ブレイディみかこ 初小説に託した思い「他者への想像力を育てるには文化の果たす役割が大きい」

ブレイディみかこインタビュー

 貧困、人種、政治など現代社会のあらゆる問題をテーマに、鋭い眼差しで見つめた現実をノンフィクションとして世に送り出してきたブレイディみかこが、今回初の小説に挑んだ。2022年6月に刊行された『両手にトカレフ』(ポプラ社)だ。思春期の息子との日常をテーマに上梓し、累計100万部を突破した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)では描けなかった世界があったという。

 物語の舞台はイギリス。酒やドラッグに溺れる母親に振り回され困窮しながらも、自分と弟を守るために必死で生活する少女・ミアが、一冊の本に出会うところから始まる。ミアが生きる世界と本の世界が交互に繰り広げられていき、さらに同級生のウィルからの頼みでラップを書き始めて――。

 小説を書こうと思ったきっかけや、作品を通して伝えたかったこと、そして刊行から4カ月が経った今、読者からの反応を受けて改めて感じることなど、著者であるブレイディみかこに話を聞いた。(編集部)

ノンフィクションとは違う場所にも届いた

――『両手にトカレフ』が発売されて約4カ月が経過しましたが、反響はいかがですか?

ブレイディ:今作は特に女性からの反響が非常に大きくて驚いています。こういった取材も女性誌が多くて、10代や20代の若い世代向けのものから年齢層の高い世代向けのものまで、幅広い女性誌が取材してくださったり、書評を載せてくださったりしています。もともと私はノンフィクションライターとして社会的なことを書いていたので、ビジネス誌や新聞が取り上げてくれることが多かったんです。こんなに私の作品が幅広い年齢層の女性に受け入れられるのは、今回が初めてじゃないかなと。

 感想の内容もさまざまですね。最初の頃は、「子どもの貧困問題をどうするか」「大人も何かするべきだ」という意見が多かったですが、だんだんと「これは女性に対する応援歌なのでは」という意見も出てきています。『ぼくイエ』のような軽やかな感じではなく少し重いテーマを掲げたので、読みづらいだろうと思っていましたが、意外にも「一気に読んだ」「面白いって言っていいかわからないけど面白かった」「元気をもらった」というポジティブな感想もいただきました。そんな風に受け取ってもらえることは予想外でしたね。それが小説の読者なのかもしれません。

――表紙に描かれたミアとフミコのイラストと色鮮やかな配色が目に留まるので、多くの方が手に取りやすかったというのもあるかもしれません。表紙のデザインにはブレイディさんも携わっていますか?

ブレイディ:表紙のイラストは、『asta*』というポプラ社のPR誌で連載していたときから扉絵を描いてくださっていたオザワミカさんにお任せしました。オザワさんとはお話したことはありませんが、私の中にあるキャラクターのイメージを深く理解して絵にしてくださるから、「あ、ミアってこういう子なんだな」って逆に私がヒントをもらって物語を書き進めていく感覚で、毎月の連載はオザワさんと一緒に走ってきたような気がします。だから書籍が出ると決まったとき、表紙のイラストを描いてもらうのはオザワさん以外に考えられませんでした。

 デザインができたときには、もう文句なしでしたね。配色に関しては私の方にも相談があったんですが、若い人の意見をもらいたくて、息子にも一緒に選んでもらったんです。息子は私が今まで出してきた本の表紙の中で、今回が一番好きだと言っています。だから、これは若い世代に、しかも日本に住んでいない人にも訴求するんじゃないかと思います。私ももちろんすごく気に入っています。

本という媒体にはすごく可能性がある


――ミア視点で進む物語の中に、大正時代の日本のアナキストであるフミコ(金子文子)の物語が差し込まれていくという構成が、本作の大きな特徴だと思います。この構成にされた理由をお伺いしたいです。

ブレイディ:まず一つは、公営住宅地を舞台にした貧しい話はイギリスのドラマや映画でありがちなので、それだけの話にはしたくなかったんです。それから、日本の読者の方にミアの置かれた状況を他人事だと思ってほしくなかった。私はこれまでにも新聞のコラムなどでイギリスの貧困問題について書いてきましたが、やっぱり日本ではどこか他人事のように捉えられてしまうんですよね。でも私は日本にもミアのような子がいるんじゃないかと思っています。だからこそ、日本人の私が、英語ではなく日本語で、日本へ向けてこの話を書いたわけですから。金子文子に関しても、彼女が生きた時代は100年前ですが、今でもあんな風に苦しい思いをしている子がいると思います。100年経っても、国が違っても、貧困層の子どもが経験していることは同じなんじゃないか。そういった問題提起になるのではと思って織り込んだ部分もあります。

 ただ、私はイギリスに住んでいるので、今の日本の若い子のリアルな状況は知らないわけです。そう考えたときに金子文子という存在が出てきました。ノンフィクションでは、私自身が見てきたことを私目線で書くしかなかったですが、フィクションなら登場人物の気持ちまで書くことができます。ただ、50代の私が10代のミアの気持ちを書くのは難しい。そこで、自分が10代のときの感じていたことを思い出すために、金子文子の存在が必要だったんです。私自身も決して恵まれた環境で育ってはいないので、ミアと同じように10代の時に彼女の自伝をのめり込んで読んでいました。10代って感性豊かだから、本から吸収する力もすごいんですよね。ダイレクトに本の中に入っていけた、あの頃の自分を思い出しながら書きました。

――金子文子の本がミアの心の拠り所になったように、この『両手にトカレフ』もまた100年後に別の子を救うかもしれないですよね。そう考えると、本という媒体が繋ぐ可能性を改めて感じます。

ブレイディ:繋がっていくってすごく大事ですよね。私ももう半世紀生きているので、これから自分が何をするかというよりは、次の世代に何を繋げていけるかを考えるようになりました。発売されてすぐの頃、若い男の子たちがこの本について語ってくださっているPodcastを聞いたんです。そのうちの一人はラップは普段よく聴いていて、本はあまり読まないらしいんですが、「ミアは薄暗いキッチンやカフェの片隅で本を読んでる。それって俺たちがスマホ見てるのと同じだよね。スマホの中にはない人の話を聞く媒体として、本も読んだ方がいいかなって思った」なんて言ってくれていて、私はそれがすごく嬉しかったんです。

 イギリスは大学の費用が高いからどうしても行けない層の人がいるわけですが、本があれば大学の先生の話だって聞けるし、スマホじゃ見られない昔の人の話だって聞けるわけじゃないですか。図書館に行けば無料で読めるから通信料を払う必要もないですしね。だから本という媒体にはすごく可能性があるんです。脈々と繋いできているし、これからも繋いでいける。まだまだ可能性が残っている。そういう気持ちもあって、本という存在もこの作品の大切なベースにしたかった部分もあります。

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