魔女エルファバはどんな子ども時代を過ごしたのか? 『ウィキッド 永遠の約束』原作を読む

映画『ウィキッド 永遠の約束』が、3月6日より日本でも公開された。2024年公開の『ウィキッド ふたりの魔女』に続く後編である。2部作の映画は、ミュージカル『ウィキッド』(2003年初演)の内容に基づいている。有名な童話『オズの魔法使い』(ライアン・フランク・ボーム作)に登場した魔女たちにどんな事情があったかを掘り起こす前日談だ。
ミュージカル『ウィキッド』は、グレゴリー・マグワイアの小説『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』(1995年)が原作である。だが、舞台および映画と、原作小説にはかなり差異がある。マグワイアはその後、『ウィキッド』の世界を舞台にした小説をシリーズ化しているが、日本では大部分が未訳のままだ。
しかし、映画『ウィキッド 永遠の約束』の公開後に発表された『ウィキッド・チャイルド』(原題:Elphie A Wicked Childhood=エルフィー 邪悪な子供時代)は、ハヤカワ文庫から日本語版(市ノ瀬美麗訳)が刊行された。同書冒頭には「イディナ・メンゼルとシンシア・エリヴォに/そして過去と未来のすべてのエルファバたちに捧げる」という文言がある。メンゼルはブロードウェイの初演で、エリヴォは今回の映画で、エルフィーの愛称を持つ緑の肌の魔女エルファバを演じた俳優だ。その献辞からもわかるように『ウィキッド・チャイルド』は、ミュージカル版『ウィキッド』を意識して書かれている。
この小説は、エルフィーの幼少から少女の時代を描く。原作では父のフレックスが牧師と設定されており、伝道活動のために家族を連れて旅をする。エルフィーの妹ネッサローズはミュージカル版では足が不自由とされたが、マグワイアの小説では両腕がない設定だ。また、ミュージカル版ではネッサローズを生んだ直後に母は死ぬが、小説ではさらに下の弟シェルを生んでからこの世を去る。父の伝道活動がその地域で受け入れられるとは限らないし、エルフィー、ネッサローズという異形の子供がいる家族は、世間から排他的な視線を向けられながら地域を移動していく。
登場人物の設定の違いはあるが、本作はミュージカル版で鍵となるモチーフに焦点を当てた物語になっている。映画で描かれる通り、エルフィーが通うシズ大学ではヤギが教授として講義を行っていた。彼のような話す能力を持つ動物を排斥する動きにエルフィーは憤り、やがて彼女がオズの国と対立するきっかけとなる。それ以前の時期を舞台とする『ウィキッド・チャイルド』では、彼女が人語を話す動物の存在を初めて知り、交流する光景が描かれる。幼いエルフィーは幽霊猿(ポルタ―モンキー)と出会い、もう少し成長してからはコビトグマと対話するのだ。それらは、なぜ彼女が話す動物にシンパシーを寄せるようになったかを語るエピソードとなっている。
一方、エルフィーは、緑の肌以外に水を極度に嫌うのが特徴で、後の彼女の運命にもかかわってくる。『ウィキッド・チャイルド』では、水に関し興味深い場面がある。体が不自由なネッサローズはばあやの手で沐浴させてもらうが、エルファバにとって水が体を流れるのは悪夢だ。そのかわりにばあやは「堅い豆のさやをあかすり器のように使い、エルフィーの肌から余分な油と汚れをこすり取る」、「髪は油と卵白で洗う」のだった。また、水を使えないエルフィーは、皿の汚れはこすり落とし、水でゆすぐのはばあやが行うという。水に触れることをどのように回避するのか。このへんの細々した描写が面白い。
水への恐怖は日常生活での不便だけでなく、危機を招く。子供たちだけで水上菜園を歩いた際、ネッサローズが水中に落ちてしまう。近くに大人はいない。救うためにエルファバが飛びこむなんてことはできない。まだ小さいシェルは頼りにならない。溺れる妹を助けてくれたのは、コビトグマたちであり、この動物たちと話すことになる。
水への落下の場面前後もそうだが、エルフィー、ネッサローズ、シェルの姉妹弟、そして父のフレックスという家族は、仲がいいとはいえない。障碍を持って生まれた妹に注目が集まって以降、自分は放っておかれていると姉は思っている。妹は、自分のためになにかしてもらうのは当たり前という態度だ。弟は、気の向くままに行動し、どんどん傍若無人になっていく。話す動物がいると父があらかじめ娘に教えていなかったこともそうだが、彼は伝道を中心とした自身の価値観以外に思考を広げようとしない。みんな身勝手なのだ。
ただ、伝道活動で人々にいろいろ語りかけるフレックスを見てきたエルフィーは彼についてこういうかもしれないと、語り手は書く。「父は奇跡を起こす医者のように病人を治すことはできないけれど、壊れた子供に美を見出すよう家族に助言することはできると」。この一節には、考えがバラバラなのに、それでもこの家族が一緒にいられる理由の一端がうかがえる。
『ウィキッド・チャイルド』では、エルフィーが、学ぶことへの意欲を持つようになる過程が書かれる。エルフィーに教育を受けるようにうながした1人は、諸事情で彼女が働くことになった洋裁店の店主ウンガーだった。彼はこの街は「おまえみたいな好奇心や能力を持つ者にとって偏狭な場所になる」と将来も含めて彼女の運命を見通したようなセリフをいう。学び、好奇心というモチーフは、『ウィキッド』本編のシズ大学入学につながる。
また、ウンガーは、エルフィーかその家族が店の窓ガラスを割ったと決めつけ、代償として彼女を店で働かせる。彼への頼みごとがある彼女は、従わざるをえないという展開だ。エルフィーは自分を無実だと思っているが、窓ガラスを割ったのが誰かは、作中で明らかにならないまま。だが、後に彼女が魔女として開花することを知っている読者は、想像するのではないか。彼女の内にあった魔法の力が、本人も意識しないうちに暴発して割ってしまったのではないかと。このように『ウィキッド・チャイルド』は、『ウィキッド』ファンが、本編へつながる要素をいろいろ見出せるのが楽しい。
なかでも最もミュージカル版とリンクしているのは、エルフィーが歌う場面だろう。幽霊猿は、彼女の歌声に引き寄せられたと本人にいう。また、フリックスは伝道集会へ人々を招き寄せるには、長女を歌わせることが有効だと気づく。だが、エルフィーが地元の言葉に翻訳した聖歌を歌うと、会衆は不機嫌になる。会衆は神秘的な未知の世界を歌ってほしがっているため、彼女は彼らの知らないオズ語で歌い直さなければならない。これらは、『ウィキッド』本編でエルフィーが、魔女として歌う場面を予告しているようなものだ。
ミュージカル版『ウィキッド』の楽曲で一番有名であり、映画の前作『ウィキッド ふたりの魔女』のラストに歌われたのが、「Defying Gravity」(=重力に逆らって。邦題「自由を求めて」)だった。「好奇心や能力を持つ者」エルフィーが、「偏狭な場所」に抗う歌である。『ウィキッド・チャイルド』は、彼女がそのような者になった背景を語っている。同時にそれは、舞台化され、映画化され、原作小説の重力圏から離れ、独り歩きするキャラクターを、原作者が見つめ直した物語でもあるだろう。エルフィーは、自身の創造主をも翻弄する魔女なのだ。
























