豊臣秀長ゆかりの地、大和郡山市の魅力とは? 歴史学者・平山優 × ポニーキャニオン・村多正俊が語る、歴史資源の可能性

あなたは豊臣秀長を知っているだろうか。豊臣秀“吉”ではなく、秀“長”である。もしかすると、「誰?」と思う人のほうが多いかもしれない。秀長は天下人・秀吉の弟にあたる人物で、1月から放送が始まるNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公に選ばれ、仲野太賀が演じる。
秀長は秀吉にとって最大の理解者であり、無類の気配り上手で交渉能力にも長けた、戦国時代でもっとも優れた補佐役の一人だった。その手腕の見事さは、秀長がもし長生きしていれば、豊臣家の天下は長く続いていたと評されるほど。秀吉を陰で支え、出世を後押しした不世出の人物であった。
そんな秀長のゆかりの地として知られるのが、奈良県大和郡山市である。ここには秀長が築いた大和郡山城の城跡があり、戦国時代のままの町割りが今も遺っている。大和郡山で歴史資源を基盤とした観光プロモーションや次世代を育む教育事業に取り組むポニーキャニオンの村多正俊氏と、秀長に詳しい歴史学者の平山優氏がその魅力を語り合った。
※文末に『豊臣秀長トークセッション ”歴史学者、秀長ヲカク語レリ" フルヴァージョン』動画を掲載!
秀長なくして秀吉の天下はなかった

――大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送が始まりますね。
平山:豊臣家が登場する大河ドラマは、これまで何度も制作されてきました。今回、なぜ兄弟なのかと思ったのですが、秀吉ではなく秀長が主人公だと聞いて、なるほどと腑に落ちました。実は、僕たちの年齢(注:平山氏は現在62歳)以上だと、堺屋太一さんが書いた小説『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』という本がベストセラーで有名でした。
この本は、ビジネスマンや企業の幹部クラスが盛んに読んだと聞いています。というのも、組織において参謀やナンバーツーがどうあるべきかというヒントを、秀長から学べるのではないかという期待もあったためです。実際、秀長の生涯や功績を深く知ると“秀吉の天下は秀長なくしては実現しなかった”とはっきりいえると思います。

――いわゆるわかりやすい“英雄”ではない点が、これまでの大河ドラマの主人公でも珍しいですよね。
平山:秀長に焦点を当てることによって、組織をどう動かしていくのかという重要性、さらに豊臣家の天下は決して秀吉のカリスマ性だけで成立したわけではないことを、広く認識させる機会になると思います。今までの大河ドラマは英雄を描いていましたが、そのアンチテーゼにする意図があるのかなという印象をもちました。
――秀長と秀吉は、どれほど兄弟仲が良かったのでしょうか。
平山:戦国時代の兄弟は争う事例の方が多く、兄弟仲が良かったとわかる事例は、頑張って探さないと見つからないほどです。具体的には武田信玄と信繁、北条氏政と氏照、島津義久と義弘など、本当に数えるほどしか例がありません。
秀吉と秀長は百姓出身で、身分の低い段階から手を取り合ってきました。二人はかなり濃密な関係性のなかで生きてきたのだろうと思います。実は上層農民だという説や、村の侍の身分、つまり土豪の出身だという説もありますが、父の死により家が傾き、若くして生活に苦しんでいたのは事実です。
諸大名からも一目を置かれる存在に

