「戦争は理不尽に、向こうからやってくる」 小泉悠が語る、ウクライナ侵攻が日本にとっても他人事ではない理由

小泉悠が語る、現代戦争論と日本の生存戦略
小泉悠『現代戦争論』(ちくま新書)

 ロシア情勢研究の第一人者であり、その鋭い分析と誠実な語り口で絶大な信頼を集める小泉悠。2022年の侵攻開始直後に刊行されベストセラーとなった『ウクライナ戦争』(ちくま新書)から3年、戦争は出口の見えない未知の領域に突入しようとしている。

 待望の新刊『現代戦争論』(ちくま新書)は、凄惨な犠牲のデータから、プーチンが膨大なコストを払ってまで侵略を継続する政治的背景、そして古典的な消耗戦への回帰まで、変容する世界の姿を克明に描き出した一冊である。

 「戦争は理不尽に、向こうからやってくる」。ロシアはなぜ侵略に及び、ウクライナの戦火はなぜ止まないのか。泥沼化する欧州の戦場から見えてきた戦争の本質と、その教訓をいかにアジアの生存戦略へと繋げるべきか。激変する世界秩序の行方を小泉に聞いた。

軍事オタクとしての自戒と覚悟

小泉悠氏

――これまでの著述活動の中で、新刊『現代戦争論』はどのような位置づけの一冊ですか。

小泉悠(以下、小泉):私にとって書くことと考えることは一体です。本書は、ウクライナ戦争という巨大なテーマに対し、書くことを通じて思考を形にしたものです。2022年の『ウクライナ戦争』(ちくま新書)刊行後、メルマガなどで思考の断片を書き溜めてきましたが、ようやく一冊にまとめることができました。

――『現代ロシアの軍事戦略』『ウクライナ戦争』に続く、三部作の完結編のようなイメージでしょうか。

小泉:そうですね。侵攻前の分析(『現代ロシアの軍事戦略』)、侵攻直後の記録(『ウクライナ戦争』)、そして5年目を迎えようとする現在の途中経過の総括としての本書。この4年間、戦争を見続けてきた私の思考の軌跡そのものです。

――現在進行形の戦争を論じるには、相当な覚悟が必要だったのではないですか。

小泉:非常に困難な作業でした。理由は二つあります。一つは、結末が見えないため顛末記として構成できないという形式上の問題。もう一つは、長年ウォッチしてきた対象が実際に人を殺めている現実に対し、無味乾燥な中立ではいられないという倫理的な問題です。 客観的な分析だけでなく、ある種の政治的意見表明や「日本はどう向き合うべきか」という問いにも触れざるを得ませんでした。その意味で、これまでの著作以上に生々しく、アクチュアルな一冊になったと感じています。

――本書は犠牲の実態から日本の対応まで、5つの問いで構成されています。

小泉:構成は試行錯誤しましたが、第1章に「犠牲」を持ってくることだけは譲れませんでした。実際に多くの命が失われており、その責任はロシアにあるという私の立場を明確にするためです。 また、私のような軍事オタクは、兵器や戦術の分析に没頭して命の重みを捨象しがちです。その悪い癖に対する自戒としても、まずは生々しい現実から始めるべきだと考えました。

――最後には日本の向き合い方についても一章を割いて論じていますね。

小泉:日本はすでに支援や制裁を通じてこの戦争に関わっています。「では日本はどうすべきか」という立場表明は避けて通れません。一章丸ごと使って日本の戦略を論じたのは、私の著作では初めての試みです。

なぜプーチンは「損切り」を選ばないのか

――読者が最も直面している疑問は「なぜ終わらないのか」だと思います。軍事的な観点からはどう分析されますか。

小泉:理由は大きく二つあります。一つは「能力の均衡」です。双方が継戦能力を完全には失っておらず、相手を圧倒することもできない。現在はロシアがやや優勢ですが、西側の支援が続く限り、ウクライナが一方的に崩壊する事態は防げています。だからこそ、日本を含む国際的な軍事・財政支援は死活的に重要なのです。

 もう一つはプーチンの「政治的な意思」です。この戦争は、合理的な損得勘定で見ればとっくに損切りすべき段階にあります。しかし、彼はこの戦争を収支で捉えていません。彼の真の目的は、主権国家としての独立したウクライナを終わらせ、2014年の政変以前の状態に戻す、いわば国体の変更にあります。その執念がある限り、一部の領土奪還程度では納得しない。これが戦争が長引く本質的な理由です。

