《妻》はどこにいるのか――村上春樹/濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』評 

福嶋亮大の『ドライブ・マイ・カー』評

 書評とは何か。それは「書物の小さな変異株」を作ることである。書物はウイルスと同じく、変異によって拡大する。

 批評家の福嶋亮大が、文芸書と思想書を横断し、それらの小さな変異株を配列しながら、21世紀世界の「現在地」を浮かび上がらせようとする新連載「書物という名のウイルス」。第1回では、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したことを受けて、村上春樹の原作と併せて批評し、そのコンセプトの違いを明らかにする。

日本映画のパラダイム・シフト

 濱口竜介監督の映画版『ドライブ・マイ・カー』は今年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞して話題になったが、村上春樹の原作とはコンセプトが違う作品である。良い機会なので、ここでは映画と原作を順に批評してみよう。

 濱口は日本映画のパラダイム・シフトを体現する作家である。その変化はさしずめ《超越性から制約性へ》《祝祭モデルから演劇モデルへ》《暴力にさらされる記号的身体から治癒される人間的身体へ》とまとめられるだろう。これまでの映画作りのメチエや発想法が徐々に飽和しつつあったとき、演劇のワークショップにヒントを得た濱口が、新たな突破口を開こうとする映像作家として、絶好のタイミングで登場した――私にはそのように見受けられる。

 思えば、1980年代末以降の日本映画の監督は、コミュニケーション不全とそれと裏腹になった破壊衝動を解き放ってきた。昭和末期の大友克洋監督の『AKIRA』を先ぶれとして、黒沢清、中田秀夫、三池崇史、園子温、北野武からアニメの庵野秀明らに到るまで、安穏とした日常を突発的に引き裂く暴力や恐怖が、彼らの映画のなかに頻繁に侵入するようになる。その映像内の身体はしばしばコミックやゲームを思わせるやり方で記号化・キャラクター化されたが、それは暴力や恐怖への感受性をいっそう強める効果をもった。この《暴力にさらされた記号的身体》が、コミュニティ/コミュニケーションの薄皮一枚剥いだところにある「不気味なもの」をさらけ出す力をもったのである。

 長い閉塞状態に陥った平成の時代状況のアレゴリーでもある彼らの映画は、暴力や恐怖をレンズとして、社会のうわべの約束事を突き抜けようとする《超越》の志向を伴っていた。この方向性をいっそう推し進めるとき、彼らの映画はときに、人間ならざるものを主役とした《負の祝祭》の様相を呈することになる。2016年に公開された庵野監督による怪獣映画の傑作『シン・ゴジラ』――原発事故のアレゴリーでもある――は、このタイプの想像力のピークと呼べる作品だろう。

 しかし、2017年にドナルド・トランプというカオスの王様がアメリカ大統領になった結果、映画の《祝祭モデル》はついに現実に追いつかれてしまった感もある。要は、映画でどれだけお祭り騒ぎや叛乱の真似事をやっても、それはどこかトランプ劇場に似てしまうのだ。トランプというポピュリズムの怪獣が出てきたとき、映画の側も自らを立て直す必要に迫られたように思える。

《演劇モデル》の挑戦

 そう考えると、2018年の『寝ても覚めても』で商業映画に本格的に参加した濱口の方法論は、「トランプ後」の時代に対する、きわめてタイムリーな応答になり得ていた。本作『ドライブ・マイ・カー』では演出家の主人公・家福が、演劇のワークショップを実践するが、これは濱口の方法論そのもののデモンストレーションである。役者の感情を抑制し、いったんニュートラルな次元に落とし込んだうえで、言葉や身体さらには他者との関係を念入りに再構築する――このようなワークショップ体験に根ざした《演劇モデル》が、ポピュリズムとフェイクニュースの跋扈する世界に対する、もの静かな異議申し立てとして立ち上がってきたのである。