――苦労を共にしていたわけですね。
平山:苦労を経て、人間社会の厳しさや他人との関係性の構築の仕方、人を見る目が養われたと思います。そうした能力が、彼らの地位が上がるにつれて武家社会で発揮され、出世に役立った。武家出身じゃないからこそ、人間関係を冷静に見ながら行動する習慣がついていたのではないかと思います。
村多:それが端的に表れているのは、毛利輝元や徳川家康、大友宗麟といった名だたる大名たちとの関係ですよね。
平山:そうですね。家康が上洛してきたときは秀長の屋敷に泊まり、接待などはすべて秀長が取り仕切っていました。家康が秀吉との会見を控えていた前日のこと。秀吉がひそかに秀長の屋敷を訪ね、家康と宴会を催したという有名な話があります。兄の性格を理解している秀長は、秀吉がやってくることを想定し、事前に準備をしていたようです。
また、島津に攻められて苦しんでいた宗麟が、大坂の秀吉のもとに救援の要請にきました。もちろん、対応をしたのは秀長です。宗麟の手を取り、「私は砕けた人間なのでどうぞ気を使わずに」と言いました。さらに、「表向きの物事は私が、内部の物事は千利休が取り仕切るので、遠慮せずに何でも言ってください」と話したそうです。
これには宗麟もいたく感動したようです。家来に対し、「今後、大友家は何があっても秀長を頼るように」と言ったとする手紙が、今も残っているんですよ。
――名だたる戦国大名から一目置かれる存在だったのですね。
平山:ほかにも、「奈良に遊びに来てくれ」と秀長に誘われた輝元が現地に着いたら、向こうから馬に乗った人がやってきた。よく見たらなんと秀長本人で、家来を振り切って輝元一行を迎えにきたそうです。その後も、自ら先導して領内のガイドを務め、家来や人足にまで食事を振る舞ったといい、彼らの部屋にもすべて顔を出し「どんどん食べてください、飲んでください、足りないものはないか」と声をかけて回っています。
至れり尽くせりで、まさに気配りの人ですよね。実際、輝元一行は誰もがその対応に驚いたという記録が残っています。政権ナンバーツーで秀吉の弟なのに、そこまでしてくれるのかと。気配りの重要性を、庶民出身ゆえに感覚として理解していた。それこそが秀長の強みであり、秀吉を天下人へと押し上げる原動力になったといえます。
村多:“言うは秀吉、行うは秀長”ですね。僕は今の時代、若い人にこそ秀長の存在は響くと思います。トップに立つだけではなく、トップを支えつつ自分の夢を実現させたいと考える人も多くいるようですし。そういう意味でも、今度の大河ドラマは幅広い世代から共感が得られるのではないでしょうか。
武家社会で頭角を現せた要因

――そういったお話を聞くと、秀長のおかげで、秀吉は頭角を表すことができたというのも納得です。
平山:行政などの実務は秀長が主にやっています。豊臣政権において、毛利、徳川、島津、長曾我部、大友などの大大名との外交窓口は秀長が務めました。何か一つ間違うと怖い敵になりかねない大大名との折衝や接待を任されるなど、並大抵の緊張感ではありません。しかし、秀吉は秀長を信頼して任せているし、大大名も「秀長だったら」と頼っているのです。
そうした姿勢が、その後の豊臣政権の対大名外交と決定的に違います。秀長の死後は千利休もいなくなり、石田三成などの小物が中枢を担わざるをえなくなります。秀吉に対する影響力や、大名からの期待値も格段に違うし、政策の実行力も言わずもがなです。秀長亡き後の豊臣政権が傾いていった理由がわかりますよね。
――坂を転げ落ちるように瓦解していきましたからね。実際、晩年の秀吉はワンマンぶりが露呈するようなエピソードばかり目立っています。
平山:秀吉の機嫌が悪かった時や、側近たちが秀吉に報告しにくいときも、秀長がワンクッションになることで、意見を言ったり諫めたりすることができました。秀長の死後、秀吉を諫めることができたのは前田と徳川だけといわれます。いずれも身内ではありませんよね。
秀吉が亡くなり、前田も亡くなると、政権の中枢にいて大名たちへの求心力があるのは家康しかいなくなってしまう。家康がだんだんと豊臣家に代わる存在として台頭しはじめ、天下人の階段を上がっていったのも、必然といえるのです。
秀長ゆかりの地、大和郡山