――その大義名分として掲げられた「非ナチス化」という言葉には、強い違和感を覚えます。

小泉:多くの日本人が困惑する点ですが、ロシア側の理屈では、2014年のマイダン革命以降のウクライナ政府を「ナチス」と規定しています。プーチンにとっての「ナチス」とは、単なる歴史用語ではなく、多民族国家ロシアを統合するための極めて重要なレトリックなんです。

――なぜ「ナチス」という言葉が、現代ロシアの国民統合に必要だったのですか。

小泉:ソ連崩壊後、共産主義という理念を失ったロシアは、「なぜ我々は一つの国家なのか」というアイデンティティの危機に直面しました。そこでプーチンが打ち出した答えが、「我々はナチスという人類悪を倒した聖なる共同体である」という物語でした。2000年代後半から戦勝記念パレードを巨大化させ、対独戦勝の記憶を国家の背骨として再構築したのです。

――その聖なる記憶が、いつの間にか現在の敵を攻撃する道具に転じていると。

小泉:その通りです。「ナチスを倒したロシアこそが正義」という論理が転倒し、「ロシアに逆らう者はナチスだ」という強弁がまかり通るようになりました。この8年間、マイダン革命はアメリカが背後にいるナチスのクーデターだと宣伝し続けた結果、多くのロシア国民がこの歪んだ認識を受け入れる土壌ができてしまったのです。

最新兵器でも結局は泥沼の消耗戦

――本書ではソ連の思想家スヴェーチンの「消耗戦略」に触れています。なぜ今、この古典的な概念が再浮上しているのでしょうか。

小泉:「短期決戦(破壊戦略)」と「消耗戦」の流行は、歴史の中で繰り返されます。新技術が登場すると「これで一気に勝てる」と期待されますが、現実は甘くなく、結局は泥沼の消耗戦に引きずり込まれる。今回もその典型的なパターンに陥っています。

――ネット工作などの非暴力手段が主役になると思われた時期もありましたが、結局は武力が前面に出ていますね。

小泉:戦争の道具は時代とともに進化しますが、本質は「暴力」と「非暴力」の組み合わせです。一時期、非暴力手段を主、暴力を従とする戦い方がロシアでも米国でも注目されましたが、これには限界がありました。

――ロシア自身も、その限界を悟っていたのでしょうか。

小泉:2014年のクリミア併合はわずか3週間で半島を制圧し、ほぼ無血のまま成功しましたが、ドンバスや他の地域では不発に終わりました。広大なウクライナを屈服させるには非暴力手段だけでは足りないと、彼らも理解していたはずです。 そのため今回は、軍事力による斬首作戦と、裏工作による市長買収などを並行させる、短期決戦に賭けました。しかし、その目論見が外れた結果、かつての独ソ戦のような古典的で凄惨な消耗戦へと回帰していったのです。

――2022年のキーウ攻勢が失敗したことで、戦争のパラダイムが変わったと言えるでしょうか。

小泉:重要なのは、戦争のやり方が根本から変わるのではなく、単にオプションが増えていくということです。クリミアのような非暴力主体の成功例もあれば、今回のような独ソ戦さながらの泥臭い消耗戦もある。「21世紀だから野蛮な戦争は起きない」という予断は捨て、古いものから新しいものまで、あらゆる選択肢が並列して存在すると捉えるべきでしょう。

『虐殺器官』的な善悪の疑念すら通用しない、ど真ん中の侵略

――かつては「国際社会が悪を懲らしめる」という勧善懲悪の構図があったように思いますが、今回はロシアという「悪」がなかなか揺らぎませんね。

小泉:むしろ、湾岸戦争やユーゴ紛争のような勧善懲悪の構図こそが、歴史的には特殊だったのかもしれません。本来、近代以前の戦争は国家の合法的な権利であり、そこにあるのは「成功か失敗か」という現実だけでした。

――戦争に「善悪」の概念が持ち込まれたのは、いつ頃からなのでしょうか。

小泉:第一次世界大戦があまりに悲惨だったため、人類が「戦争は違法ではないか」と考え始めたことが転換点だと思います。1920年代の国際連盟やパリ不戦条約を経て、ようやく「戦争は悪である」という規範が生まれました。90年代の国際介入はその延長線上の光景でしたが、現在のウクライナ戦争は、そうした規範を力でねじ伏せた1930年代の逆行に近い状態にあるといえます。