 この濱口流の《演劇モデル》は、平成の《祝祭モデル》のように暴力や恐怖を踏み台として超越をめざすよりも、むしろ人間を拘束している内的な制約条件を細かく変えようとする試みである。実際、演劇のワークショップであれ、バーや自動車のなかであれ、環境のパラメータが変わると、人間はそれだけでふつうとは違うことをやったり言ったりしてしまうのであり、濱口の関心はこの環境に対する(いわばシステム・エンジニア的な)リプログラミングに向けられている。『ドライブ・マイ・カー』の家福――いわゆる「コキュ(寝取られ夫)」にして「男やもめ」――は、自らを制約する条件を少しずつ変えていくことで、現にあること/あり得たこと/ありそうもないことの境界面をさすらう。その揺らぎのなかから、人生の回復という大きなストーリーを引き出そうとするところに、濱口の《演劇モデル》の挑戦があった。

 この《祝祭モデルから演劇モデルへ》あるいは《超越性から制約性へ》という変化は、何よりも身体の取り扱い方に凝縮されている。平成の日本映画が総じて、キャラクター化した身体を破天荒なやり方で動かそうとしたのに対して、濱口はむしろ治癒の対象としての《人間的身体》に回帰しようとする。もとより、精神がたえず自己を超越しようとするのに対して、身体はむしろ超越の限界を示すものである。「世界精神」(ヘーゲル)はあり得ても「世界身体」はない――濱口の映画においては、この身体の限界に辛抱強くふみとどまることが、かえって思いがけない言葉(手話も含めて)を引き出すきっかけになるだろう。

 むろん、このような手法を手放しで礼賛するのも、いささかナイーブである。率直に言って、私には『ドライブ・マイ・カー』はかなり予定調和の進行に陥っていたように思える。家福が女や男にしきりに誘われ、しきりに話しかけられながら、自分の過ちに気づくという展開は、映画的・映像的な運動のなせる業というよりは、むしろカウンセリングの物語の勝利に思える。しかし、《演劇モデル》がカウンセリングやセラピーに帰着する必然性は、本来ないのではないか(※1)。

 そもそも、平成の作家たちは(村上春樹も含めて)オウム的なマインド・コントロールへの警戒心があり、それが彼らの表現を屈折させていた。例えば、90年代アニメの金字塔『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビ版の最終回は、アニメがもはやアニメとして成立しなくなってしまうギリギリの瀬戸際で、碇シンジ少年の壊れてしまった心の治療(らしきもの)がなされる。しかも、シンジに対する女たちの語りかけは、それ自体が混乱を増大させてゆくばかりなのだ。セラピーは最終的に成功したのか、それとも大失敗に終わったのか――もはやその境界すら見分けがたいところにこそ、このアニメが唯一無二の迫力を獲得したゆえんがある(ついでに言えば、治癒のプロセスのもつ狂気じみた性格は、黒沢清監督の1997年の傑作『CURE』や故・青山真治監督の2001年の傑作『EUREKA』のテーマでもある)。それに比べると、『ドライブ・マイ・カー』は一見すると、正しい心の治癒を、三時間かけて折り目正しく実践しているように思える。しかし、洗脳的なセミナーは×で演劇的なワークショップが〇と言えるほど、単純ではないのだ(※2)。

 そういうわけで、私は『ドライブ・マイ・カー』を濱口監督の最高傑作とまでは思わない。そもそも、国際的な賞をとったからと言って、右にならえで絶賛するのは、それ自体が最悪のポピュリズムにすぎず、この映画の思想にもそぐわないだろう。ただ、繰り返せば、濱口監督の方法論には先行世代との差異がさまざまな仕方で刻印されている。映画を撮る方法論の再建から愚直に取り組もうとする映像作家は、世界的にも希少だろう。彼の体現するパラダイムを丹念に読み解くことで、われわれは来たるべき映画の姿を思い描くことができるのではないか。

(※1)そもそも、環境のパラメータを変えると、予期せぬランナウェイが生じて、あらぬ方向に話がエスカレートしてゆくことも十分考えられる。「ありそうもないこと」の集積で作られた濱口監督の『偶然と想像』は、全体に予定調和的な『ドライブ・マイ・カー』のネガのような映画だが、濱口的方法論の一つのデモンストレーションとして注目に値するだろう。

(※2)心の弱った人間へのセラピーは、それそのものが精神的・身体的な支配へと容易に転化し得る。逆にケアラーの側にとっても、身近な人間の世話をせねばならないことは、有無を言わせぬ強制性につながる。このような危うさは、本文で言及した黒沢清や青山真治の映画が、すでに先鋭に捉えていたように思える。

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