直木賞作家・川越宗一が語る、物語の力 「歴史を題材にする理由は、僕が生きている時代について考えたいから」

直木賞作家・川越宗一が語る、物語の力 「歴史を題材にする理由は、僕が生きている時代について考えたいから」

 直木賞を受賞して時の人となった作家・川越宗一氏は、デビューからたった一年で受賞作となる長編小説『熱源』を発表した。同作は明治から太平洋戦争終戦時までの樺太(サハリン)を舞台にした歴史小説である。故郷を奪われ、母国語すら喋ることを禁止された人々が、どのように生きるための「熱源」を取り戻していったのか、歴史から社会の今を見つめ直す意欲作だ。著者である川越宗一氏に執筆時の話や、創作のヒントとなった作家デビュー前夜についても訊いた。(編集部)

書きたかったのは「人」


――直木賞を受賞した川越さんの長編第二作『熱源』は、樺太アイヌとサハリン流刑囚を主要人物に据えた、実に壮大なスケールの物語になっています。そもそも何をきっかけにこのような小説を書こうと思ったのですか?

川越:小説を書き始める前に夫婦旅行で北海道に行ったのですが、白老町の「アイヌ民族博物館」というところが目にとまり寄ってみたんです。そこに、『熱源』の主人公のひとりであるブロニスワフ・ピウスツキの銅像があって。

――そんな出会いがあったんですね。

川越:本当に偶然でした。「何でこんなところにポーランド人の銅像があるんだろう?」と説明書きを読んでみたら、ポーランドからやってきて、アイヌの研究に尽力したと書いてあった。興味を持ってさらに調べてみたら、彼はすごい壮大な人生を送った人で、のちに南極探検に行く樺太アイヌの人(山辺安之助)とも接点があったということがわかったんです。この2人を軸にしたら、地球の東西と南北にまたがる、壮大な話になるんじゃないか、そういう小説や映画があったら見てみたいと思ったのが、最初のきっかけです。

――ある人物について調べたりするのは、もともとお好きだったんですか?

川越:何かあったらとりあえずウィキペディアで調べる癖があるんです(笑)。ウィキペディアなので、正確性には留保が要りますが、ざっくり調べるにはやっぱり便利なんですよね。たとえば、駅で電車を待っているときに、ホームに入ってきた電車の型番を調べてみたり、テレビをつけたときに競馬中継をやっていたら、出ている馬の名前を調べてみたりとか。

――気になったものはとりあえず調べてみると。

川越:そうですね。あと、いろいろ妄想する癖もあって。今言ったブロニスワフ・ピウスツキの話もそうなのですが、「こういう小説や映画があったら見てみたい」と頭の中で妄想することが多く、それが小説を書こうと思ったときに役に立ちました。妄想がデビュー作の『天地に燦たり』になり、『熱源』になったという感じなんです。

――本作を書くにあたって、かなり史実を調べたと思うのですが、本書の中では、そういう「説明」の部分は、極力抑えられている印象を持ちました。

川越:書きたかったのは「人」なので、なるべく説明感のないようにというのは、意識しました。もちろん、人を書くためには、その人が生きた時代や世界を最低限描く必要があるんですけれど。

――今、「書きたかったのは、人」とおっしゃいましたが、歴史を書きたいというよりも、まずは人間を書きたいと。

川越:それは最初から強くありました。もうちょっと修飾すると、歴史のなかで生きている人を書きたかったんです。その人の人生を通して、その時代の楽しさや困難みたいなものを描き出したかった。だからこそ、市井に生きる人々を主人公にしたかったんです。歴史を動かした人を書いても、その時代を書いたことにはならないと考えています。政治的な決定権を持った人の物語を書いても、その時代に生きた何億人の話を書いたことにはならないというか。歴史そのものは、その何億人の話が積み重なったものであるはずだと思います。そのため、市井に生きる人たちから、面白そうな視点を持った人をピックアップしています。

エモいところはエモく書きたかった

――ブロニスワフ・ピウスツキとヤヨマネクフ(山辺安之助)という実在の人物が主人公になっています。実名でその人たちを描くというのは、ひとつ覚悟がいる決断だったのでは?

