浅田次郎が語る、物語作家としての主義 「天然の美しさを無視して小説は成立しない」

浅田次郎『流人道中記』インタビュー

美しいものを描こうとするのが芸術

ーー作品中の主人公の生き方というのは、ご自身の理想の生き方に通じているのでしょうか? 今回の『流人道中記』で言うなら、たとえば仇討ちをしないこととか。

浅田:『流人道中記』では、江戸時代が続いた260年の平和な時代がもたらした難しい問題を、3つの大きなエピソードとしてまとめてあります。それを青山玄蕃が裁いていく。僕は青山玄蕃は求道者だと思っていた。石川乙次郎はその弟子。これは釈迦と弟子、キリストと弟子でもいい。疑問をもっている弟子が、いろいろと質問しながら、私には理解できませんって言いながら、師匠と歩いていく。それが最終的には師匠に帰依する。師匠にしても、真理がわかっているわけではなくて、彼自身も求道者である。そういうイメージを書きたかった。それを成長物語として読むのもいいし、他の読まれ方をしてもいい。

ーー最後の場面の「存外なことに苦労は人は磨かぬぞえ」の言葉には、はっとさせられました。

浅田:あると思いませんか、そういうこと。苦労は忘れたほうがいい。誰にだって口に出せない苦労はあるし、人に愚痴れる苦労なんて、たかが知れています。たいしたもんじゃない。本当の苦労っていうのは、言えないんですよ。その繰り返しが人生なんだから、誰だって口に出せないものがいっぱいあるはず。苦労はしない方がいいし、苦労は忘れたほうがいいっていうのが僕の考えです。本当に苦労した人は、頭で忘れても、体が覚えている。それで大丈夫です。自転車に10年ぶりに乗っても、必ず乗れる。だからどん底の苦労をしても、どんな貧乏をしても、忘れちゃっていい。将来の自分のためにならないから。忘れちゃっても体が覚えていれば、ここ一番っていう時に、乗り越える力が出るから。

ーーなるほど。まさに目から鱗です。

浅田:それにものを表現する芸術の世界ってのは特に、苦労してないやつにはかなわない。苦労っていうのは、汚れだから。だから自分でも、すごく恥ずるところはあります。「こういう表現は、三島は使わないだろうなあ」とか。三島由紀夫は僕にとって、世界一好きで世界一嫌いな人間です。官僚の倅に生まれて、学習院から東大に行って、大蔵省に入って、いろんな学問を修めたエリート。頭の良さとか知識の量ということではなくて、汚れてないというところで、どうしてもかなわない。「この一行は書けないな」「こういう目でものごとを見るのか」と。それに気づかされたときは、作家として絶望すら感じます。

ーー主人公の器量の大きさや、心の美しさを描くことの中には、現代人への警鐘やメッセージも含まれているのでしょうか?

浅田:僕は、美しいものを描こうとするのが芸術だと思う。美しいものとは何かといったら、天然の姿のほかにはないんです。神様の創った景色に勝る造形なんてありえない。それに迫ろうとするのが芸術だと思います。でもこれが時として、神を超えることがあるんです。実物より美しいのではないかと思わせることがある。「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という西行の歌があるけれど、その桜の賛美は、人間にしかありえない感情です。これが芸術だと思うんですよ。世の中は先人たちが作った素晴らしいものに満ちています。だから、常に美しいものを忘れずに、という気持ちで、小説を書いている。花鳥風月を愛でるシーンが多く出てくるのも、そのためです。今の小説には季節すらないものが多いですが、僕はそれには反対です。古いと言われようが、天然の美しさを無視して小説は成立しない。若い人にも、読んでそういうものを感じ取ってもらえたらいいなと思います。人間が人間らしく生きることを考えた時に、一番必要なものはやっぱりきれいなものでしょう。

ーー浅田先生の時代小説のマジックだと思うのが、歴史的な背景や、歴史用語がわからなくても、なんなら漢字が読めなくても、ストーリーが掴めて最後はちゃんと感動できることです。なぜそれが可能になると、ご自身では思われますか?

浅田:そこは、センスだな(笑)。僕がけっしてやらないことに、カッコ説明というのがあります。『流人道中記』の冒頭に「万延元年庚申夏、糠雨の降る夜更亥の下刻である」とある。これにカッコをつけて「万延元年(1860年)、糠雨の降る夜更亥の下刻(23時頃)」みたいにしたら、のっけから興をそぐでしょう? そんなの、はっきりわからなくていい。「だいたい昔の話だよ」と。でも司馬遼太郎さんの小説には、「今でいうと中央公論社のある場所である」とか堂々と書いてある。あの人は、それを芸にした。すごいと思う。作家として一番難しいところ。どうやってわからせればいいだろうっていうのを、あの人は開き直って、「今はこの場所」って書いてしまう。しかも読んでいて抵抗感を持たせない。あれこそマジックだと思う。でも司馬さんは一番偉大な時代作家だから、後発の作家がマネするんです。これはもうダメ。僕は司馬さんの愛読者でありましたが、この人の芸にかなうわけがないし、同じ手を使ったらダメだと思ったから、余分な説明なしでどうすればいいかを考えました。結論としては、「だいたいわかればいい」(笑)。

ーー最後に、ご自身にとってフィクションとは何かをお聞かせください。

浅田:「物語」です。僕は自分を、物語作家だと思っています。僕の読書遍歴というのはすごく王道で、グリム童話から始まって、神話、民話、伝説の類いがとても好きでした。民話や伝説って、いろんな地方の話が重複しているので同じストーリーが多いのですが、あの土俗性が好きだったんです。民話というのは、庶民の生活レベルに合わせた物語。大所高所から見るのではない物語が、自分の小説の原形だと思います。それが僕の芸風で、小説とは、そういうものだと思っています。

■書籍情報
『流人道中記(上)』『流人道中記(下)』
発売日:2020年3月9日
判型:四六判
ページ数:(上)384ページ(下)304ページ
定価:1700円(税別)

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