時代の空気を切り取る川勝徳重の漫画道 「個人的な悩みや苦しみを描くことにはあまり興味がない」
いま、目の肥えた漫画ファンたちの間で、話題になっている1冊の作品集がある。タイトルは『アントロポセンの犬泥棒』(リイド社)。作者の名は、川勝徳重。
「クラシックにしてアヴァンギャルド」と、オビのコピーにもあるように、豊富な漫画の知識に裏打ちされた、そして、夢と現実(うつつ)が交差するその不思議な作品の数々は、一見、懐古趣味でありながら、見事に“いま”という時代の空気感をも切り取っている。
そこで、今回、作者である川勝徳重氏に、この話題の作品集について、また、これまで描いてきた漫画のテーマなどについて、ざっくばらんに語ってもらった。(島田一志)
漫画よりもクラシック音楽や現代美術が好きだった
――まずは月並みな質問ですが、川勝先生は、子供の頃から漫画家を志していましたか?
川勝:いえ、漫画はそれなりに好きでしたが子供の頃は読む一方で、『ONE PIECE』だったり、『HUNTER×HUNTER』だったり、タイトルだけを覚えて作者名まで気にしたことはありませんでした。
――では、漫画の習作を始めたのは、だいぶ遅かった?
川勝:将来、プロの漫画家になるなどとはまったく考えていませんでしたが、小学校高学年の頃には、遊びでよく漫画を描いていました。当時、クラスで漫画を描くのが流行ってたんです。私が描いていたのは、『デスのび太』っていう『ドラえもん』を劇画調にしたヴァイオレンスな漫画。ムキムキののび太が暴れる話です。
中学生の頃、私は美術部員でした。その一方、クラシック音楽狂で、一日中(ヴィルヘルム・)フルトヴェングラー(指揮者)のことを考えてるような日々を送ってました。イヤなガキですね。この頃は現代美術も好きで、「レコード芸術」、「クラシック・スナイパー」や「美術手帖」などを読んでたはずです。中学3年生のとき漫画研究会を作ろうとしていた同級生が、私を勧誘しました。美術部員なら漫画も描けるだろう、ということだと思います。そして初めて、つけペンや漫画原稿用紙を買いました。
――中学・高校時代は、どういう漫画作品を読んでいましたか? また、「幻燈」(北冬書房)でのデビューのいきさつなども教えてください。
川勝:大友克洋と松本大洋の作品が好きでした。雑誌でいえば、「アフタヌーン」や「少年マガジン」、「ビッグコミック」などをよく読んでいました。「IKKI」も読みたかったのですが、近所の本屋には売ってなかったので、1、2冊しか買えた記憶がないです。古い漫画を本格的に集め出したのは中学3年ごろからだと思います。古本市で「ガロ」を買い、その後「COM」も買ったんです。当時はかなり安かった。
大学に入ってからもあいかわらず漫画よりも音楽の方が好きでした。ひょんなことから西野空男さんがやっていた「架空」という雑誌に出会いました。大学の漫画研究会には入らなかったので作品発表する場所がなく、「架空」に原稿を送ったら採用されました。私は「COM」よりも「ガロ」派だったので嬉しかったです。その後、「架空」関係の飲み会があった時に、高野慎三さん(北冬書房主宰)も来られていたので、いろいろお話ししました。ピエール・クロソウスキーの話をした気がします。それで、「お前、変なやつだから、北冬書房に持ち込みに来て」と言われました。それで北冬書房でデビューしたわけです。
漫画に人生のリソースの大部分を割(さ)こうと思ったのは、西野空男さんと高野慎三さんに出会えたことが大きいです。初めて人と漫画の話ができて、楽しかったんです。
大学には夏目房之介先生もいらっしゃったので、よくお話ししました。先生から見たら生意気なガキだったと思います。喫茶店などで私の話につきあってくださって、ありがとうございます。
水木しげるが一番エラいですよ!
