もしも北海道が戦場になったら……日本社会の不快さを暴力によって浮かび上がらせる小説『越境』
一方で、どこか乾いたユーモアを感じさせるシーンもある。標茶に住む道東きっての有力者による拷問シーンのシチュエーションと流血量、中盤になって登場するとある巨大兵器をめぐるドタバタなどは、映像で見せられたらつい笑ってしまいそうな質感だ。シリアスで張り詰めた戦闘シーンと、理屈っぽく論理的な内省が織り交ぜられた本書だけに、合間合間に挟み込まれた「これ、ちょっとおもしろがってません?」というくだりの印象は強く残る。
それにも増して小説から伝わってくるのは、臭いものに蓋をして外面を保つためなら全力を尽くす日本政府と、日本国民の醜さだ。『越境』において、政府は10年前に北海道で発生した戦闘の尻拭いをきっちりしようとせず、身を賭して戦った自衛官だけがバカを見た上、北海道の半分を丸ごと見捨てるという方針に出た、という設定となっている。
さらに戦闘とその影響は道民にもおよび、北海道から本州以南に逃げてきた難民に対して日本国民は差別感情を抱き、戦闘に参加した自衛官や民兵、避難民に対して、世論は容赦ない攻撃を加えるのである。同胞にとことん冷たく、見たくないものを視界に入れずに日常生活を送るためならば実質的な棄民政策すら厭わない、日本社会の冷徹さがこれでもかと描写される。
いくらなんでも、そんなことにはならないでしょ……とは言いづらい。過去に災害や戦災に遭った同胞を差別し視界から追い出すことで、大多数の人々の「平穏な日常」を守った例がある。砂川は、そういった過去の例をもとに「もしも北海道でこの規模の戦闘が発生し、しかるのち中途半端な手打ちになったら」という事態をシミュレートしただけではないかと思う。同じ状況になったら確かにこうなるかもしれないな……という説得力がある。
そんな日本の国民性と言える部分に対して、砂川が静かに怒りを燃やしていることが、『越境』からは伝わってくる。『越境』において、「暴力にまみれ、自分の行動には自分で責任を持つしかない土地」として描かれた北海道は、ズボラで現状追認と弱者の切り捨てしか芸がない現代の日本のオルタナティブだ。そしてオルタナティブとしての北海道を設定し、内地 から来た自衛官をその中に放り込むことで、砂川は現代日本の歪さに光を当てている。方法としては、村上龍の『五分後の世界』に近いかもしれない。
『越境』は現代の日本社会にみっちりと詰まっているいやらしさや不快さを、戦闘と暴力によって克明に浮かび上がらせた小説である。もちろん前述のように、全編がバイオレンスとアクションに彩られ、ドライなユーモアも感じさせる多面的な内容だ。『小隊』の続編という位置付けであるが、同じ世界を舞台にしているというだけなのでこちらから読んでも問題なし。血風吹き荒ぶ世界へ、足を踏み入れてみるのはどうだろう。