映画『哀れなるものたち』を語るうえで欠かせない古典小説『フランケンシュタイン』を読み直す

哀れなるものたちとフランケンシュタイン

  本年1月末より日本公開された映画「哀れなるものたち」が評判になっている。筆者が鑑賞したのは平日の昼間かつ、すでに公開から一か月以上経過した段階だったがほぼ満席だった。

  80席程度の小さな箱だったが、公開から一か月近くたって映画で満席になるのはそうそう無い事だ。おそらく評論家やシネフィルに好まれるタイプの映画はこのように腰の強い興行になるものなのだろう。

  同作はクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』に次ぐ11部門で米アカデミー賞の候補になっており、権威あるベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子省を受賞している。2023年の映画界を代表する一本と言っていいだろう。

  本稿執筆は2月末だが、3月10日に発表されるアカデミー賞で「哀れなるものたち」は何部門を獲得するのだろうか?  大変に興味深い。

  「哀れなるものたち」の監督ヨルゴス・ランティモスはかなり珍しい英語圏のメインストリーム系映画界で活躍するギリシャ人の映画監督である。2011年公開の「ロブスター」で英語圏に進出して以降、コンスタントに高い評価を獲得しており「女王陛下のお気に入り」ではメインストリーム系の頂点ともいえる米アカデミー賞の最優秀監督賞候補に名前を連ねた。現在はロンドンに拠点を置いているらしく、二作連続でイギリスが舞台となっている。

 「哀れなるものたち」の主要なキャストはことごとくがアメリカ人、脚本家はオーストラリア人だが原作者のアラスター・グレイ(イギリス・スコットランド出身)、監督のランティモスはヨーロッパ人で映画からはたっぷりとヨーロッパの匂いがする。序盤のシークエンスは(おそらく)広角レンズと魚眼レンズで大胆に歪ませたモノクロ画面のトリッキーな演出で始まる。舞台は映画では明言されていなかったが、原作によると産業革命期、19世紀後半のイギリスとのことだ。

 映画では原作のグラスゴーからロンドンに舞台が変更されているが、どちらも19世紀当時は工業が盛んだった街で、当時の記録によると石炭による煤が日常的に大気汚染を巻き起こしていたという。グラスゴーやロンドンのような都会の男性は当時、特に黒い服を好んで着たとの記録が残っているが、黒だと煤汚れが目立たなかったのが好まれた理由である。

 「哀れなるものたち」のビジュアルはリアルな歴史ものと言うよりも、スチームパンクを感じさせるが黒を主体にした衣装はモノクロ画面に良く映え、産業革命期のイギリスの都会の雰囲気も良く出ている。その手法は同じく19世紀のロンドンを舞台に、全編をモノクロで描いたデイヴィッド・リンチ監督の『エレファント・マン』を思わせる。(なお、19世紀後半のイギリスの時代背景が気になる方はルース・グッドマン(著)『ヴィクトリア朝英国人の日常生活』をどうぞ)

  ベラ(エマ・ストーン)の旅が始まると、映画は原色を大胆に使った鮮やかな色彩へと変わる。舞台は北国のイギリスから、リスボン(ポルトガル)、アテネ(ギリシャ、監督の故郷)と南ヨーロッパを転々とする。鮮やかな色彩はまるで地中海の太陽であり、おそらくこういった発想は同じヨーロッパ人でもイギリス人やドイツ人、北欧系からは出てこない。南ヨーロッパに出自を持つランティモスならではの発想だろう。

  その後、真冬のパリ(フランス)、そしてロンドン(イギリス)は寒色を主体に表現され、色遣いの効果は抜群である。後半の場面は画面から寒ささえ感じさせる。

  画面構成も大胆に歪ませた序盤のシークエンスから落ち着いたものへと変わっていく。その画面の変化は様々な経験を積んで理性を身に着けていくベラの変化そのものだろう。モノクロの序盤は野生の世界であり、色彩を持つ世界は理性と言うところだろうか。実に視覚の芸術である「映画」的な巧みな構成だ。

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