『木挽町のあだ討ち』映画と原作はどう違う? 注目ポイントを書評家・千街晶之が対比

私は2016年、皆川博子の小説『花闇』の河出文庫版の解説を書いたことがある。幕末から明治にかけての激動の世、病で四肢を失いながらも、近代化する演劇界に抗って江戸歌舞伎の最後の花を咲かせた女形・三代目澤村田之助の凄絶な生涯を描いた歴史小説である。今年(2026年)になって、その『花闇』の2刷が刊行されるという報せが届いた。その時に私が感じたのは「『国宝』効果とは凄いものだな」ということだった。
言うまでもなく『国宝』とは、吉田修一の同題小説を原作とする、李相日監督の映画のことである。2025年6月に公開が始まって以降、口コミで評判がどんどん広がり、同年11月には実写日本映画の興行収入で歴代1位という輝かしい記録を打ち立てた。
この映画の大ヒットに付随して生じた現象が、作中で扱われた歌舞伎の世界への注目である。『花闇』の重版も、近藤史恵の歌舞伎ミステリ『ねむりねずみ』(創元推理文庫)の新装版刊行も、このブームと無関係ではなさそうだ。そして、江戸歌舞伎の世界を背景にした映画『木挽町のあだ討ち』(源孝志監督・脚本)も、まさに絶好のタイミングで公開された。
■『木挽町のあだ討ち』の魅力
『木挽町のあだ討ち』の原作は、永井紗耶子が2023年に新潮社から刊行した小説であり、2025年に新潮文庫版が出ている。同年には市川染五郎主演で歌舞伎になっており、今回の映画はメディアミックスとしては2つ目にあたる。
小説は、江戸後期、ある人物が2年前に木挽町(現在の東銀座あたり)で起きた仇討ち事件の背景を調査するスタイルで進行する。その事件とは、某藩の藩士・伊納菊之助が、父・清左衛門を殺めた元下男で博徒の作兵衛を江戸で見つけ、真剣勝負の果てに作兵衛を討ち、その首級を挙げた——というもので、「木挽町の仇討」として江戸中で評判を呼んだ。そして今、事件を目撃していた芝居小屋・森田座の関係者たちのもとを若侍が訪れ、当時のことを聞き出そうとする。どうやら若侍は菊之助の知り合いらしい。しかし、どうして今になって、2年も前の仇討ちについて知りたがるのか。関係者たちは若侍を警戒しながらも、いつしか事件当時のことばかりか、自分たちの身の上についてまで語り出すのだった。
この小説は第36回山本周五郎賞と第169回直木賞をダブル受賞したほどの人気作なので、『国宝』ブームと無関係に映像化の企画が進んでいた可能性は高い。ただ、映画『木挽町のあだ討ち』を観に行ったところ、『国宝』を観た時と同じくらい客席にはシニア層が多く、やはり観客層はかなり重なっているように感じた。
原作は「第一幕 芝居茶屋の場」「第二幕 稽古場の場」といった具合に全6幕の芝居仕立てになっており、ミステリとしての解決篇にあたる「終幕 国元屋敷の場」を除いて、1幕に1組ずつの関係者の語りで構成されている。聞き手である若侍は、まだ18歳の堅物の武士という以外にあまり情報がないのだが、映像化する場合はそういうわけにはいかないので、この若侍・加瀬総一郎を柄本佑が主人公兼探偵役として演じている。彼の役作りは『刑事コロンボ』でピーター・フォークが演じたコロンボ警部補を意識したらしく、怜悧な切れ者でありながら、人の懐にスルッと入る人たらし的な面を持つ人物を好演している。原作とは年齢設定が異なることにも、物語上の必然性がある。
芸達者なヴェテラン俳優が揃った中、主要出演者で唯一、20代前半の若手なのが伊納菊之助役の長尾謙杜。いろいろな映画で見かけるたびに印象が異なる俳優だが、武家の跡取り息子として大切に育てられた青年らしい品があり、紅の振袖から凛々しい白装束の若侍への早替わりを見せるオープニングの仇討ちシーンが鮮烈だった。
総一郎の聞き込みの対象である森田座の関係者は、木戸芸者の一八に瀬戸康史、立師(立ち回りの振付師)の相良与三郎に滝藤賢一、女形の二代目芳澤ほたるに高橋和也、小道具職人の久蔵と妻のお与根に正名僕蔵とイモトアヤコ、戯作者の篠田金治に渡辺謙という顔ぶれ。渡辺謙は『国宝』にも歌舞伎役者の役で出演していた。
