罪を犯した“愚か者”たちは、その後の人生とどう向き合ったのか? SYOの『愚か者の疾走』レビュー


西尾潤の文壇デビュー作にして第二回大藪春彦賞新人賞受賞作『愚か者の身分』。2019年に刊行され、犯罪小説としての読み応えはさることながら、様々な事情から戸籍売買ビジネスに手を染めてしまった“愚か者”たちの哀切な感情をビビッドに描き、多くの共感を集めた。2025年にはコミカライズ、さらに西尾と旧知の仲である永田琴監督&北村匠海×林裕太×綾野剛の共演で映画化され、話題に。第30回釜山国際映画祭では3人そろって最優秀俳優賞を受賞し、フランス最大の日本映画祭「KINOTAYO映画祭」にて最高賞にあたるソレイユ・ドール賞に輝くなど、国内外で高い評価を受けた。映画公開と連動して発表されたのが、続編となる小説『愚か者の疾走』だ。
舞台は、前作の3年後。マモル、タクヤ、梶谷といった映画版でもメインを張った三者を軸に、物語のガイドとしても重要な役割を果たす探偵・仲道も再登場。各々の身に起こった“その後”の出来事が明かされてゆく。前作の群像劇スタイルを踏襲し、3章仕立てで都度“主人公”が変わる構成こそ同じだが、印象的なのはその中身だ。原作勢にはもちろんのこと、本書においては映画勢を“オトす”仕掛けが所々に見られ、映画を観て「愚か者」シリーズに興味を抱いた――さらに言うなれば「マモル、タクヤ、梶谷の身を案じている/また会いたいと願っている」人々に対するギフトのような意味合いが、色濃く感じられる。筆者は映画版のオフィシャルライターを務めており、撮影前の段階から今日に至るまで並走してきた経緯もあって読書時のスタンスや受け取り方にやや偏りがあるかもしれないが……この狙い(というドライなニュアンスよりも作者・西尾の優しさに起因する人情であろう)は明白だ。
思えば、前作『愚か者の身分』の特徴は大金争奪戦を軸にしたハードボイルドな要素もさることながら、隠しきれない「温かみ」にあった。マモル、タクヤ、梶谷は3人とも半グレに「なるしかなかった/その他の道を断たれた」人物であり、裏社会に生息する彼らが何とか日の当たる道に戻ろうとする姿をどこか応援するような気持ちで綴っていたのが本作だ。ドライではなく、かといってマモルたちに過度に加担するようなウェットなものでもない。各々の事情を慮りつつも罪は罪として確固たるスタンスを貫き、正さんとする姿勢――「愚か者」というタイトルに、叱咤激励の空気を抱いたのは筆者だけではないだろう。真っ当に生きたいと願う三者をご都合主義的に掬い上げることなく、だが突き放しもせず、代償と贖罪を示す。その姿勢は、前作から3年の月日が流れた『愚か者の疾走』でより深化している。
タクヤが自身の安全と引き換えに託した大金を持ち、真鶴に行きついたマモル。現地の心優しい住人たちとの触れ合いの中で通信制の服飾学校に通う目標を見つけたマモルは、一歩ずつ次の場所へと歩みを進めていく。ただ、手放しで喜ぶことはできない。彼をこき使っていた首謀者たちが捕まったとはいえ、行方を捜す危険人物たちがいつ何時現れるかわからず、マモルは悪夢にうなされたり不安や孤独と闘い続けなくてはならない。本作は、一度罪を犯してしまえば逃亡生活に終わりはないという“現実”を静かに突き付けてくる。それは、タクヤや梶谷も同じ。前作で眼球を失ったタクヤは盲目のファッションデザイナーに弟子入りし、梶谷は特技を活かしてキックボクシングジムのトレーナーとして働き始め、由衣夏との間に第一子を授かり出産間近だが、幸せに浸りきることはできない。ネットニュースなどで“敵”の動向を追いかけつつ、ボロを出しているかどうかもわからない追っ手に気取られぬように気を配り続ける日々。疑心暗鬼のなかで、それぞれの身に危険が迫る緊迫の展開も用意されており、読者においてはハラハラしながら見守ってしまうことだろう。
その際に印象的なのは、映画版の“続き”としても脳内でイメージが広がっていくことだ。つまり、タクヤは北村匠海、マモルは林裕太、梶谷は綾野剛として頭の中で再生されていき、エモーションがどんどん高まっていく。映画のノベライズではなく未映像化の新作にもかかわらず、あくまで自然に連結し、スムーズに「そうなってしまう」点に原作と映画の愛すべき共犯関係を感じずにはいられない。願わくば、いつの日か本当に実現してほしいものだ。
■書誌情報
『愚か者の疾走』
著者:西尾潤
価格:880円
発売日:2025年11月11日
出版社:徳間書店

























