大奥で働く少女が亡霊たちの心残りを解き明かすーー心温まる物語『大奥の御幽筆』

ことのは文庫『大奥の御幽筆』レビュー

 物語自体の面白さは、いつその本を手にとろうが薄れることはない。その一方で、新刊を追いかけ続けたシリーズが完結を迎えたときの喜びには、何度味わってもたまらないものがある。

 シリーズが完結する前に、今から読み始めてほしい本がある。本好きなら、一度はそんな気持ちで誰かに本をさしだしたことがあるのでは?

 現在3巻まで刊行されている菊川あすか『大奥の御幽筆』(ことのは文庫)は、そんなふうに「よかったら読んでみて」と手渡してみたくなるシリーズだ。



亡霊を見る目を持つ少女が掬いあげるのは、巻き戻せない時間と想い

 物語の舞台は江戸時代。文政七年、第11代将軍徳川家斉公の御世。生まれつき赤茶色の瞳を持つ御家人の娘・里沙は、亡霊が見えるせいで家族から忌まれてきた。唯一の理解者であった祖母を亡くし、奥勤めをしている叔母・お豊(とよ)の誘いを受けて、大奥で働くことを決意する。大奥を取り仕切る御年寄・野村の身の回りの雑務をこなす部屋方として働きはじめた里沙は、夜に火の番として見回りに出る女中たちが亡霊騒ぎに悩まされていると知る。誰も姿を見たことはないが、どこからともなく人を探し求める幼子のすすり泣きが聞こえてくるというのだ。(『大奥の御幽筆〜あなたの想い届けます〜』)

 舞台が大奥と聞くと、将軍の寵愛を奪い合う女同士の争いを思い浮かべるかもしれない。だが、『大奥の御幽筆』は正室や側室といった権力争いの中枢ではなく、大奥を支える奥女中に焦点が当てられた、切なくも温かい余韻が残るシリーズだ。

 1巻『〜あなたの想い届けます〜』は、亡霊を見ることで家族から虐げられてきた里沙が大奥に上がるところから始まる。

 里沙は血の繋がった家族から「呪われた子」と蔑まれながら育つが、幸いだったのは「普通ではない瞳」を「他の人にはない特別」だと言い、いつかきっと人を救う力になると言ってくれる祖母がいたことだろう。祖母の言葉を大切にしていた里沙は、誰かの役に立てるなら……と勇気を出して自分の力を打ち明け、亡霊騒ぎを解き明かす役目を願い出る。

 そうして夜の見回りに出た里沙は、将軍以外は男子禁制のはずの大奥で総髪を結い上げた男性と出会う。驚く里沙に涼やかな目元が印象的な美しいその人は佐之介と名乗り、自分は亡霊で記憶がないと告げるのだった。長らく江戸を彷徨っているという佐之介とともに大奥を騒がせている幼子の亡霊・成明を見つける。成仏できないでいる成明を救いたいと思った里沙は、野村や部屋方の先輩・お松、佐之介の助けを借りながら奔走しはじめる。

 死後もこの世に留まる亡霊の心残りを紐解くために、里沙は大奥の中だけでなく江戸の町にも出かける。ここで効いてくるのが、里沙が「部屋方」として大奥に迎え入れられたという立ち位置だ。大奥では、将軍や御台所との謁見が許される「御目見得(おめみえ)」以下の奥女中であっても気軽に外出できない。だが、御殿女中が自費で雇う部屋方なら、雇い主の権限で外出できるのだ。

 大奥に来るまでは亡霊が見えるだけで積極的に関わろうとしてこなかった里沙は、手探りながらも自分の力を人のために役立てる道を見つけていく。亡霊の姿を見、亡霊と言葉を交わせる里沙は、亡霊の心残りを手紙に書き起こすことで、本当なら届くはずのなかった言葉を届ける。里沙が手紙に表すのは、もう巻き戻ることはない時間にあった想いだ。作中でくり返し語られるように、死んでしまった人は生き返らず、人と亡霊がずっと一緒に居続けることはできない。だからこそ、里沙によってそっと掬い上げられた想いが届く温かさが切なくも胸を打つ。

