杉江松恋の新鋭作家ハンティング 常に危険と背中合わせのスリラー、浅沢英『贋品』

常に危険と背中合わせ、浅沢英『贋品』

 鼓動の高鳴りを感じながらページを繰る。

 そんな読書体験を与えてくれるのが、浅沢英『贋品』(徳間書店)である。なぜ心音が早まるか。追い立てられるような感覚があるからだ。椅子に座って読んでいるのに、まるでどこかの見知らぬ路地を彷徨っているかのような気持ちにさせられる。ここにこうしていていいのだろうか、という落ち着かなさ。不安に駆られながら、とりあえず前に進むしかないのだ、と自分に言い聞かせる。そのおぼつかなさをひさしぶりに小説で味わった気がする。いいぞ、つまりスリラーとして出来がいいということだ。人の気持ちを揺り動かす術に長けた書き手だということだ。

 〈オレ〉こと佐村隆に、画商だった亡父の知人だという山井青藍という男が接近してくることから話は始まる。父はほうぼうに借金を残して死んだ。ちょっとした恩を売って佐村の警戒心を緩ませた山井は、とんでもない計画を持ち掛けてきた。

「佐村くん。十億円ほど、稼いでみぃひんか」

 その計画とはピカソの盗難画を元にした贋作を売るというものだ。生駒山の中腹に新興宗教天心教の施設がある。そこに、1971年にピカソが描いた油絵が保管されているというのである。今から10年前に盗難に遭い、いまだに発見されていない作品だが、ブラックマーケットを通じて天心教が極秘裏に入手したのだという。山井は教団に深く入り込んだ川村佐智子という女性と手を組み、ピカソを持ち出す算段をすでに組んでいた。それさえ一時的に借り出せれば、あとは3Dプリンターなどの最新技術を駆使して本物と見紛う贋作を作ることは可能である。

 贋作を担当するのは、絵画修復技術を持つ楊文紅という女性だ。売り先は中国人のメガコレクター、売れれば全部で40億円の儲けになるが、ただし元手を2千万円準備しなければならない。もとより借金まみれの佐村にそんな金はなく、計画に参加するならばさらに危険な橋を渡ることになる。駄目だ、やめたほうがいい。でも、佐村は乗ってしまう。しかし本当の危険が判明したのはその後だった。香港で取引のために待ち受けていた買い手の徐在は「わたし、嘘は嫌いなの」と言い、佐村たちにあるものを見せた。

 天井から吊り下げられた丸いオブジェ。

 それは「ありえない角度に背中を折り曲げられた人間」だったのである。徐在に嘘を吐いたその女は、バランスボールに背中を縛りつけられ、次第に絞られて絶叫しながら息絶えたという。背骨をへし折られたのだ。その姿があまりに気に入ったので、オブジェに写して残すことにしたのだという。もし佐村たちが徐在を騙したら、同じ運命を辿ることになる。そんな危険な相手に、彼らは贋作を売りつけようとしているのだ。

 『贋品』は中国語読みでイェンピンである。美術品の贋作を扱ったミステリー、犯罪小説は数多く存在する。現役の日本人作家では、美術畑出身の黒川博行が第一人者であろう。『贋品』は、最初の舞台が黒川の地元である大阪ということもあって、読み始めたときは似た雰囲気を感じた。やたらと人懐っこく、ぐいぐいと佐村との距離を縮めてこようとする山井のキャラクターも黒川作品を連想させる。

 黒川の物語運びは悠々としており、軽口を叩く登場人物の後をついて回っているうちに、いつの間にか読者は物語に引きずり込まれてしまう。軽快な話運びの中に突如硬質の場面が出てきて、戸惑っているうちに非情な犯罪を目撃させられることになるのだ。浅沢はそれに似て、もう少し展開が速い。徐在の冷酷さを頭に叩き込まれた後、最初の危機が訪れる。早くも裏切りがあり、計画通りに事が運ばなくなってしまうのである。

  そのため山井と佐村は事態収拾のために飛び回らなければならなくなる。ひとところに留まっていることもできなくなり、彼らは逃避行を重ねながら、3Dプリンターで贋作を作るための時間稼ぎをすることになる。調達しなければならないものは山のようにある。それこそ金も必要だ。機械で作るといっても、使う素材や環境は半世紀以前のそれを再現しなければならないのである。化学反応だって起きる。それらがすべて鑑定されることになるのだ。一朝一夕では済まない作業である。しかし危険と借金取りはどんどん後ろから迫ってくる。

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