杉江松恋の新鋭作家ハンティング どぶどろの中に突如として星が輝く小説『金は払う、冒険は愉快だ』

新鋭作家ハンティング『金は払う、冒険は愉快だ』

 未知の才能に出会うのは楽しい。

 それが予期せぬ時の出会いであればなお楽しい。

 今回、川井俊夫『金は払う、冒険は愉快だ』(素粒社)で最上の喜びを味わった。読みながら、な、なにこれ、と思わず声が漏れたのはひさしぶりである。こういう機会があるから読んだことのない作家の本を手に取るのだ。川井俊夫、ありがとう。

 名乗らない主人公〈俺〉の一人称で進んでいく小説だ。〈俺〉は関西地方のどこかで買い取り専門の古道具屋を営んでいる。築数十年の文化住宅一隅に店舗はある。買い取った品を別の業者に売ることで利益を出す。持ち込みの品ならばいいが、出張買い取りの場合は実際に現場で物を見るまで価値がわからない。それが題名にある冒険の意味なのだ。

 いくつかのエピソードが続けて紹介されていく。朝の七時三十分に〈俺〉の携帯電話が鳴る場面から小説は始まる。画面には「茶道具がたくさん、早口でうるさいジジイ」と表示される。以前に依頼を受けたことがある相手で、携帯電話に登録済みということだ。以降、ジジイに初めてあったときの模様が綴られていく。ジジイは話していてたじたじとするぐらい元気がよかった。それはいいのだが、連れていかれたのがとんでもないゴミ屋敷だったのである。

 ここの描写が凄絶なのでぜひ引用したいが、読むのを止めてしまう人が続出しそうな気がするので割愛する。そういう屋内である。閉口しつつも作業を進めていき、発見したのは純金製のゴブレットだった。一キロはある。〈俺〉はキレながらジジイを呼んだ。ジジは、わしのねんきんの何年分や、と激しく興奮しながらその事実を受け止める。あんたはすごい人や、信用できる、と主人公を褒めたたえながら。

〈俺〉は思う。

——泥棒しないで聖人扱いされるなら、世の中は聖人だらけになっちまう。それに俺は一秒だけ、本当に盗むつもりだった。盗まなかった理由は俺のルールブックにそう書いてあるからだ。誠実だからでも真面目だからでもない。道具屋は悪党の家業だ。だが悪党にもルールはある。たとえ信念やポリシーはなくても、相対化されない。自分だけの正義がある。誰のためでもない、自分の世界を自分のやり方で生きるためのルールだ。

 ここで痺れた。「だが悪党にもルールはある」だって。他人からは決して賛美されることのない生き方をしているが、自分なりの規範からは決して逸脱しない主人公を描く。それって、本来の意味のピカレスク・ロマンじゃないか。

 たいへんだ。私は今、本当のピカレスク・ロマンを読んでいる。

 その次は、店にやってきた老婆から買い取りをする話だ。短いのだが、はじめのほうにある、「選択肢は二つだ。さっさと自殺するか、目の前の肥溜めに飛び込んで、なにか少しでもマシなものを探すか。だから人生のほとんどの時間は最悪だ」という文章にやはり痺れた。なんだこの作者は、文章が煌めいている。ごてごてと飾り立ててはおらず、どちらかといえばぶっきらぼうな文章なのに、時折隠し切れない光を放つのである。金無垢の表面を覆う泥が剥がれたかのように。眩い文章に出会うたびに、手を止めて読み返してしまう。何度も、何度も。

 買い取りにまつわるエピソードがいくつか続いたあと、〈俺〉は自らの過去を少しずつ語り始める。なぜ古道具屋をやっているのか。かつて〈俺〉は糞の海に飛び込んで一度だけ宝物を見つけたことがあるという。現在の妻との出会いだったのだが、その経緯も明かされる。希死念慮に満ちた、というか、すでに死んでいるのに身体がそれに追いつかず、生きたゾンビとなった者の日常が回想形式で綴られていく。淡々としているのに、細部のディテールがくっきりとしているので鮮やかに情景が蘇ってくる。ある時点で〈俺〉は底を蹴って浮上を始める。しかしそれとは気づかず、同じように来るべき死の中で生きているつもりになっているのである。このへんを説明しすぎず、微かな生命の息吹を文章に忍ばせることで予兆として見せているところも巧い。

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