――先ほど「ガロ」派だったとおっしゃいましたが、具体的な名を挙げれば、川勝先生の作品からは、つげ義春先生や安部慎一先生からの影響を強く感じます。このおふたりの作品の魅力を教えてください。
川勝:おふたりの作品の魅力、というよりも、「ガロ」という雑誌の魅力にやられてたんですよ。昭和的な郷愁があるでしょう? 私は平成生まれですので未知の世界なんです。でも、板橋区出身だったので近所を歩くといまでも昭和の面影は、そこらじゅうに残っています。細野晴臣が「トロピカル三部作」とかやってましたが、私の場合、「ここではないどこか」の対象が異国ではなく、昭和であり、「ガロ」だったんです。もしかしたらそれは昭和というよりも、「戦後」的なものの残り香なのかもしれません。創刊(1964年)から10年間くらいまでの「ガロ」が好きですね。
つげ義春は、ユーモアがあることと、漫画の演出が非常に意識的で、そういうところに惹かれました。『つげ義春 漫画術』という本がありますが、同書での高野慎三(権藤晋)さんとつげの対談を読むと、漫画の文法への自覚的な意識がよくわかります。ただ個人的には、つげ作品は「ガロ」時代のものよりも、後期の「池袋百点会」や「無能の人」シリーズが好きですね。絵も「ガロ」時代の水木しげるっぽいやつより好みです。
――安部慎一先生についてはいかがですか?
川勝:「天国」という作品が好きです。ちょっと通読しても、前半と後半のつながりがよくわからない不思議な話なんですが、“永遠”を感じます。安部作品はいつも、どうでもいいような看過される日常の短い時間を描いていますが、それが漫画になると“永遠性”を獲得している。
「天国」を描かれたのは24歳くらいの頃だったそうですが、信じられませんね。安部は「情念で描いている作家」のように思われていますが、かなり漫画の構造に意識的なはず。わかりやすいところだとほとんどをコマ写真トレースで描いたり、ラディカルなところがある作家です。そういう点も好きです。『ガロ』作家だと、貸本時代の水木しげるが一番好きです。水木しげるが一番エラいですよ!
――短編「電話・睡眠・音楽」(同タイトルの作品集所収)などを見れば一目瞭然ですが、川勝先生は、バンド・デシネ(以下、BD)にもかなり精通されていますよね。自作への海外の漫画からの影響や、BDの魅力などをお話しください。
川勝:国書刊行会から出た「BDコレクション」の3冊のうち、特に『イビクス』(パスカル・ラバテ)に惚れました。日本の漫画と違って、成熟した大人が描いてる感じがしたんですよね。有名じゃない方のトルストイ(アレクセイ・トルストイ)が原作で、ロシア革命の時代を背景に、アナーキーな男が太々しく生きていく物語なんですが、話がとにかく壮大です。あと、絵が、西洋美術の延長線上にあるようで、私にはとっつきやすかったです。
「BDコレクション」は、他の2冊(『アランの戦争』、『ひとりぼっち』)もよかったです。その後、2010年代前半に海外漫画の翻訳ラッシュが続きます。でも『イビクス』を超える作品には出会えませんでした。
フランスに行った時、もちろんBDの専門店にも足を運んだのですが、私が好きな漫画家……たとえば、『イビクス』のパスカル・ラバテや、マヌエル・フィオール、エドモン・ボードワン、ニコラ・ドゥボン、ダヴィッド・プリュドムなどの漫画は隅っこで売ってて、メインで売られてるのは十字軍遠征の兵士の話だったり、第一次世界大戦のドンパチ漫画だったりしたわけです。これにはちょっとガッカリしました。
「電話・睡眠・音楽」は、マヌエル・フィオールの『インタビュー』と『イビクス』の絵の劣化コピーです。私がBDに求めているのは、西洋美術・文学……つまり西洋文明の面影なのかもしれません。せっかく外国の漫画を読むならば、“絵のいい漫画”を読みたいです。自分の絵は棚にあげて言ってますが……。