巻ごとに異なるテーマで描かれる人の想いと里沙の成長

『大奥の御幽筆~約束の花火~』(菊川あすか/ことのは文庫)

 2巻『~永遠に舞う恋桜~』では、大奥で起こる怪事を解決して記録にしたためる「御幽筆」の役目を与えられた里沙と佐之介の前に、幕府御用の菓子屋「風花堂」の職人・新吉が現れる。死んでから半年以上経っているのに成仏できないでいる新吉の記憶をたどるうちに明らかになるのは、誠実に生きてきた彼が密かに育んでいた初恋の思い出だ。

 3巻『~約束の花火~』では、毎晩悪夢にうなされ、目覚めたときに首や肩に人の手がつけたような痕が残る奥女中・初音を心配した友人の夕霧から相談が持ち込まれる。さらに、調査を始めた里沙のもとには名前も事情も明かせないが自分の死因が知りたいという奥女中の亡霊も登場。仮にお藤と呼ぶことにしたその亡霊と、何くれとなく里沙を気に掛けてくれるお松には何やら関わりがありそうで……。亡霊の怪事をきっかけに、過去から続く友情と今育まれている友情とが交錯していく様は必見だ。

 本シリーズは里沙が亡霊の心残りを解き明かす一作完結型の物語で、1巻は母子の情、2巻は淡い初恋、3巻は友情と毎巻異なるテーマが設定されている。

 各巻で描かれる亡霊の心残りは、大奥に来るまで家族から虐げられていた里沙に、一つひとつ人の情を教える役目を担っているようにも思う。亡霊の事情とともに、1巻では里沙が望んでも得られなかった母の愛情を、2巻では育ちつつある佐之介への恋心を、3巻ではいつしか親友のように親しく付き合うようになったお松との友情が照射されることで、里沙は少しずつ自信を持つようになり、変化していく。

 その変化が現れているのが、3巻のお藤とのやりとりだろう。「誰かのために生きることは素敵だが、自分のためにも生きてほしい」と語りかけたお藤に、里沙は「自分の人生を生きる中で誰かのためになりたい」と返すのだ。人と異なる力を持つ主人公はともすれば自己犠牲に陥ってしまうものだが、そんな懸念を軽やかに超えていく里沙の心根が眩しくてならない。

 『大奥の御幽筆』で描かれる人の想いは、そっと読者の心を揺さぶってくる柔らかさをしている。大奥という場所柄、人の悪意やきな臭さとまったく無縁な訳ではないものの、ともすれば心配になってしまうくらいこの物語は優しい。

 つらい生い立ちの影に留まることを潔しとしない里沙のところどころ危うさを残しながらもまっすぐな瞳がまなざす情景は、人と人のつながりを柔らかに浮かび上がらせる。その絶妙なさじ加減には、「読んだあとに、ちょっと心が温まるような物語を書きたいと思って小説家になった」という著者の作家としての在りようが反映されているのだろう。
(参考:https://realsound.jp/book/2023/10/post-1457567.html

 大奥のしきたりや江戸時代における流行の変遷など、作劇の枷となりがちな要素を巧みに扱いながらも、『大奥の御幽筆』は不思議な程に取っつきやすさを失わない作品だ。言葉選びに著者の江戸時代への愛着が忍ばれる文章の端々には、時代ものを読み慣れていない読者を優しく招き入れる工夫が凝らされているので、安心して手に取ってほしい。

 また、1巻には歴史復元画家・中西立太によるイラストで大奥の女中が暮らす長局(ながつぼね)の構造が掲載されているほか、各巻に歴史に造詣の深いライターによる解説が収録されており、作中舞台への理解を深められるのもうれしい。

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