小川哲、なぜ自らを小説の主人公にした? 最新作『君が手にするはずだった黄金について』を語る

小川哲、自分を主人公にした理由
小川哲『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)

 SF、歴史、ミステリなど様々なジャンルの小説を横断的に執筆し、単行本すべてが文学賞を受賞するなど、最注目の作家・小川哲氏。山田風太郎賞と直木賞を受賞した『地図と拳』(集英社)、本屋大賞にノミネートされて13万部超のベストセラーとなった『君のクイズ』(朝日新聞出版)に続く、待望の最新作が『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)だ。発売後1週間で増刷が決定し、SNSでも反響を呼ぶなど大きな話題となっている。

 本作は「僕=小川哲」を主人公に据えた6つの連作短篇集。登場するのは、オーラが見えるという占い師、偽物のロレックスを自慢げに巻く漫画家、インスタに派手な私生活をアップする金融トレーダーなど。いかがわしくも、どこか興味をそそられる人々とのかかわりが描かれている。なぜ一人称小説でそうした人物を描いたのか。小川氏に話を聞いた。(篠原諄也)

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なぜ自分を主人公にしたのか?

ーー小川さんご自身が主人公の一人称小説にした経緯を教えてください。

小川:ちょうど『地図と拳』(直木賞受賞作)の連載と同時期に執筆していましたが、それとはまったく違うものにしたいと考えました。(戦時中の満州を舞台にした)同作は調べ物が大変だったこともあり、こちらは現代の身近な話にすると書きやすいだろうと思ったんです。

 最初に作家の目を通じて、小説について考えるということをやりたいと思いました。それで主人公・語り手の名前をどうしようかと考えたときに、もう自分の名前でいいんじゃないかと。だから自分自身を主人公にしたのは、後からくっついてきたことでした。

ーーどの短篇も本当の話のような読み心地でした。ご自身の経験はどれくらいベースにしているのでしょうか。

小川:どれも自分の体験を元に書いていますが、どこまでが事実で、どこからがフィクションか、というのは読み手の人に考えてもらえたらと思っています。そのような線引きをして面白くなるタイプの小説でもないですしね。

 そもそも小説というものは、すべてが自分の経験が元になっているとも言えます。もちろん調べて書くことはありますが、それも自分のフィルターを通した上で作品にしている。その意味では、自分の人生で体験したことから書かれているという言い方もできるでしょう。

ーー実際にご自身を主人公にして執筆してみていかがでしたか。

小川:書きやすいところと書きにくいところがありました。書きやすかったのは、語り手のキャラクター造形をする必要がなく、ここでは何を思っているだろうなどと、いちいち考えなくてよかったこと。一方で書きづらかったのは、自分をかっこよく見せないように調整する必要がありました。語り手などの登場人物は、どうしても小説の都合によって動かされてしまうので、必要以上にかっこよくなってしまうことがある。しかしそうすると、僕がかっこつけているように見えるリスクがある(笑)。だからなるべく率直に書くように気をつけました。

ーー日本文学には私小説がありますが、本作はそれとはまた違う文脈だとお考えですか。

小川:戦前の自然主義的な私小説とは一線を画していると思います。今では私小説という言葉自体が死にかけている。そうした意味での私小説を書く現代作家は、西村賢太さんくらいだったのではないでしょうか。

 でも例えば、アンソニー・ホロヴィッツの「ホーソーンシリーズ」では、語り手がホロヴィッツ自身だったりする。僕が好きな阿部和重さんの『シンセミア』にも、阿部さん自身が登場しますし、村上春樹さんの『一人称単数』もそうした試みでした。

 語り手の視点から見た世界を、なるべく現実に近い形で書くことを競うのではなく、作品内の読み筋を増やすために自分自身を登場させる。そうした現代風の私小説的な作品に影響を受けていると思います。

読書という行為の特異性

ーーご自身の昔の記憶を思い起こすのはいかがでしたか。

小川:僕は本当に都合の悪いことや嫌なことはすぐ忘れてしまうんですよね。楽しい思い出ばかりなので、小説を書くときも結構大変でした。

ーー楽しい思い出以外は忘れてしまうというのは、なんだか猫みたいですね(笑)。しかし嫌な記憶にとらわれてしまうよりはよさそうです。

小川:そうですね。だから人生を振り返ると楽しいんですけど、果たしてそれでいいのかという気はしていますね。例えば、小説を書き終えてから、インタビューで「何が大変でしたか」と聞かれても思い出せなくて、「いや楽しかったですね」などと答えてしまう。でも実際は苦労しながら書いているはずなんです。『地図と拳』もめちゃくちゃ大変で、一年間休載までしていますし。普段はこんなに楽しい小説家という仕事を、なぜみんなやらないんだろうと思っているけれど、実は僕がきつかったことを忘れているだけなのかもしれません。

ーー大学院生だった時の就活などを描いた「プロローグ」では、読書論も書かれていて印象に残りました。例えば「読書とは本質的に、とても孤独な作業だ」とありました。小川さんにとって、本を読むとはどういう行為ですか。

小川:僕自身の考えも、作中で書いていることに近いです。孤独というと言葉がよくないのですが、読書は著者と読者が二人で対話する空間であるように感じています。一方通行ではあるんですけど、一対一でじっくり話を聞いているような感覚です。

ーーそうした孤独のなかにも、実世界では味わうことのできない「奇跡」が存在すると書かれていました。これはどういうものでしょう。

小川:それを説明するというのも野暮ですけどね(笑)。でも小説が好きな人だったら深く感動し、それがうまく言葉では言い表せないような、何ものにも代え難い経験になることはあると思います。

ーーまた「本は読者にかなりの能動性を要求する」「読者は自分の意志で本に向き合い、自分の力で言葉を手に入れなければいけない」と書かれていましたね。確かに読書は、他のエンタメと比べて鑑賞者の資質による部分が大きいと思います。読者が読んで、初めて作品が完成するようなところがある。

小川:そうですね。読み手が前のめりになって気をつけて読まないと、情報を拾えないようなものだと思うんです。それが本の弱みでもあり、強みでもある。普段本を読まない人に、どうやったら楽しく読んでもらうかを考えるときに、その点は作り手としてもあれこれ考えるところですね。読者と著者というのは、他の創作物とは少し違う関係性であるような気がします。

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