ダースレイダー連載小説『Mic Got Life~ライム&ライフ~』第1回「ラップとの出合い」

 ダースレイダーの連載小説『Mic Got Life~ライム&ライフ~』がスタート。今となっては考えられないことだが、90年代前半の日本において、ラップはまだ現在のようにメジャーとはほど遠かった時代。本連載はそんな90年代にラップを初めて聴いたロック好きの少年クウが、ラップの世界に惹き込まれながら、成長していく物語だ。ラップ好きの仲間と出逢い、時に衝突しながらも日本語ラップというジャンルを開拓していく中で、クウは、そしてシーンはどのように成長をし変遷を辿って行ったのか……。日本語ラップの黎明期から現在のシーンまでをストリートからリアルに眺めてきた著者による、新たなるラップノベルの誕生。

 その男は頭にバンダナを巻き、オーバーサイズのパーカーとスウェットパンツにバッシュでキメていた。足元には大きい真っ赤なラジカセ。そこからはカセットテープ特有のモコモコとした音質のドラムが大音量で再生されていた。ドラムのリズムに合わせて身体を揺らし、両手を大きく広げながら男は何やら捲し立てている。歌とも違う。

 そこは御茶ノ水にある駿台予備校3号館の自習室。1996年の4月、僕は大学受験に落ちて、浪人生としてここの国立文系コースに通っていた。自習室では浪人生たちが黙々とそれぞれ勉強していた。本来ならばシャッシャッと動く鉛筆の音とパラパラっと急いでページを捲るような神経質な音しか鳴らない空間だ。僕は自習室の扉を開けて、そんな神経質な空間に身を投じるつもりでややゲンナリしながらも身構えていた。

 ところが教室の端からはドラムの音だ。僕はすぐに違和感を感じたのだが、同時にそんなことには全く動じていないように勉強している浪人生たちの異様さにも気づく。両手を広げた男は勉強する人たちの世界からは完全に切り離されている。世界は二つに分かれていて、浪人生の世界の中には彼はこの部屋には存在しないのだ。

 「何やってるんですか?」

 「え?ラップだよ、ラップ! 君、知らないの?」

 僕は二つの世界を跨ぐような気持ちで男に歩み寄り声をかけた。ラップ。僕はラップをしている人を見たことがなかった。そもそも日本語でラップが出来るという認識も持っていなかった。

 その男はニヤリと笑って握手を求めてきた。

 「よろしく! 俺のことはケンって呼んでよ。」

 「あ、はい。僕はクウって言います。」

 「オッケー。クウ、今はラップだよ。マジで来てるから!」

 僕は1977年生まれ。親が新聞社の仕事で赴任していたため、ロンドンで生まれてから10歳まで過ごした。七個上の兄カイと二個下の弟リンがいるが兄とは遊んだ記憶はほぼない。
 80年代のロンドンではMTVが盛り上がっていて子供たちはマドンナ、マイケル・ジャクソン、カルチャークラブやペットショップボーイズのミュージックビデオを真似て踊って遊んでいた。特にマドンナの「パパ・ドント・プリーチ」は全身をぞくっとさせるものがあった。

 僕の最初に買ってもらった音楽はレイ・パーカー・ジュニアによる映画「ゴーストバスターズ」のサントラのカセットテープ。とにかく一緒に歌うのだ。

 10歳で帰国したが地元の小学校には馴染めなかったので弟とばかり話していた。最寄り駅の地下に新星堂があった。家族でどこかに出かけた帰りに寄るとビートルズなら買ってあげるよと両親が言ったので小学生の間に全アルバム揃えてもらい、弟ととにかく良く聴いた。イントロがかかればどの曲かすぐに分かるくらい聴き込んだ。

  受験して中高一貫の私立に受かったので、電車で50分ほどかけて通うことになった。

  中学生になったある日、弟が新星堂に行くと言い出した。自分の小遣いで欲しいアルバムを買うと言うのだ。僕は自分で買うという発想がなかったので弟に付いていくと新星堂のCD棚が全く違って見えることに驚いた。親にねだる時はビートルズの欄に直行していたのだが、実は店の端から端まで全てが僕の知らない音楽で埋め尽くされていたのだ。そんなに広い店ではなかったが、その時はぎゅーんと店内が広がり、壁は無限の奥行き、天井もどわ~っと持ち上がって視界がCDの棚でいっぱいになった。

 どれにしようか? ひたすら並んでいるCDの背を見ながらとにかくワクワクが止まらない。弟はジョン・レノンのソロアルバム「ジョンの魂」をレジに持っていった。僕は直感で手を伸ばした先にあったマイケル・ジャクソンの「デンジャラス」に決めた。これが初めて自分で買った音楽だ。1曲目の「ジャム」、ガラスがバリーンと割れる音と共に僕の音楽世界も開かれていく感じがした。窓は割れた。もう向こうを眺めてるだけじゃないのだ。

