杉江松恋の新鋭作家ハンティング 思考実験と怪異を合体させた新感覚ミステリ『ミナヅキトウカの思考実験』

思考実験と怪異を合体させた新感覚ミステリ

 不穏な二題を含む三題噺、といったところだろうか。

 佐月実『ミナヅキトウカの思考実験』(産業編集センター)は構造美の連作短篇集である。三題噺とはご存じのとおり、関係のない言葉を三つ並べて、その組み合わせで物語を作っていくというやり方で、落語家が客からもらったお題で即興の噺を作ったのが原点である。『ミナヅキトウカの思考実験』の場合、お題のうち二つは無関係ではなく、むしろ対になっているので厳密には三題噺とは言い難い。だが、その対になっている二つの食い合わせが悪く、どういう関連があるのかまったくわからないとしたらどうか。

 第一話「マクスウェルの悪魔」で最初に挙がるのは、思考実験を行うために提唱された用語だ。提唱者はスコットランドの物理学者ジェイムズ・クラーク・マクスウェルである。穴のある仕切りで隔てられた二つの部屋AとBがあると仮定する。この中の気体は温度が均一だが、個々の分子は速度がばらばらである。このうち速い分子のみをA、遅い分子をBへというように穴を通り抜けさせれば、仕事をすることなしにABに温度差を生じさせることができる。この分子通り抜けを司るのがマクスウェルの提唱した悪魔なのである。もし悪魔が実在すれば、熱力学の第二法則で禁じられたエントロピーの減少が可能になる。

 マクスウェルの悪魔は1872年に提唱され、約1世紀かかって完全に否定された。そんな過去の亡霊がなぜ復活してくるのかと言えば、悪魔が存在するとしか思えない事件が起きたからである。水崎大学一回生の神前裕人がその目撃者となった。道を歩いていた彼は、目の前で突然人間の身体が炎上するのを見てしまったのである。焼死した世良益美という女性の周囲からは、発火の原因になりそうなものが一切発見されなかった。マクスウェルの悪魔が気まぐれを起こし彼女の周囲を高温にした、としか思えない現象だ。

 この事件に呈示された第二の概念が「清姫」である。中世の説話に登場する怪異で、元は美しい女性だったが、安珍という僧侶に懸想をし、彼が自分になびかないことを知って突如大蛇に変化する。この怪物とマクスウェルの悪魔の取り合わせはいかにも唐突である。いきなり言われたら戸惑うだろうし、人によってはふざけていると怒るだろう。神前裕人は怒った。その言葉を口にした水無月透華という女性に。だがふざけているわけではなく彼女は、本物の怪異が引き起こした事件と出合える日を心から待ち望んでいるのである。

 本作は黒猫ミステリー賞の受賞作だ。この賞は産業編集センター出版部が主催するもので、選考委員は発表されていないので同社社員が担当しているものと思われる。2021年に設立され、この『ミナヅキトウカの思考実験』が第1回の受賞作となった。

 応募要項にはジャンルや設定にとらわれない広義のミステリーが対象とある。どのような作品が受賞したのだろう、とまったく白紙の状態で読み始めたが、意外にも名探偵と助手のコンビを主人公にした、正統派の謎解き小説であった。応募時の原型は知る由もないが、これなら他のミステリー系新人賞でも勝ち抜いていたことだろうと思う。黒猫ミステリー賞は最初からいい新人を掘り当てた。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる