満洲国にも理想や夢を託す人はいたーー「地図=国家」と「拳=戦争」を描き切った大作『地図と拳』

小川哲『地図と拳』レビュー

 地図は国家。拳は戦争(暴力)。小川哲の『地図と拳』は、満洲の地を舞台に、多数の人物を絡ませながら、国家と戦争を描いた大作である。第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を同時受賞した『ゲームの王国』もそうだが、非常にヘヴィーな内容なので、気力体力を整えて読んだほうがいいだろう。

 物語は、1899年の夏から始まり、1955年の春に終わる。群像劇であり、しかも時間軸が長いため、登場人物の立場も変わる。本格的にストーリーが動き出すのは第五章からだが、それまでにも重要人物が幾人も登場。軍人の高木。民間人の通訳で、のちにフィクサーのような存在になる細川。ロシア人神父のクラスニコフ。独自の思想を持ち、力を獲得していく孫悟空。義和団の乱や日露戦争と共に、彼らの歩みが綴られていく。この時点では物語が、どこに向かっているのか分からないのだが、後になってみると、いろいろな布石が打たれていることに気づいた。作者はじっくりと、作品の土台を作っていたのである。

 そして第五章になると、東京帝国大学で気象学を研究していた須野が登場。南満洲鉄道株式会社――通称「満鉄」の新井から、地図に記載されている青龍島が存在していなことを証明するよう頼まれたことで、地図の魅力に取り憑かれる。たまたま私は地図の歴史に興味があり、その手の本を何冊か読んでいたので、ここで一気に作品に惹き込まれた。

 さらに須野は、いつの間にか満鉄にいた細川の世話で戦争未亡人と結婚し、明男という息子を得る。子供の頃から時間そのものや、気温・湿度の数値化に魅了された明男は、帝大の建築科に進学。満洲の仙桃城都邑計画の学生瑞班員に選ばれる。そこで彼は、孫悟空の血の繋がらない娘で、抗日運動をしている孫丞琳と知り合うのだった。

 と、粗筋を書いてみたが、ストーリーの一部を切り取っただけで、かえって全体の流れが分りづらくなったかもしれない。だがそれは当然だろう。多くの登場人物は、それぞれの信念や思惑を持っており、バラバラに動いているのだから。戦争構造学(国家間の戦争とその結果を、物理学のように予測するための学問とのこと)を提唱する細川は、戦争に突入した日本の未来を的確に予測し、独自に暗躍。兵隊になった明男は、日本人が大陸で行った非道に心を痛めながら、仙桃城都邑計画をなんとかしようとする。孫丞琳は八路軍に加わるが、その教えには馴染めない。他にも多数の人物がいて、意外な形で繋がったりするのだが、きりがないので詳しく書くのは控えよう。ただ、満洲を描くのには、これだけの数の人間と時間軸が必要だったといっておこう。

 そう、作品の核心は満洲なのだ。ちなみに満洲を辞書で引くと“中国の東北一帯の俗称”とある。1932年に満洲国が誕生したが、周知のように大日本帝国による傀儡国家である。45年の日本の敗戦により消滅した。ほんの一時期だけ存在し、すぐに消えた幻の国なのだ。だが当時の地図には、たしかに満洲国があった。

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