宗教学者・島田裕巳が考える、陰謀論の時代の知性「ディープステート論を“否定”しても意味がない」


「ディープステート」を笑い飛ばせる時代は終わったのかもしれない。世界を陰で操る闇の政府――ディープステート。かつて荒唐無稽な陰謀論とされた存在を、米大統領のドナルド・トランプや前英首相のリズ・トラスは実しやかに口にする。インターネット上で拡散される噂は、時に人々の投票行動を左右し、時にデモや暴動の引き金ともなる。実在の有無はともかく、ディープステートは間違いなく”世界を動かしている”のである。
熱病のまぼろしにも似た事態を、私たちはどのように受け止めるべきか。今年2月に『ディープステート 2500年の興亡 陰謀論の世界史』(徳間書店。以下、本書)を上梓した宗教学者の島田裕巳氏に聞いた。島田氏は「ディープステートは「現代の神話」です。私たちはディープステートなしには生きられない」と話す。ディープステートが「神話」とは、どういうことか。その真意とは。
人間は「陰謀論的な思考」から逃れられない

――本書で、ディープステートを「現代の神話である」と述べています。どういうことでしょう。
島田裕巳(以下、島田):ディープステートの実在を唱える主張は、一般的に陰謀論と呼ばれるわけですが、私の専門である宗教の歴史では陰謀論的な発想がたびたび顔を覗かせます。「宗教の歴史は陰謀論の歴史」とも言えなくはない。
例えば、「悪魔」にあたる存在はキリスト教にもイスラム教にも仏教にも見られますが、それらは災厄や苦痛の説明原理として機能しています。当たり前ですが、人生には不条理な出来事や避け難い苦しみが伴います。しかし、「なぜ人生は苦しいのか」「なぜ不条理な出来事が起こるのか」という問いには明確な答えがない。そのとき悪魔の存在を仮定すると説明が容易なわけです。「人生が苦しいのは悪魔がいるからだ」と。
こうした世界認識は、宗教の信者にとっては「真理」に他なりませんが、その他の人々にとっては陰謀論と大差ありません。陰謀論も、ある「悪」なる存在を仮定して、政治や社会の不都合を説明しますから。
つまり、宗教の教義と陰謀論には構造的に重なる部分が多い。ならば、宗教学の概念や枠組みでディープステート論を分析することもできるかもしれない。そう考えたのが本書の執筆動機でした。
――絶対的な「悪」を仮定して不条理を説明するのは、人間の「思考のクセ」であると。その一例として、本書ではディープステートの起源である「デリン・デヴレト(derin devlet)」を挙げています。
島田:トルコ語のデリン・デヴレトは、直訳すると「深い国家」を意味します。英語に訳すとディープステートですね。
デリン・デヴレトという言葉は1990年代のトルコで広まりました。第一次大戦後のトルコ革命以来、トルコはイスラム教を国教とする社会からの世俗化を進めましたが、その体制を維持するため、政治家や軍、裏社会などが秘密裏に結託していました。ある事件をきっかけに彼らの暗躍は明るみになりますが、その頃からトルコ社会では「影の権力」であるデリン・デヴレトへの批判が高まっていきます。つまり、デリン・デヴレトは憲法や法律などの民主的な制約を受けずに社会を裏で操る権力を名指して糾弾する言葉だったのです。
その後、デリン・デヴレトの概念はアメリカに輸入され、インターネットカルチャーや右派メディアを通過しながら現在のディープステート論に形を変えます。その過程を本書では解説していますが、そうした経緯を追ってみると、陰謀論は政治体制の転換や権力の崩壊の時期に台頭すると分かります。社会が一変し、権力の構図が変化するなかで広がる不安が、陰謀論的な心性を育てる土壌なのです。
「陰謀」がなくなり、「陰謀論」が流行する
――本書ではディープステート論が台頭する背景として、冷戦崩壊後の社会情勢の変化を挙げています。興味深いのが「陰謀論」と「陰謀」を区別していることです。