 そこからは小遣いは全部音楽に投入することになった。CDアルバムは一枚3000円、小遣いでは月に一枚だ。サッカー部だったこともあり、練習と試合以外の時間でとにかく買ったCDを大事に聴いた。枚数は買えない、厳選しなければ!あとはNHKのBSやWOWOWで放送されていた音楽特番やライブを録画してとにかく観る。邦楽には興味を持てず、もっぱら洋楽、しかも60年代から70年代の音楽にのめり込んでいた。

 新星堂にはいつも酔っぱらってるような顔をしたおっさんの店員がいて、いつも物欲しそうな顔で棚を眺めている僕に話しかけてくれた。

 「ビートルズ買ってもらってたよね? じゃあ次はライバルバンドのストーンズじゃない?」

 そう言われたので僕はタイトルでピンと来た「山羊の頭のスープ」をレジに持っていく。

 「ううん、これは渋いね。シングル集とかから始めたら?」

 「いや、これにします!タイトルがかっこいい!」

 こうして僕のファーストストーンズが決まった。おどろおどろしいイントロから始まる「ダンシング・ウィズ・ミスターD」。うおおお、全然ビートルズっぽくない!じゃあジミヘンは?ザ・フーはどう?ツェッペリンにディープ・パープルは?聴かなければいけないものがありすぎる。ウッドストックのビデオを見たらスライ&ザ・ファミリーストーンとサンタナの凄まじいライブにもぶっ飛ばされた。雑誌はロッキンオンとクロスビートを毎月読み、渋谷陽一の文章を丸暗記して音楽を語った気分になる。

 弟はいつの間にかギターを買ってもらっていて弾いていた。よし、僕も!と手にしてみたがどうも音がうまく鳴らない。そもそもFコードなるものが全く押さえられる気がしない。僕は弾く方じゃない、聴く方だ!と早々に楽器演奏は諦める。ただギターを軸に音楽を選び始めた弟に乗っかってジェフ・ベックやクラプトンは借りて聴き、ジェフ・ベック繋がりでスティーヴィー・ワンダーの「トーキング・ブック」に辿り着く。弟がブルーズに行くならこっちはソウルとファンクにしよう。J.B、P-FUNK、そしてプリンスだ。プリンスの邦題「戦慄の貴公子」のせいで僕は長い間Controversyという単語は戦慄という意味だと思い込んでいた。英語のテストでバツをつけられて驚いた。

 この頃になると学校にも音楽友達が出来てくる。ブラックミュージック好きにヘビーメタル好き、プログレファンにUKロック狂い、グランジ一直線のやつからインディーズ路線。彼らとCDの貸し借りをしながら気に入った曲はテープに録音して編集する。120分テープに上手く収めるには選曲と曲順が大事だ。曲の分数を書き出して片面60分になるべく多く曲を入れるためにあれこれ計算する。収録曲についての自作の詳しいライナーノーツを書き、それをインデックス部分に折りたたんで入れてウォークマンで学校の行き帰りに聴く。高校に進む頃にはそんなセレクションテープを20本以上は作っていた。

 僕が高校に進むとき、兄がアメリカのノースカロライナに行くと言い出した。全然家にいなかったのはバイトして金を貯めてたからだいう。急に父が寿司に行こうと近所のやや高級な寿司屋に家族を連れて行き、そこで兄から発表があった。両親は喜ぶでもなく、悲しむでもない不思議な顔をしていたが、兄は家を出るのだという固い意志が漲っていて、元々何を考えているかわからない人ではあったが、より謎の存在に感じられた。

 家に戻ると兄が部屋に来た。

 「お前、色々音楽聴いてるだろ?」

 「ああ」

 兄とはこんな話をしたこともなかった。兄が何に興味があるのもかも知らない。

 「行く前にこれをあげるよ。かっこいいぞ」

  兄はそう言うとCDを何枚かまとめて床に置くと出ていった。見てみると知らないものばかりだ。スヌープ・ドギー・ドッグ、サイプレス・ヒル、ハウス・オブ・ペイン、ウータン・クラン。

  ヒップホップ? ううむ、何やらジャケの色使いとかがドギツイ気がする。ちょっと怖い感じだ。

 とりあえずP-FUNKっぽい見た目のジャケのスヌープ・ドギー・ドッグをプレイヤーに入れると男と女が風呂に入りながらいちゃついてる声が流れ出した。

 兄は一体何を聴いているんだ? 僕はなんだか恥ずかしい気分になって慌ててCDを止めた。(続く)

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