――そんな秀長と縁が深い地域といえば、金魚の養殖の町としても有名な奈良県大和郡山です。
平山:秀長は大和郡山に城を築きましたが、かなり苦労したと思います。大和はもともと寺社勢力が強く、古代以来、がっちり利権が固まっている土地です。南都といわれる東大寺や興福寺などが所在する地域(南京)が、奈良の政治経済の中心でした。大和郡山はいわば当時の新興都市だったのです。
秀長は塩や味噌など、特定の品物は郡山でしか売ることを許さないと決めた。さらに寺社と結びついていた座(有力商人の組合)を否定し、郡山城下での座は許可しました。また郡山城下は宅地税は免除するが、他は4倍という税金の掛け方をしました。それまでの様々な経済の利権を壊して、新興都市に集中させるのは現代でも大変なのに、それをやってのけたのは凄いですよね。
こうした大胆な政策を進めたことによって、商人が郡山城下に移ってきたのです。特権的な寺社と結びついて商売を牛耳っていた商人の力がだんだんと弱まり、新興都市の大和郡山が経済の中心になり、発展していったのです。
――城はゼロから築いたのでしょうか。
平山:大和郡山にはもともと筒井家が城を持っていましたが、城も城下町も小さなものでした。それを近世大城郭に大改造して、城下町も周辺に引けを取らない規模にしたのは間違いなく秀長の力です。だから、寺社に恨まれることになるわけですが。

村多:現地に行ってみるとわかりますが、天守台は主要な寺院や神社を眺望できる位置にあります。当時は樹木もなかったでしょうから、遠くまで見通せたと思うんですよ。南都の寺社からしたら嫌だったろうなと思いますね(笑)。郡山にはまるでタワマンのように、天守がそびえたっていたのですから。
平山:五層六重の壮大な天守でしたからね。城下町には当時の建物こそ残っていませんが、都市計画は当時のままです。箱本十三町という秀長以来の特権を受けた町が、江戸時代以来自治を行っています。新興都市に自治を成立させ、城下町を町人たちの手で運営させていく先鞭をつけたのも秀長。大和郡山はあらゆる起源を秀長に置いているといえます。

ポニーキャニオンが地域活性化事業に取り組む理由

――ポニーキャニオンが地域活性化事業に取り組んでいるのはなぜなのでしょうか。
村多:僕は長らく音楽のディレクターをやっていたのですが、ジャズやヒップホップやレゲエなど、現場系のアーティストを多く担当していたため、フェスが開催される地方によく出張していたんです。空き時間には街を歩くのが好きで、古い書店や八百屋を見たり、史跡を巡るのも好きでしたね。
ところが、2003年ごろからアーケードがシャッター通りになり出したんです。いわゆる平成の大合併ってやつで。また郊外に大規模ショッピングセンターができ、人流が変わったのがきっかけで、旧来の中心市街地から人が消えていきましたが、どんなに辺鄙な場所であっても魅力的なイベントをすると、たくさんの人が来てくれる…。そんなことを何度も経験するうちにもしかすると、自分が持っているノウハウやネットワークを、地域活性化のために使えるのではないか、と思うようになったんです。以来、ことあるごとに会社に提案していたところ、2015年から社内横断プロジェクトが立ち上がり、エンタメの見地でソリューションを地域に提案し、活性化を図ろうという取り組みが始まったんです。2017年にエリアアライアンス部として創部、2024年度までに650件ほどの国や自治体、地域法人と関わり、成果を上げています。
――大和郡山の地域活性化に関わるのは、村多さんとしても楽しいのではありませんか。
村多:ドキドキワクワクですね(笑)。大和郡山は歴史好きな上田清市長のもと、次世代を担う子どもたちの育成を重視する教育に取り組んでいます。そのために、秀長の素晴らしさを率先して教え込んでいるのが特徴です。
その一環として、秀長の生涯を漫画化し、平山が監修した副読本を制作しました。この本が今後、同市の小学校の高学年から中学生に向けの教育教材として使われるんですよ。
平山:上田市長も私も、元教員。だから私も意思疎通がしやすいんです。
コアなファンにも理解されるものを
――この副読本を読むと、大人が読んでも満足できるほど、中身の濃いものになっているのがわかります。何より、漫画として読んで面白いのが特徴ですね。そういったあたりに、エンタメ企業であるポニーキャニオンらしさが表れていると思いました。
村多:ありがとうございます。弊社はエンタメ企業として、これまでに様々な地域課題解決へのソリューションを編み出してきましたが、何事も適当感が感じられてしまってはいけない、と思っています。平山のようなその分野に精通した人材が関わることによって、コアな人にも遡及できる本物を作り、提供することが重要だと考えてます。
実際、この副読本は最新の知見を盛り込み、小学生から歴史好きまで満足できる内容になっていると思います。歴史に関する知見を常にアップデートしている平山のような歴史学者など、第一線の方々と協力して、クオリティにこだわり抜いたモノづくりができるのは、弊社の強みだと思いますね。
――モノづくりの職人的な精神が生きていますね。
村多:今の時代、プロダクトアウトではなくてマーケットインでモノを作ることが大事ですが、僕らはそれを徹底的にやっている。シティプロモーションや歴史資源を基点とした観光プロモーションにあたっては、委託者のニーズを汲んで、コアを満足させるソリューションを提案するように心がけています。だから、我々が手掛けている取り組みは、他とは一線を画しているのだ、と自負しています。
そもそも、コアを知らない人とでは、最も大切なコアに遡及できるソリューションは作れないのです。歴史系の出版社の戎光祥出版さんと業務提携したり、平山とエージェント契約したのも、そういったこだわりを形にするためです。
平山:ポニーキャニオンの企画で講演や講座をやっていると、人の集まりが全然違いますね。普通の講演会をやっても20~30人しか集まらないところ、抽選に当たらないと参加できないぐらい応募が殺到したり、遠方からわざわざ足を運んでくれる人がいるほど盛況です。
――副読本の巻末には大和郡山の史跡のガイドもありますね。秀長に縁の深いおすすめのスポットがあれば、教えてください。
平山:「郡山城」は必ず訪れたい名所ですね。天守台には、石垣にお地蔵さんが転用されている「逆さ地蔵」もあります。 あとは秀長の墓所の「大納言塚」や、秀長の肖像画と位牌がある「春岳院」も必見。「大職冠のクスノキ」という5mくらいのクスノキも有名です。秀長が、大和郡山城の守護神とすべく、談山神社の大織冠(藤原鎌足)木像を移して建立された大織冠宮がかつて置かれた場所に立っています。


