満洲国にも理想や夢を託す人はいたーー「地図=国家」と「拳=戦争」を描き切った大作『地図と拳』

小川哲『地図と拳』レビュー

 少し話が逸れるが、本書の巻末に膨大な参考資料が挙げられている。その中の一冊、ジョン・ノーブル・ウィルフォードの『地図を作った人びと』がある。私が所持しているのは改定増補される前の、1988年に刊行された版だが、その中に、「地図で信用できるのは、ごく身近な環境を描いたものだけにかぎられていた。近代に至るまで、遠い土地や海を描こうとした地図は推測にもとづいたもので、不十分な調査、希望的観測、神学上のドグマ、あるいはすべてが想像の産物だったのである」という一文が記されている。これは地図上の満洲国にも、当てはまるように思われる。多くの日本人にとってそこにある満洲国は、自国の力を誇示するものであった。しかし無理やりに作られ、強引に維持されながら、十数年しか持たなかった国家である。確かに実在はしたが、希望的観測による想像の産物に等しかったのではないか。作者は満洲国の誕生と消滅の中に、仙桃城都邑計画の崩壊を入れ込み、二重構造で国家と戦争を描き切ったのである。

 だが、打算によって生まれた国家にも、理想や夢を託す人はいた。それを象徴するのが、須野が調べていた青龍島だ。なぜ、ありもしない島や土地が地図に書き込まれるのか。その意味が分かったとき、一筋の救いを感じることができた。また、明男の仕事となる建築が、人の暮らしや想いを伝える存在として、希望の光を放つ。国がなくなっても、残るものはあるのだろう。

 この書評を書いている現在、ロシアとウクライナの戦争は、まだ続いている。短期決着を信じてウクライナに侵攻したロシアに、本書の日本の姿が重なる。人間は常に愚かであり、愚行は繰り返されるのだろう。だからこそ、本書で示された希望を信じたい。なぜなら“地図”と“拳”は、今を生きる私たちの問題であるからだ。

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