菊之助の父・清左衛門役は山口馬木也。初主演映画『侍タイムスリッパー』(2024年)のヒットが記憶に新しいが、短い出番ながら鬼気迫る演技で観客を圧倒する。母・たえ(原作のお妙)役は沢口靖子。大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)で父娘役だった渡辺謙とは約40年ぶりの共演となる。しかし、何といってもこの映画で最高の演技を見せたのは、作兵衛役の北村一輝だろう。詳しく紹介できないのが残念だが、本当に北村一輝のために用意されたような役柄だった。
■原作と映画の異なる点
では脚本はどうか。原作を先に読んでいると、評価できる部分もあるし、不満を感じる部分もある、というのが正直なところである。
新潮文庫版で346ページ(解説を除く)のうち、ミステリとしての決定的な種明かしは333ページ、つまり物語が終わるギリギリまで引っぱっている。それに対し映画は、かなり早い段階でネタを割り、後半は仇討ちに至る過程が時間をかけて描かれる。私がこの映画を観ていて連想したのは、アガサ・クリスティーの名作『オリエント急行の殺人』を三谷幸喜脚本、河野圭太演出でドラマ化した『オリエント急行殺人事件』(2015年)。全2夜で放映されたこのドラマでは、第1夜のラストで探偵が犯人を指摘し、第2夜では犯行に至るまでの経緯が犯人視点で描かれていた(原作にないコミカルな味つけという点でも共通する)。『木挽町のあだ討ち』のプロデューサーで、過去にもいろいろなミステリ映像を手掛けてきた須藤泰司が、公開時のコメントで「クリスティの『オリエント急行殺人事件』を江戸の町に置き換えたような上質のミステリー」と永井紗耶子の原作を評していることからも、三谷版ドラマを意識した可能性が考えられる。また、2010年代にヒットしたある邦画との共通性も感じられる。
原作のトリックは、「そんなに上手く行くだろうか」と思わせる危うさがないでもない。しかし映画では仇討ちの現場に、原作にない「あるもの」が存在するという改変によってトリックを自然に見せている。また、その「あるもの」が、冒頭の森田座で上演されている『仮名手本忠臣蔵』十一段目に登場するものでもあるため、武士の世界の美談である「忠臣蔵」と、武士の掟に苦しんだ者たちの悲劇である作中の仇討ちとのコントラストの効果も上げている。作中の森田座では『菅原伝授手習鑑』も上演されており、ある種の伏線としての効果を狙っている。このあたりは、2021年のドラマ『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』(NHK−BS)で演出・脚本を担当したり、その前年にはコロナ禍で上演中止になったものの実際に歌舞伎の脚本を執筆するなど、歌舞伎の世界に通暁している源孝志監督の強みと言えるだろう。
一方で不満を感じたのは、5組の関係者の過去のエピソードが単純な説明で片づけられた点だ(芳澤ほたるに至っては過去はほぼカットされていた)。そのため、辛い人生を送り、世間からは悪所呼ばわりされる芝居の世界でおのれの生きるべき場所を見出した彼らの悲哀や心意気が薄れた印象は否めない。もっとも、そこまで掘り下げようとすれば映画の尺では難しく、東野圭吾原作の連続ドラマ『新参者』(2010年)のような構成にしなければならないので、やむを得ないところではあるが。もう1つ気になったのは、実はその5組のエピソードの1つに、原作ではミステリとしての伏線がしっかり仕込まれているのに、彼らの過去が単純化されたせいで伏線まで消去され、そのため種明かしのシーンで出てくる「あるもの」(先ほど記した「あるもの」とは別)の登場がやや唐突に思える点である。このあたりは、ミステリ読者としてはどうしても気になってしまうところだ。
そうした不満はあるにせよ、映画『木挽町のあだ討ち』が、誰にでもお薦めしやすい上質なエンタテインメントであることは事実だ。この映画を観たあと、改めて原作に目を通し、登場人物たちのバックボーンをじっくり味わうことをお薦めしたい。

