――「戦争は違法」という規範が定まった後も、世界では武力行使が続いてきました。

小泉:1930年代に日本やドイツ、ソ連がその規範を無視して暴れた結果、第二次世界大戦を経て「自衛以外の武力行使は違法」とする国連憲章ができました。しかし冷戦期には米ソが互いの正義を掲げて対立し、90年代には「悪を懲らしめる」という名目で大国が介入する光景が一般化しました。

――90年代以降の人道的介入や対テロ戦争を経て、現代のウクライナ戦争はどう位置づけられるのでしょうか。

小泉:00年代以降は「アメリカの掲げる正義は本当に正しいのか」という懐疑論が強まりましたよね。伊藤計劃の『虐殺器官』という小説がまさにそういう雰囲気に貫かれている小説だと思うのですが、今回の戦争はそれらとは一線を画します。これは1930年代のソ連によるバルト三国併合を彷彿とさせる、一点の疑いもない「ど真ん中の侵略」です。

――だからこそ、国際社会の反応もかつてないほど激しいのですね。

小泉:はい。ロシア非難決議や大規模な制裁が行われるのは、国際秩序の根幹に関わる事態だからであり、当然の反応と言えます。一方的な「ロシア悪」の論調に胡散臭さを感じる層がいるのも理解はできますが、侵略という大まかな構図自体は、決して複雑なものではありません。

「ウクライナは見捨てられたが日本は助かる」という虫のいい話はない

――この『現代戦争論』を通じて、読者に最も伝えたかったことは何でしょうか。

小泉:最大の教訓は「戦争は理不尽に、向こうからやってくる」という事実です。ウクライナ自体は、汚職のまん延など問題の多い国でもあるのですが、侵略を受けるような落ち度があったわけではありません。それでも侵略は起きた。そして、これは日本にとっても他人事ではありません。小国に対する大国の侵略がどう決着するかは、将来、日本が軍事的危機に直面した際の国際社会の対応を占う試金石となります。「ウクライナは見捨てられたが、日本は助けてもらえる」などという虫のいい話はないのです。

――だからこそ、最終章で「日本はどうすべきか」という提言に踏み込んだのですね。

小泉:その通りです。加えて、核をめぐる冷徹な現実も直視しなければなりません。なぜ欧米諸国は他の紛争には介入しても、ウクライナを直接助けに行けないのか。それはロシアが、人類を何億人も殺せる核を保有しているからです。

――核による抑止は、アジアの情勢にも影を落とすと。

小泉:非常に深刻です。これは本書には書ききれなかったのですが、ロシアとウクライナの関係は、中国と台湾、ひいては日本との関係とパラレルに考えるべきです。中国は今、猛烈な勢いで核弾頭を増やしており、2030年代には米ロに匹敵する可能性があります。核を持つ大国が暴れ出したとき、果たしてアメリカは介入できるのか。ウクライナに介入できなかった現実を前に、台湾や日本での介入に楽観的でいられる理由はどこにもありません。

――核を持つ大国を前に、私たちはただ無力感に苛まれるしかないのでしょうか。

小泉:決してそうではありません。たしかに世界は変容しましたが、大国がすべてを思い通りにできているわけでもない。ロシアが核使用に踏み切れず、当初の目的も果たせていない背景には、西側の軍事的な抑止や経済制裁、そして何よりウクライナ自身の粘り強い動員システムといった複合的な要因があります。

――大国の暴走を食い止める防波堤は、どこかには存在するということですね。

小泉:日本は核を持つ大国ではありません。だからこそ、大国の暴走を何が制約しているのか、そのメカニズムを精緻に分析し、解像度を上げていく必要があります。

――それが、私たちが平和を模索するための第一歩になると。

小泉:はい。ウクライナで見せつけられている現実は、数年後の我々自身の問題かもしれません。本書を、変化し続ける世界のありようを捉え、自らの安全を守るための「思考のレンズ」として使っていただければ、著者としてこれほど嬉しいことはありません。

■書誌情報
『現代戦争論――ロシア・ウクライナから考える世界の行方』
著者:小泉悠
価格:1,078円
発売日:2026年2月9日
出版社:筑摩書房
レーベル:ちくま新書

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