可能性を広げる仕事をしていきたい

――大河ドラマを、大和郡山の町おこしにどう役立てていきたいとお考えでしょうか。
村多:来てもらった人にどれだけ満足してもらい、再訪してもらえるかがカギだと思っています。そのためには、住んでいる方々がどんなおもてなしをできるかどうかに懸かっているのです。現地の人たちが魅力的であれば、仮に交通インフラが整っていなくても観光客は再訪してくれますからね。
――村多さんから、平山さんへの期待値も高いですね。
平山:地域活性化事業を通じて、私は地元の人が自分たちの地域を見つめ直し、愛するきっかけになってもらいたい。シビックプライドを育む、ということ。どんな町に行っても必ず聞かれるのは、「いやあ、うちは別に歴史があるわけじゃない」「何もないから」という言葉です。決して、そんなことはないんですよ。地域のみなさんが知らないだけなんです。
地域に興味がわけば、驚きも発見もあり、愛着も出てきて周りに伝えたくなります。そうなれば我々の勝ち。一人一人が発信者になってくれることで、その人の伝手で人が来てくれるようになったり、来てくれた人たちと地元の人の出会いで新しい取り組みが生まれたり。そんな可能性を広げる仕事をしていきたいと思います。
――素晴らしいですね。最後に、今後に向けた意気込みをお聞かせください。
村多:僕が常日頃思っているのは、日本が大変な状況である昨今、ワンチームで日本を元気にしていきたいということ。ポニーキャニオンのリソースも、囲うことなく解放し、協力したいと思ってます。併せて、次世代を担う人材をどう育むかというテーマにも、力を入れて取り組んでいきたいと思っています。
平山:自分の地域を何とかしたいと思っている自治体や、こういう仕事に興味がある個人や企業は、ぜひこの1年の大和郡山の動きを見てください。きっと面白いことになると思いますよ。
■関連動画
2026年1月10日に大和郡山市にて開催された、豊臣秀長についてのトークセッションの模様。平山優氏をはじめ、「豊臣兄弟!」歴史考証を担う黒田基樹氏(2014年「真田丸」担当)、柴裕之氏(2023年「どうする家康」担当)らが登壇、総合MCを歴史系YOUTUBER、ミスター武士道氏がつとめた。
■関連情報
大和郡山市観光協会公式ウェブサイト:https://www.yk-kankou.jp/
株式会社ポニーキャニオン 経営企画部サステナブル事業推進グループ:https://local.ponycanyon.co.jp/


















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