町田康 初の自伝を語る「人間が根底から救われることはまずあり得ない」売り切れ続出『私の文学史』の裏側とは

町田康が初の自伝について語る

 作家にしてパンクロッカーの町田康氏が初めて自伝的内容を語った『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』(NHK出版)。8月に発売後、売り切れ続出で即重版となり、出版社にはファンから問い合わせが相次いでいるという。 


 
 同書では町田氏が幼少期から還暦を迎えた現在までを振り返っている。好きだった本や作家から、自身の作品解説、影響を受けた民謡・浪曲・落語・ロックまでが存分に語られた。 「あの世とこの世の間のその世」「わからんけどわかるのが詩の本質」といった、町田氏独自の名文句も多数収録された贅沢な内容だ。
 
 町田氏はなぜはじめて内面を「暴露」することとなったのか。 長年氏を愛読しているという作家・神田桂一氏がじっくりインタビューをした。(編集部) 

「自分語りはやりたくなかった」


――今回、自伝的な内容になっています。町田さんが自分語りはみっともないと思うという話から始まっていて、それを解禁されたと書いていらっしゃいました。どういう気分の変化だったのでしょうか。 

町田:きっかけは、NHK文化センターで、ときどき小説や詩の講演をしていたんですけど、一回きりで90分くらい話して終わりのものだったんです。例えば、中原中也の詩や日本の古典についてとか。それが連続講座で4、5回ぐらいやることになって。そんなにまとまった話もないもんですから、どうしようかなと思いました。自分がどんな本を読んできたかをこれまで話したことがなかったので、時代順に、子供の頃から、パンクロッカー時代、小説家になって以降、大きく分けるとその時期にどんな本を読んできたかを話すと面白いかなと思いまして。自分がその時のどんな状況だったかと合わせて話そうかなと思ったんですけれども。 

――はい。 

町田:でもなぁ、色んなことを言うのもなぁと思って。それほど面白いことかなと。みんなそれぞれ人間は、自分というのがあって、そこから逃れられずに生きているわけですよね。僕は言葉や小説に何を見出したいかと思っているかというと、色んなことがあるんですけど、一つあるのは自分からの脱却と言いますか。自分にこだわってくよくよ気にすること。例えば「俺は身長が高い」とか「俺は身長が低い」とか。「俺は「金持ちだ」とか「俺は貧乏だ」とか。そんな「俺は~」みたいなことからどう脱却していくといいのか。もちろん人間ですから、完全に脱却することはできないんですよ。でもなるべくそういう風になりたい。「私、私」って自分のことばかり言ってるのって、どうなんかなと思うんですね。 

 例えば、雑誌などのインタビューだったとしたら、ある文脈をつくってものすごく劇的に描くじゃないですか。「この本に出会ったんです!」「それで人生変わったんです!」みたいな(笑)。それをいくつか章立てして、一つの記事にまとめる。それは確かに読んだら面白いかもしれないけど、なんか白々しいじゃないですか。書くということをやっている立場からすると。「どっかこれ嘘あるよね」とわかる。わかりながらゲームに乗っかって面白がるというのでしょうか。ただそのゲーム自体が馬鹿らしいというのがあって。 

 だからそういう意味で自分語りはやりたくないなと思っていました。やる気も全然なかったし、自分のことばかり言うつもりもない。とは言うものの、さっき言ったように連続講座をすることになって。余計にドラマチックにせずに率直に、いまの立場から昔アホやったこととか、読んで思ったこととかを、もう一回振り返ることによって、聞いた人が面白いと思ってもらえればと思ったんですね。 

――町田さんレベルでも自意識に苦しめられてるというのを知れただけでも、すごい身につまされました。 

町田:そういうのに苦しめられてる人は多いんじゃないですかね。 

――いま、どんな文章を書く人でも自意識ばかりが出ている文章が多くて、それを読んでいて僕も辛いんですけれど。そういう文章が溢れかえっているので、そこからどう脱却できるかっていうのが、誰しも目標なんじゃないかと思いますね。 

町田:ある種のゲームというか、わかっていながらそれを消費するということがありますね。そういうのはなるべくやらないようにしてきました。今回も自分のことは説明に使っていますけど、劇的な「この本読んで人生変わりました!」みたいなことはないですね(笑)。 


――町田さんがやりたいことと言われたら、「笑い」と書いていらっしゃいました。笑いを考えてる時に自意識から脱却できる面はあるでしょうか。 

町田:笑いに限らずですけど、文章を書いていて面白いなと思う時、調子に乗ってる時というのは、自分を超えた何かを掴んでいるような感じはします。別の何かに触れている感じがある。ただなかなかそうならない時もあるんで、苦しかったりするんですけど。 

 笑いをやってる時はそれが面白いことに理由などないですから。なんで面白いかっていう方程式がないんですよね。そして文脈もないんですね。文脈が掴めたら別に面白くないですからね。ああ、なるほどねって終わる話で。自分でも何が面白いかわからないけど面白いわけです。笑いに限らずかもしれないですけど。

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