杉江松恋の新鋭作家ハンティング 狭い世界の“残酷さ”を巧みに描き出す、朝霧咲『どうしようもなく辛かったよ』
生きづらい、と主張するだけでは小説としては成立しがたい。そう考えるものである。生きづらいのはなぜなのか、という具体的なものが伴っていないことには他人の物語に関心を持てないし、理由を羅列されたところで読む義理はない。それをどのように語ってくれるかが重要なのである。何を、よりも、どう、に力点を置くべきだと考える。
朝霧咲『どうしようもなく辛かったよ』(講談社)に最初食指が動かなかったのは、そういう理由だと思う。辛かったよ。そうかそうか大変だったね。で終わってしまい、関心を持つまでに至らなかったのだ。しかし本作は第17回小説現代長編新人賞に輝いた作品である。主張を叫んだり、理由を羅列したりするだけの小説であるわけはない。いや、そうであってもらいたい。
思い直して手に取り、第二章まで読んだところで、ああ、そういうことをしようとしているのか、と感嘆した。早く読まなかった私が悪かった。これ、ものすごく好きな小説だ。あとは一気呵成に読んだ。読めば読むほどこの小説が好きになり、作者に対する興味も湧いてくる。
せっかくだから自分の読書を追体験する形で説明させてもらおう。本作の中心にいるのは中学二年生の女子生徒七人だ。彼女たちはバレーボール部だが、二年生の部員がいないので新入生が入ってこなかったら自動的に廃部になってしまう。しかしそんなことはまだ先の話で、日々の部活に没頭している。七人のうち経験者は真希一人だけだった。だが顧問の藤吉先生が熱血指導してくれたおかげで全員が前向きにバレーボールに取り組めている。チームの仲もいい。部活が終わったらみんな一緒に帰宅するほどだ。そんな部は他にないので、仲がいいねといつも言われる。
三年になったところで行先に暗雲が立ち込める。絶大な信頼を寄せていた藤吉先生が他校へ転出してしまったのだ。「中学の部活動の強さは、ほとんど顧問の先生で決まる」ので「デブのじじい」だったらどうしようと第一章の視点人物である若菜は言う。不吉な予感が当たる。「デブとじじい」だったのだ。「正顧問のデブは三十代の女性で、副顧問のじじいは六十代」であった。近くに来てしまった嫌いな人間に対し、中学三年生は容赦ない。「片方は脂肪がありあまり、もう片方は髪が不足している。足して二で割ってもちょうどよくない」とチームメイトの桜は言う。うまいことを言ってどうする。こういう身も蓋もない、他人を傷つけるスレスレのギャグがこの書き手は上手い。笑える文章がけっこうあるのだ。辛い辛いと言い立てるだけの小説ではないことがそれでわかる。
ここで逆境に負けずに弱小チームががんばる、という方向に行けば本作はスポーツ青春小説になるのだが、作者の舵取りは違う。第二章では視点人物が代わり、若菜と同じバレーボール部だった真希になっている。唯一のバレーボール経験者だった真希だ。すでに七人は部活を引退していて、そろそろ進路を決めなければならない時期になっている。公立高校を二校受けることができるが、受験日の都合があるから行きたいところを両方受けられるとは限らない。文武両道で成績も悪くない真希なら、偏差値がいちばん高い桜西高校にも挑戦できる。しかし落ちたら目も当てられない。桜西よりも少し劣るが同じように進学率のいい明成を受けることもできる。実はそっちのほうが自宅から近いし、受かる確率も高いのである。だが、成績のいい子だと周囲に認識されているという自覚のある真希は、明成を選んだら逃げたと言われそうな気がして、その決断には踏み切れない。いつまでも悩んでいる。
ここで、どうしようか、どうしようかな、と悩んでいる真希が、いち早くスポーツ推薦で進学先を決めた優斗に、あんたはいいよね、もう頑張らなくていいから、と面倒臭くからみ続けるのがいい。容姿がよくて身体能力の優れている優斗は、女子生徒たちから「推し」認定されている。最近は芸能人とか二次元のキャラクター以外にもその概念が広まっているのか。知らなかった。みんな遠巻きに見ているだけの推しに真希がダルいからみをするのは、周囲の女子に対して、私はあんたたちとは違うんだからという優位性を示す意味もあるし、もちろん優斗に対して親愛の情を示しているわけである。このへんの振る舞い方で真希の性格を見せているのだ。
このように、章ごとに視点人物が交代し、それぞれの立場、性格から中学三年次の教室で起きていることが描かれていく。視点人物が中学三年生だから、世界の狭さというものが重要な意味を持っている。自分が他人からどう見られているかに執着する真希は、狭い世界の中での順位付けに驚くほど敏感なのである。第四章で視点人物となる桜にとって教室内で孤立しないことはさらに切実な問題だ。学級内にはいじめが存在している。一人になったものは必ずその標的になるからだ。第一章ではかけがえのないチームメイトとして、若菜の目から美しく描かれた人物が、この章ではいじめ対象の机に笑いながら画鋲を刺し、プリントを切り刻む姿が描かれる。その落差には愕然とさせられるが、両方とも偽らざる真の彼女なのである。