『H×H』ネテロ会長「感謝の正拳突き」は最強の修行? 直木賞受賞の小川哲『地図と拳』に与えた影響
小川哲氏による歴史SF巨篇『地図と拳』が1月19日、第168回直木賞を受賞。同日に行われた記者会見で小川氏は、作中の修行シーンについて愛読しているという人気漫画『HUNTER×HUNTER』(冨樫義博)で描かれた「感謝の正拳突き」のエピソードを意識したと語り、これに負けないものが書けたと胸を張った。『地図と拳』をこれから読む人も多いタイミングなので具体的なネタバレは控えるが、銃で撃たれても死なない肉体を作る「神拳会」の修行の描写は、確かに凄まじいものがある。
さて、直木賞受賞作にも影響を与えた「感謝の正拳突き」とは、一体どんな修行なのか。ほとんどネットミームになっているエピソードなので、言葉は聞いたことがあるという人が多そうだが、詳細については知らない人も少なくないはずだ。
この修行の当事者は、ハンター協会会長で心源流拳法師範でもあるアイザック=ネテロという人気キャラクターだ。120歳を超えると思われる高齢にもかかわらず、作中でも上位の戦闘力を持つネテロが、どんな強者からも先手を取る“不可避の速攻”を可能にした修行であり、『HUNTER×HUNTER』の休載に際してYouTuberの樽江突撃さんが毎日実行していたことも話題になった。
46歳の時、自分の肉体と武術に限界を感じ、悩み抜いたネテロがたどり着いたのは「感謝」だった。自分自身を育ててくれた武道への大きな恩を少しでも返そうと取り組んだのが、1日1万回に及ぶ「感謝の正拳突き」である。
手順はこうだ。気を整え、拝み、祈り、構えて、突く。当初はこの一連の動作について1回当たり5~6秒かかり、1万回を突き終えるまでに18時間以上かかったと記述されている。山にこもり、これを欠かさず続けて2年がすぎた頃、ネテロは1万回突き終えても日が暮れていないことに気づく。50歳を超えて1時間を切り、「かわりに祈る時間が増えた」という名シーンにつながる。結果、ネテロの拳は“音を置き去りにする”速度で放たれることになった。拝むように手を合わせる動作が起点となる念能力「百式観音」が相手にとって不可避である所以だ。
現実的に考えれば肉体的な負担も恐ろしい修行だが、巨大な岩を山頂まで運ぶわけでも、極寒のなかで滝に打たれるでもない。あまりにも膨大な時間をシンプルな反復に費やすという“静かな狂気”がこの修行のポイントで、特に、自身に課した制約や思いの強さが能力に直結する『HUNTER×HUNTER』の世界で、作中最強クラスの技を手にした理由としての説得力が凄まじかった。
まとめると、「感謝」という前向きな行為/感情を起点とした、過酷さを強調しない静かな修行であり、しかし膨大な時間を要するため、狂気じみたレベルの肉体と精神を伴わなければやり切ることは不可能で、(作品世界では)「結果」に対する大きな説得力があるのが、「感謝の正拳突き」という修行だといえる。体をいじめ抜くだけの修行の描写には限界があり、それがどんな過酷なものでも、直木賞作家の琴線には触れなかっただろう。実際、「神拳会」の修行は肉体的にも極めて過酷なものだが、それは身体の強さの前提となる「鉄壁の精神」を得ることを目的としている。
『ドラゴンボール』をはじめ、バトルを主軸とする漫画にはそれぞれ印象的な修行のシーンがあるが、そのなかでも「感謝の正拳突き」はどこか文学的だ。このエピソードが収録されているのは、コミックス25巻。『地図と拳』と合わせてチェックしてみてはいかがだろう。
■参考動画 https://www.youtube.com/watch?v=Yr3XF9jObuc