「良いものはビール、悪いものは戦争」飲酒文化がもたらした“ビールは主食”の免罪符
筆者は酒飲みである。週に最低連続二日の休肝日というルールを敷いているが、少し油断すると蒸留酒が一瓶消えている。翌日後悔するのは言うまでもあるまい。
我が国は飲酒には伝統的に寛容だ。「無礼講」などその寛容さの象徴のような概念だろう。無礼講は本来、身分を超えた密談を行うための酒席のことを指し、酒席で重要な話し合いが行われてきたことが分かる。
日本人はアルコール分解能力が低い、いわゆる下戸の割合が高いとのデータがあるので実に不思議な話だが、医学的な合理性は置いておいて我が国はそういう文化なのだろう。さて、わが国では重要なコミュニケーションツールとなっている飲酒だが、他の文化圏はどのような飲酒文化がなりたっているのだろうか?
今回は主に、宮崎正勝(著)『知っておきたい「酒」の世界史』とトム・スタンデージ(著)『歴史を変えた6つの飲物 ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語る もうひとつの世界史』を元に世界の飲酒文化について綴っていくとしよう。
■主食としての酒
アフリカ大陸のエチオピアはアフリカでも特に独特の文化を持つ。多くのアフリカ諸国がヨーロッパに支配された歴史を持つのに対し、エチオピアはヨーロッパの支配をほとんど受けなかった。その結果、純粋培養された土着の文化が根強く生き残ることになった。
数々のアフリカの国を訪問した経験を持つノンフィクション作家の高野秀行氏は、エチオピアを「アフリカの京都」と表現している。当地の民族・コンソ族は「チャガ」という酒を主食とするきわめてユニークな文化を持つ。高野氏はそのコンソ族に取材をしているが、その食生活は朝昼夜3食すべて酒がメインという驚きしかない代物である。とびきりユニークなコンソ族の文化だが、実は酒が主食、もしくは主食に近い位置にいたことは人類史にいくつか類例が存在する。まずはメソポタミアとエジプトにおけるビールがそれにあたる。
メソポタミアには「良いものはビール、悪いものは戦争」ということわざがあった。「世界最古の物語」と評される『ギルガメシュ叙事詩』の中で野人だったエルキドゥはパンを食べ、7壺までビールを飲み、「文明人」になったと記述されている。ビールがことわざになるほど生活に密着した品で、メソポタミア「文明」を象徴する存在だったことが窺える。
メソポタミアがビール生誕の地となり、ビールがメソポタミア社会において重要な存在になったのは風土的に必然の結果と言える。メソポタミアを含む肥沃三日月地帯にはもともと野生の麦が自生していた。文明発展以前の人類は、粥やスープにしてそれを食べていたようだが、余ったそれらを取って置いたらたまたま発酵現象が発生してビールが出来た、または麦を貯蔵しておいた甕に雨水が入り、偶然発酵現象がおきてビールになったと考えられている。
メソポタミアにおいて「パンとビール」は「食べ物と飲み物」を表す一般的な言葉だった。エジプトでは「パンとビール」は生命維持に必要な食物を表す一般名詞だった。あるエジプトの碑文には、学齢期の子供の健全な成長のために小さめのパン三斤とビール二甕を毎日あたえるように促す記述がみられる。
メソポタミアでは建築や灌漑工事など現代の感覚では公共事業にあたるものが存在した。公共事業は神官によって指揮されたが、労働者が神殿から受け取る配給は「1日分のビールとパン」が一般的だった。エジプトでもギザのピラミッド建築に参加した市民たちにも給与替わりにビールが振舞われたという記録が残っている。
(余談だが、大航海時代、奴隷貿易でラム酒が支払いに使われた例も存在する)
これらから伺えるのは、古代メソポタミアと古代エジプトにおいてビールはただの嗜好品ではなく生活必需品であり、主食に近い位置にいたということだ。ビールとパンは同じく麦を原料とする。
メソポタミアでは「バッピア」というビール醸造用のパンが焼かれたという。バッピアはイーストを使ったパンよりも長く保存が効いたため、食べ物が不足したときだけは食べていたようだが、基本的にはビール醸造の原料だったようだ。
現代においてはビールは嗜好品でパンは主食だが、メソポタミアとエジプトにおいて両者は一体だった。ビールは液体のパンであり、パンは個体のビールだったとも言えるだろう。古代メソポタミアの都市国家ウルクを舞台にしたアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア」に登場人物がビールを飲む描写があったが、当時の文化を考えるとビールが登場するのは当たり前なのである。
時代と場所は変わり、モンゴルの馬乳酒にも「主食」としての側面があった。ユーラシアを東西に貫く約8000キロの大草原は、遊牧民の生活の舞台だった。果実の乏しい草原で、彼らが酒の原料として見出したのは馬乳である。馬は広大な大草原における生活必需品だった。遠く離れた集落間の連絡、軍事遠征などがすべて馬によってなされていた。馬乳に含まれる乳糖は本来、アルコール発酵に馴染まないが、草原地帯に乳酸を発酵させる種類の酵母が存在したことも幸いした。
遊牧民は2500年も前から、革袋を使って馬乳(またはラクダの乳)を発酵させていた考えられている。トルコ語で「クミス」、モンゴル語で「アイラグ」と呼ばれる酒はいずれも馬乳酒である。
世界の酒は多くは穀物や果実などの植物性の原料を用いるが、馬乳酒は動物性の原料を用いる。非常に珍しい。大草原で見出された遊牧世界の酒と言えるだろう。
馬乳酒は豊富にビタミンCを含み、血管の強化、新陳代謝の促進効果があった。栄養を補う、遊牧民にとっての「生命の水」だったのだ。マルコ・ポーロは『東方見聞録』で「彼らは必要に迫られればいつでも些細な馬乳と自ら仕留めた獲物だけで一か月を一か所で駐留できる」と記している。
遊牧民が馬乳を発酵させて飲んだ理由は、そのまま飲むと下痢になりやすかったからだと言われている。家畜が供給する食材を少しでも無駄なく摂取するための生活の知恵である。
馬乳酒はアルコール度数が1から3パーセント程度と、今はやりの微アルコール飲料並みに低く、乳酸発酵で醸造されることからドロドロしたヨーグルトのような形状になっている。そのため、ドンブリで数杯飲んでも酩酊しない。モンゴル人男性は、ひと月に約4リットルの馬乳酒を飲むとの調査結果もある。馬乳酒もまた主食に近い位置にあると言えるだろう。
ちなみに日本の「カルピス」は三島海雲が馬乳酒をヒントに製造したものであることも付け加えておこう。