが寄り集まって一つの形を作る快感がある。
斎堂琴湖『桜葬』(光文社)は、長篇『燃える氷華』で第27回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞してデビューした作者の第二長編だ。主人公の氷室湊は、感情の動きをほとんど示さないことから「氷」と呼ばれることもある人物である。
初めに、短いプロローグが置かれている。新型コロナウイルス禍がようやく一段落しつつあった2023年3月12日、埼玉県の武蔵浦和駅が舞台となる。埼京線下りのプラットフォームに奇妙な動きをする一人の男が現われた。彼はスーツケースからビニール袋を取り出すと、中のものを線路に次々投げ込んでいく。周囲の人間たちがざわめき始めたのは、男が投げていたのがバラバラにされた人体だったからだ。すべてを終えた男は騒ぎ立てる群衆を後目に武蔵野線のプラットフォームまで移動し、やって来た列車の前に身を投げる。
一連の動きが身を投げた男自身、〈私〉の視点から記述されるのである。後に手記を残すことができない死者の、意識の流れで綴られた文章が終盤ならいざ知らず、序盤に置かれるのはあまりいい手法ではないと私は思う。誰がそれを残したかが気になって読者の手を止めることもあると思うからだ。だが、衝撃を与えることを優先したと思われる作者の意図を尊重して、ここでは措くことにする。この死体遺棄、及び投身自殺事件の捜査に、埼玉県警本部捜査一課に属する氷室が関わるのである。
プロローグを除く本文は三部構成になっている。第一部と第三部は短く、起承転結の承と転に当たる第二部が捜査活動を描く本体である。第三部はそれまでの動きを集約した結であり、後で述べるように非常に動きが早い。第一部では、プロローグで描かれた事件より3年前の出来事が描かれる。
第一部ではまだ、氷室は県警本部に異動しておらず所轄の浦和署刑事課に属している。その日、未明に起きた事件を処理するために氷室は武蔵浦和駅東口にいた。そこに捜査一係から無線が入る。大宮の鉄道警察に爆破予告が入ったというのである。その日の午後三時までに浦和と名のつく駅のどこかを爆破するというものだ。
ええっ、それは大変だ、と思った方は埼玉県民だろう。何しろ該当する駅は、武蔵浦和の他に浦和、北浦和、南浦和、中浦和、西浦和、東浦和、浦和美園と計八つもあるのだ。警戒警備のためには非常に多くの人員を回さなければならなくなるので、絶対に真似をしないように。
武蔵浦和駅近辺で氷室は怪しい動きをする人物を発見し、追跡して逮捕する。男は大友渉という名で、一週間前にさいたま市役所に爆破予告の電話を掛けた張本人だった。しかし浦和駅爆破の予告電話の犯人とは声紋で別人だと判断された。このとき、駅前のタワーマンション一階にあるカフェで火災が起き、女性店員が一人逃げ遅れて焼死していた。
時系列順に並べると、市役所爆破予告、駅爆破予告、店舗火災がそれぞれ別個に起きていたわけだ。ここから3年後に、前述した死体遺棄及び自殺事件が起きる。
情報が交通渋滞を起こさないように、あえて整理した形で紹介してみた。前作『燃える氷華』もそうだったのだが、斎堂は複数の時制をまたいで事件を描くことを好むようで、過去と現在で何が起きているかの情報が過多気味になる。その圧倒される感じが読み味なのだが、あらすじとして書くと混乱を招きかねないのである。
実際に小説を読むときには、わからなくなることはなくてすらすらページをめくっていけるのでご安心を。氷室湊という三人称一視点の主人公が上手く機能しているからである。彼が何を見ており何を記憶しているかという要素が、ともすれば氾濫しがちな情報をまとめあげる枠のような働きをしている。かき揚げを作るのは素人には難しく、油に投入した具材がばらばらになってしまいかねない。職人はおたまを使ってそれを一つに成型していくのである。氷室はそのおたまだ。
この小説には浦和署の警察官で元氷室の恋人であった住吉奈都、同じく氷室の先輩だった滝坂有砂をはじめ、多くの警察官が登場する。だが混乱した印象がないのは、最低限の書き分けができているからだ。人間に関心がないという特殊な性格の氷室は別格だが、それぞれにわかりやすいキャラクターが与えられている。人物を判別する標識のように見える彼らの個性は、実はプロットの中で重要な意味を持っていることが第三部で判明する。
前述したように、第二部が最も長い。バラバラにされた死体と、それを所持していた人物の素性がまず突き止められ、それぞれの人間関係が少しずつ詳らかにされていく。ちょっとだけ書いてしまうと、犠牲者と犯人の間につながりが見えないのが前半の謎で、「なぜwhay」の関心が物語を牽引していくことになる。
こうした種類の謎は構造的に脆いことがある。なぜなのか、という謎は視界を覆う幕のようなものであって、それを取り除けばすべてが明るみに出る。そこにあっけない感じを生じさせることもあるからだ。作者はそうしたことを承知の上で、小説の構造に手を加えている。幕を取り去る手続きに段階を加えたのだ。すべてがすぐに明らかにされるのではなくて、喩えて言えば幕を二枚重ねにしたような構成を取っている。ここは感心した。
ネタばらしをしないように注意して書くが、『桜葬』は性格悲劇と言っていい小説だ。登場人物の他人とは違う感受性や物の考え方が思いもよらぬ結果を招き寄せるのが性格悲劇だが、それを多重構成にしている。複数の性格が招き寄せる悲劇なのである。ここでも情報量がものを言う作りになっていることがわかる。
とにかく手の多い小説である。書評のため読み返してみてわかったが、序盤にさりげなく伏線を仕込むような技巧もきちんとこなしている。既存のプロットであっても、複雑化・多重化の処理を行えばまったく新しいものに加工しうる。そのことを熟知した書き手ならではの作品だと言えよう。
デビュー作よりもはるかに上手くなっており、理想的な第二作である。この技法を突き詰めてもらいたいと思うし、まったく逆の、太いプロットを装飾物なしで綴るような作品にも挑戦してみてはどうか、という期待もある。成長の芽が見えた。斎堂琴湖、楽しみな新人である。

