川越:実際に生きた人の人生は、あまり物語にそぐわないことが多いです。僕たち含め、人間なんて矛盾と理不尽の塊なので、物語に都合よくは生きてないじゃないですか。でも僕が書いているのはフィクションなので、その人のありのままを示して、「面白いかどうかはあなたが考えてください」と投げかけるのではなく、面白く読んでもらえるように手を加える。それが、ノンフィクションとフィクションの違いだと思うのですが、記録のないところを想像して補ったり、史実に手を入れたりするのは、最初はやっぱりすごくためらいがありました。

――大昔の話ならともかく近現代の話なので、そこはひとつ悩みどころですよね。

川越:僕は物語にする上である意味ウソをつくわけですが、そのネタ元を明らかにするというか、責任の所在を明らかにしておきたいと思っています。史実に手を加えたことでもし不快に思われる人がいたとしたら、その責任から僕は逃れられないと考えていて。それはキャラクターに別の名前をつけたところで変わらないはず。書いている途中にも、迷ったところではありますが、最終的には実在する人物の名前をそのままお借りすることにしました。それで良かったと今は思っています。この小説をきっかけに、彼らに興味を持ってさらに調べていただけたら、僕はすごく嬉しいです。

――本作にはさまざまな立場の人物が登場しつつも、そのいずれにも与しないバランス感があるように思いました。

川越:どこかの勢力に肩入れをしないのも意識したところです。小説は僕が作った空想の世界ではあるけれども、なるべくどの陣営にも肩入れしないように気をつけました。理不尽なことが連鎖していくなかで、そのしわ寄せが少数の側にいってしまうことを書きたかったので。アイヌの人とか少数民族のキャラクターを出すときも、オリエンタリズムを投影するような書き方をしないっていうことも気をつけました。

――興味本位で少数民族を礼賛するような書き方をしないということですか?

川越:例えばですが「我々より文明が遅れている人たちのほうが、人間の大切な真理をより残している」みたいな書き方はしないということです。アイヌのなかにだって本当に悪い人はいただろうし、時代の権威に乗って立ち振る舞った人もいたと思うので。

――バランスを取りつつも、ところどころエモーショナルなところが非常に面白いというか、個人的には、かなりグッときました。

川越:書いているときはあまり意識していなかったんですが、せっかく物語を書くのであれば、エモいところはエモくしたかったというか(笑)。やっぱり読んでいる人の心が動いてナンボなので。先ほどお話ししたように、小説を書き始めた動機も、モデルとなった人たちの人生に感動したという、ちょっとエモい理由でしたから。

――知られざる事実を知って欲しいというより、そこに生きた人々の「熱」を感じて欲しい?

川越:おっしゃる通りです。結果的に、あまり知られていないものが題材にはなっていますが、たまたま題材がそうだったというだけで、知られざる歴史を明らかにするような意図はなかったです。

――川越さんは、小説の力というか、「物語の力」をすごく信じている方なのかなと感じました。

川越:物語には力があると思っています。でも歴史を見ると、物語の力を悪用というか、良くない方向に使ってしまったこともあるじゃないですか。なので、そういう「物語の力」については、常に自覚的にありたいと思っています。「物語の力」を使うのならば、読む人が生きるモチベーションになるもので、なおかつなるべくみんなが仲良くできる、そういう方向にその力は使うべきなんだろうと。

――その話と関連する気もしますが、本作は歴史小説でありながら「多文化共生」という今日的なテーマに通じる部分が、評価されたところもあったように思います。

川越:物語の力とは別の話になるかもしれないですが、僕が歴史を題材にして小説を書く理由は、僕が生きている現代という時代について考えたいからなんです。時間的な距離を置いたことによって見えるものもあるというか、社会が抱えている問題はいきなり生まれるわけじゃなくて、何か経緯があるはずだから、それを辿ることによって理解できるものがあるんじゃないかと思い、歴史小説を書いているようなところがあります。

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「著者」の最新記事

もっとみる