杉江松恋の新鋭作家ハンティング 芥川賞候補で注目、向坂くじら『いなくなくならなくならないで』の緊張感

『いなくなくならなくならないで』の緊張感

 中盤から後半の展開を書かずにおくが、要するに朝日がそのままだとしても、時子は四年半前のままではなかったのだった。朝日が死んだと聞かされてから一週間後、時子は海岸へ出かけ、取り返しのつかないことが起きてしまったのだということを実感した。そのとき、時子には重大な変化が起きていたのである。「旧い塑像が風にくずれるように、胸の肉がほたほたっと地面へこぼれ」てしまった。慌てて探したが、肉も骨も見つからず、あるのは石ばかりだった。そのうちの一つは学校の聖堂で見た無原罪の聖母と同じ形をしていた。石は、時子の胸に空いた穴にぴったりと嵌まった。

 以来時子は、この石を欠けてしまった自分自身の一部としてひそかに扱うようになる。本来のそこには朝日が入っていたのだ。朝日の代わりとなる白い聖母の石は、物語後半の重要なピースとなる。

 自分の人生から抜け落ちてしまった朝日を取り戻したはずの時子は、朝日がいるという事実に戸惑うようになる。欠けていた部分には白い聖母の石が嵌まるのだから、当然ともいえる。朝日は以前の通り自分自身の一部であるが、同時に自分にとってあってはならないものでもあった。この過剰が時子を追いつめていく。朝日は相変わらず謎めいたままで、時子に事情を話すでもなく、部屋から出ていこうともしない。

 次第に緊張感が高まってくる。

 その相手を愛しながらたまらなく憎くもある、という感情が時子の中に成立してからが本作の真骨頂で、とらえどころのない心の動きをここまで克明に描くか、と感心させられた。後半には話の舞台が時子の実家に移り、家族も巻き込んでの展開となるが、気になった方はぜひ読んでいただきたい。みなさんにもあると思う。ずっとそばにいてもらいたい、しかしそばにいる相手が疎ましくもある、という感情を体験したことが。あまりにも距離が近いものを人はうまく御すことができない。その矛盾した心情が本作には描かれている。

 一粒で二度おいしいというか、時子ではなく朝日の側から物語を見直したとき、また別の興趣が湧いてくる小説でもある。朝日はどこにも行くことができないのだ。そもそも本当に生きているかどうかもわからないのだけど、時子の部屋以外に行き場所がない。だが、時子はもう胸の穴に自分をはめ込んでくれようとは思っていない。それを理解したときの朝日の心情を考えずに、本作を読むことはできないのである。

 この作品を致命的に好きになってしまった一行がある。時子と朝日の間に緊張が高まり、臨界点に達してしまった瞬間だ。向坂はこう書く。

——ふたりはしばし、無言のまま見つめあった。静かだった。けれど、つぎの瞬間にどちらかがなにかを言えば、たちまち取っ組み合いか、もしくはセックスになる、と思った。

 取っ組み合いかセックス。一触即発の四文字を使わずにその意味を表現するのに、これほどいい言葉はあるだろうか。素晴らしいセンスだ。私はこれで、向坂くじらという作家が大好きになってしまったのである。この人の言葉遣い、大好きだ。

 この原稿は2024年7月17日午後4時、つまり新橋の新喜楽において、第171回芥川賞の選考会が行われている裏で書いている。このあと用事があるので、結果を知る前に送稿する。別のところでも書いたので繰り返さないが、私は今回の受賞は『いなくなくならなくならないで』じゃないかと思っている。小説の技巧では朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』だが、選考は本作に分があるだろうと。どうなるかはわからない。

 果たしてこの原稿は、向坂が受賞作家となった未来に掲載されるのだろうか。逆だろうか。どっちでもいい。候補作になってくれたおかげで、私は向坂くじらという作家を知ることができた。それだけで十分だ。向坂くじら、また一人好きな作家が増えた。

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