吉本ばなな『白河夜船』に書かれた平成の「先ぶれ」と昭和の「最後の響き」 その《短編的世界》を読み解く

吉本ばななと短編小説の問題

名著の力 第2回:福嶋亮大の吉本ばなな『白河夜船』

 時代を超えて“名著”と呼ばれる文学作品の中から、いま改めて読み直したい作品を選書し、気鋭の評論家/作家がその現代的な価値を再発見する新リレー連載「名著の力」。第2回は、文芸批評家の福嶋亮大が、吉本ばなな『白河夜船』を再読。昭和から平成に移り変わる転換期、1989年に書籍化されたこの短編には、平成の「先ぶれ」と昭和の「最後の響き」があり、その内容は《短編的世界》でなければ収容できない類のものであると評する。(編集部)

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短編小説特有の仕事とはどういうものか

 長編小説と短編小説は何がちがうのか。そこには長さという量的な差異があるだけなのか、それとも質的な差異があるのか。短編小説特有の仕事とは(それがあるとして)どういうものか――これらは文学の基本的な問いだが、まともに取り上げた学者や批評家は少ない。どれだけ芥川賞が巷で話題になっても「この時代に短編小説を書く意味は何か」を考えさせるテクストに出会う機会は稀である。

 これらの問いに近づこうとするとき、いつも私の念頭にあるのはマルクス主義理論家のジェルジ・ルカーチである。ルカーチはこう記していた。

わたしが言おうとしているのは、短編小説は大叙事文学形式や大戯曲形式によって現実を意のままにとらえる作業の先ぶれとして登場するか、さもなければあるひとつの時代の終りに、後衛として、最後の響きとして登場するかのどちらかである、という事実、すなわち、そのときどきの社会的世界を文学によって普遍的に捉えることがまだない時代に登場してくるか、もはやない時代に登場してくるかのどちらかである、という事実のことにほかならない。(『ソルジェニーツィン』池田浩士訳、訳語一部変更)

 ルカーチによれば、短編小説の利点は、キャラクターの社会的背景や行動の状況、さらに具体的な展望を描かずに済むことにある。短編小説の世界像は「まだない」あるいは「もはやない」――つまり「先ぶれ」あるいは「最後の響き」――に根ざしている。つまり《短編的世界》は時代に先行しているか、遅刻しているか、どちらかなのである。仮にこのような世界を長編小説に投入したら、どうなるだろうか。長編小説はたいてい社会や展望に、分厚いリアリティを与えようとする。結果として《短編的世界》はその圧力によって歪められ、ひしゃげてしまうだろう。

 私の知る限り、このルカーチ的な意味での《短編的世界》を書いていたのは、1988年から90年にかけての吉本ばななである。冷戦が終わり、昭和から平成に移り変わるこの転換期に、吉本は短編小説を書き続けた。特に、89年に書籍化された「白河夜船」はひじょうに意欲的な短編である。今から見れば、そこにはまさに、平成の「先ぶれ」とも昭和の「最後の響き」とも言えるような何かが書き込まれていたように思える。その内容は、長編のずっしりとした重みには耐えられず、恐らく短編でなければ救えない(掬えない)類のものなのである。

 「白河夜船」も含めて、吉本ばななの小説はたいてい死のムードに包まれている。特に、親しい友人の死がそのムードを増幅させる。ただ、死はたんなる断絶ではない。なぜなら、取り残された主人公はいわば《生前の死》を経験し、かつ死者のほうは主人公の心のなかで《死後の生》を開始するからである。死のムードが有象無象の夾雑物を音もなく洗い流した後、社会的な生とは別の時間が主人公たちに流れ始めるのである。

 吉本の描くキャラクターを象徴するのは、いわば「つぐみ」のような天使的な存在である。彼女たちはもっぱら語り手との関係のなかに存在していて、社会的地盤をもたない。吉本隆明の用語を借りれば、吉本ばななの小説では「共同幻想」があてにされない代わりに、「対幻想」が突出している。しかも、それは人間と人間の社会的関係というよりは、人間と天使のコミュニケーションあるいは「テレパシー」なのである。吉本の主人公はよく手紙を書くが、それは、たった一人の読み手に宛てた手紙こそが対幻想の芯になるからである。

 人間と天使のカップルが浮上するとき、社会はひっそりと退いてゆく。かつて安原顯との対話で、吉本は「登場人物はみんな冷淡だし、人間というものを一つも描いていませんから」と言い切り、人生についても「あまりにも否定しているので、せめて小説ではそれを救うようなものを書きたい」と述べている。吉本の小説においては、昭和文学を成り立たせてきた諸要素は消えかかっている。そこには情熱的な愛もなく、政治的な争いもなく、社会的な葛藤もない。にもかかわらず、「人間というもの」からすべりおちたカップルの関係が、凡百の恋愛小説よりも、ずっと説得力をもって現れてくる。吉本が描くのは、近代小説の人間の「最後の響き」であり、その影絵なのである。

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