島田:東西冷戦下では米ソを中心に諜報活動や秘密工作が事実として行われていて、共産主義政権の樹立など現実政治にも影響を及ぼすことがありました。そのこと自体は周知の事実で、映画やドラマなどのエンターテイメント作品では「スパイもの」が人気でした。当時の庶民にも「陰謀を働く諜報部員」の存在にリアリティがあったわけです。
「陰謀論」の真偽は別にしても、東西冷戦下における大国間の「陰謀」は紛れもない事実であり、その当時に養われた「何者かが世界を裏で動かしているかもしれない」という感性が、現在のディープステート論の台頭を支えています。
――しかし、冷戦が崩壊して「陰謀」は影を潜めたにもかかわらず、その後に「陰謀論」が影響力を持ったのは不思議です。
島田:「にもかかわらず」ではなく「だから」でしょうね。一言でいえば「誰を悪者にしてよいか分からないから陰謀論が流行る」のです。旧西側諸国からすると、東西冷戦下は「悪者はソ連」ということにしておけば話が早かった。しかし、冷戦が崩壊してソ連という分かりやすい悪者は消えたのに、悲惨な事件や不都合な出来事はなくならない。ということは、影に隠れた存在が世界を動かしているに違いない。こうした疑念が生じたときに、ディープステートのような仮想敵が必要になるわけです。
さらに、インターネットが陰謀論の加速装置の役割を果たしました。冷戦崩壊後には急速にグローバル化が進み、インターネットによって世界各国が情報で繋がって自由で民主的な世界が到来すると期待されていた。しかし、現実には、権威主義的な国家が軍事力や経済力を背景に台頭し、グローバル化に抵抗する紛争も絶えない。安定した世界秩序の理想が失墜する一方で、情報の流通量は増大して人々の不安や不満を拡散していきます。こうした環境がディープステート論をはじめとした陰謀論の伝播に一役買ったのは間違いありません。
ディープステート論が日本で流行りにくい理由

――ディープステート論の流行はアメリカが中心ですが、日本にも信奉者は存在します。日本におけるディープステート論についてはどのように思われますか。
島田:昨年、注目を集めた「財務省解体デモ」にもディープステート論の信奉者が参加していたと報じられていますし、日本でも社会運動に一定の影響を与えているのは間違いないと思います。
ただし、日本においてディープステート論が政治と深く結びつくかについては疑問です。先ほども述べた通り、陰謀論は絶対的な「悪」を仮定する宗教観が下敷きになっていますが、日本では相容れない部分も多い。
「カバール」がわかりやすい例です。カバールとは、ディープステートを裏で操っているとされる秘密結社で、アメリカの陰謀論集団「Qアノン」が実在を主張しています。カバールは悪魔崇拝の小児性愛者集団で、誘拐した子供たちを拷問・殺害する秘密の集会を開いているといいます。
ここには「魔女」のイメージが多分に投影されている。中世ヨーロッパにおける「魔女狩り」は広く知られていますが、当時、魔女は悪魔と契約を結び、赤子を誘拐してサバトと呼ばれる夜会で生贄に捧げていると信じられていました。子供を誘拐したり、怪しげな儀式を催したりと、カバールのイメージと酷似しています。そもそも「カバール」という名前もへブライ語の「カバラ」が語源であり、カバラはユダヤ教における神秘主義を指します。このように、ディープステート論は「善と悪」や「正統と異端」を厳格に区別する宗教観の影響を強く受けています。
一方、日本では「神仏習合」に象徴的ですが、土着的な信仰と明確な教義を持つ宗教が共存してしまう。しかも、海外勢力に侵略される経験に乏しく、世界的に見ると特異な宗教観が長らく温存されてきました。こうした土壌では、教義に背く禁忌の感覚が薄く、絶対悪の存在も意識されにくい。つまり、ディープステート論の影響は限定的なのではないかというのが私の考えです。
実際に、日本ではディープステート論が欧米に比べて広がりに欠けます。その背景には欧米社会との宗教観の相違があるのかもしれない。とはいえ、最近は社会運動が過激化しつつあり、その情勢が信奉者に影響に与えることも考えられるので、安易に侮るのも危険なのですが。
ディープステートを「否定」しても意味がない

