岩波新書・編集長が語る、“現代人の現代的教養” 「教養とはよりよく生きるために大切なものを学びとる精神のこと」
新書の編集は未経験でした
――さて、前置きが少々長くなってしまいましたが、岩波新書の編集長になるまでの𠮷田さんの経歴を教えてください。
𠮷田:94年に入社して、まずは『新日本古典文学大系』というシリーズの編集部に配属されました。そこに5年くらいおりまして、その後は単行本の編集部が長かったです。かつて『文学』という雑誌があったのですが、その編集部員を兼ねていた時期もあります。
――その間、新書や文庫を編集したことは?
𠮷田:実のところ、ないのです。今年の2月から編集長を任されることになったのですが、いまの編集部で(新書の編集者としては)、一番の新米者は私なんです。先ほどから、偉そうに岩波新書の歴史を語っておりますが、とてもお恥ずかしいかぎりでして、実際のところは日々、「新書とは何か」ということを、まわりの人たちにいろいろと教わっているのが、正直なところです。
――失礼ながら、なぜそんな新書編集の経験のない𠮷田さんに、編集長の白羽の矢が立ったのでしょうか。
𠮷田:それは何とも、私にはわかりません……。それにしても、先ほど申し上げた『新日本古典文学大系』では、本文を作るのに1年以上、脚注の原稿にさらに1年、校正にまた1年近くかかるというペースだったのですが、新書は毎月数冊ずつ定期刊行されていくわけですから、まずはそのスピード感覚に慣れないといけない、と思っています。
新書は生き物だとつくづく思ったことがあります。アメリカの現代史をテーマにした新書の担当者が、毎日のように著者の先生と電話でやりとりをしているのですが、それを耳にしていますと、大統領選をひかえて、刻一刻と変わっていく状況に対応する形で執筆が進められていることが、分かります。今日書いていることが、次の日にはもう載せられないかもしれないという、そういう緊迫した状況下での本作りを眼の当たりにできて、個人的には新鮮でした。その一方で、最近刊行された『道教思想10講』(神塚淑子)のような、その分野の第一人者の方がお書きになられた教養新書があります。自分も読んで、大いに学ばせていただきました。
――ちなみに、岩波新書における編集長の仕事というものはどういうものですか。
𠮷田:他社の新書の編集長には、各担当者から回ってきたゲラを読んで校了にするという人もいるそうですが、我々のところでは、校了は各担当者が行います。新書の企画は、編集会で、提案者の企画をみんなで議論して、合議で決めていますが、その取りまとめ役をすることになっています。
――ということは、編集長が一編集者として本を作ることもあるのでしょうか。
𠮷田:もちろん、そうです。先ほど申し上げましたように今年の2月に異動したばかりなので、まだほとんど形にはなっていないのですが、今後は自分で企画した本を自分で編集していきたいと思っています。
新書編集部での私の初仕事は、『コロナ後の世界を生きる――私たちの提言』(村上陽一郎編)という新書の原稿を依頼することでした。この新書は、ベテランの編集部員2名による企画で、緊急出版的なものだったのですが、ちょっと変わった作り方をした1冊でして、編集部全員で手分けして作ることになりました。それぞれの編集部員が、日頃からお付き合いがある著者の方を中心に原稿を依頼して、雑誌のような作り方をした新書だと思います。
非常事態宣言の次の日に、村上陽一郎先生のところに編者をお引き受けいただくようにお願いに上がったことを覚えています。私自身は、ロバート キャンベル先生をはじめ、何名かの方に原稿をお願いしました。
――執筆者のみなさんはすんなり受けてくれましたか。
𠮷田:これは本当にありがたい話なのですが、原稿の依頼を断られた方はほとんどおられませんでした。それだけ今回のコロナの問題が深刻だということであり、また、「いま、多くの人たちに向けて何か書かなくてはいけない」というお気持ちが、執筆者の先生方のなかでも強かったのではないでしょうか。