――ディープステート論の悩ましいところが、一定の事実を含む点だと思います。近頃、公開の進んでいる「エプスタイン文書」がその代表例です。
島田:Qアノンがカバールの実在の根拠としていたのがエプスタイン文書でした。少し前までは荒唐無稽な陰謀論と扱われていたわけですが、政財界の要人がエプスタインの手引きで未成年を含む性的な人身売買に関わっていたことはどうやら事実のようです。ディープステート論には、大袈裟な扇動や戯画的な表現が多分に含まれるわけですが、かといってあらゆる主張が事実に反するわけでもない。
――となると、ディープステート論を容易には否定できなくなってしまいます。
島田:そもそもですが、「否定」しようというのが間違っています。陰謀論は「信じるか否か」の次元で捉えるべき事象であり、「事実か否か」を問うても仕方ありません。
――「事実」ではなく「信じる」とは、どういうことでしょうか。
島田:ある物事が事実かどうかと、その物事を信じるかどうかは、全く別の話です。宗教の教義は科学的に実証ができません。聖母マリアが処女のままイエスを身籠ったという「処女懐胎」のエピソードが事実だと思っている人は日本では稀でしょう。しかし、その教義を信じている人は世界中に存在していて、世界宗教であるキリスト教の習慣や文化が成り立っています。
陰謀論を頭から否定するのは「処女懐胎は科学的に不可能だから、キリスト教も虚構である」と叫んでいるのに近い。無意味だと思いませんか。そんなことを言っても、信じている当人は意に介さないでしょうし、往々にして反論の理屈はすでに用意されています。
だから、もし陰謀論を問題視するのであれば、単に反論するのではなく、「信じる」の裏にある動機や背景を明らかにしなければなりません。そうでない限り、根本的な解決にはならない。
――そうした際に宗教学の知見が有用だと。
島田:そうです。人間は事実ではない物事を信じることが珍しくない。しかも、信じる人が増えることで、社会や政治といった現実が動くこともある。宗教の歴史は「信じる」が世界を動かすことを如実に示しています。その裏にある社会のメカニズムや、人間にとっての信仰の意味を探求するのが宗教学の役割です。
近年、インドやイスラム圏など、宗教的な文化が根強いとされてきた国や地域でも世俗化が進んでいます。世界における宗教の影響力は一見すると低下しているようにも思えます。しかし、その一方で、人間は「信じる」を捨て去ることはできない。それはもしかすると、「世俗化時代の宗教」としての陰謀論が力を持ちやすい時代になったということかもしれません。そうした世界では宗教学が役に立つのではないかと思っています。
――陰謀論の表面的な奇異さだけに目を奪われていても意味がないのですね。
島田:現代の社会が何らかの根本的な問題を抱えていることは疑いようのない事実です。その問題が陰謀論を助長し、流行させているのは間違いない。宗教学に限らず、もし学術的な知に役割があるのだとしたら、その根本的な問題を明らかにして陰謀論の信奉者たちに提示することです。
ディープステート論の震源地であるアメリカには反知性主義という思想的伝統があります。反知性主義とは、知性そのものを嫌う思想ではなく、知性と権力が結びついたいわゆる「エリート主義」を批判する思想です。ディープステート論が社会の支配者層を強烈に批判する背景には、反知性主義の思想があります。それに倣って言えば、今、学術が提供すべきなのは「反知性主義に相対するための知性」なのだと思います。
現代社会は複雑ですから、全体像を容易に掴むことはできません。陰謀論によって分かりやすく世界を説明したくなる気持ちも分かります。しかし、そこには陥らずに、現代社会に巣喰う根本的な問題に目を向けて、解決の糸口を探ることが何より重要だと思います。
■書誌情報
『世界を支配する ディープステート 2500年の興亡 陰謀論の世界史』
著者:島田裕巳
価格:1,980円
発売日:2026年2月12日
出版社:徳間書店




















