男は女を理解しないまま愛するーー角田光代訳『源氏物語』が伝える、千年経っても変わらない恋愛模様

角田光代訳『源氏物語』を読んで

「色とりどりの女たちと、その女たちをすこしも理解しないまま愛する男たち――。せめて理解する努力くらいしてほしい、と現代に生きる私は思ってしまうのだが、物語としては、だからこそおもしろいのが困ったところで、もし男と女が互いにすっかり理解し合えてしまったら、恋愛小説などいつの時代にも成立しないだろう」(「理解できる言葉で源氏物語を読むこと」江國香織)

 これは、日本文学全集の『源氏物語』(角田光代訳、河出書房新社)のプルーフに記載された、江國香織の源氏物語評である。本編を読みながら私が感じていたことを、そのまま言い当てられてしまった、と思った。

 男は女を理解しないまま愛する。それが『源氏物語』という、千年の長きにわたって読み続けられてきた恋愛絵巻のひとつのテーマなのかもしれない。角田訳『源氏物語』を読んでみると、つくづくそう思う。そして角田光代という恋愛小説家だからこそ、男女のわかりあえなさをそのまんま現代語訳に落とし込めたのかもしれない、とも。

 たとえば、最愛の妻・紫の上が亡くなったときの源氏。彼の様子を角田訳は以下のように綴る。源氏は、紫の上に自身の恋愛事情を見せてしまい、苦しめてしまっていたことを後悔する。

「いっときの気まぐれであったにせよ、本当に心苦しい事情があったにせよ、どうしてそんな自分の心を見せたりしたのだろう。紫の上は何ごとにもよく気のつく人だったから、そんな心の奥までよくわかっていながら、心底恨みぬくようなことはなかったけれど、何かあるたびにやはりこの先どうなってしまうのかと心配し、多少とも心を乱したことがあっただろう」(『源氏物語』中p.596)

 いやいやいや。女からすると、おい源氏、紫の上のことをなんだと思ってるんだ……。と愕然としてしまう台詞だ。だって亡くなった妻に対して、源氏は「あんなふうに俺の浮気事情を見せなけりゃよかった~ていうか察しのいい紫の上、俺の浮気に全部気づいてたよね?」と、浮気現場を見せたことを後悔しているだけなのだ。そのうえ、「でもまあ俺のことを心底恨んでることはなかっただろうけど……でも多少心配してたことはあったよなあ」としみじみ振り返るだけ、の源氏。

 この台詞の前段で、紫の上がいかに源氏の女性関係に絶望しつつ、亡くなっていったか、を読んだ読者としては「源氏、あまりにも能天気……」と思わざるをえない。いや、そもそもあなたが見せようと見せまいと、紫の上は浮気にぜんぶ気づいて苦しんでましたよ!? ていうかバレるバレないの話以前に、紫の上の苦しみは、「多少とも心を乱したことがあっただろう」程度じゃなかったよ!? と、読者としては全力で源氏にツッコみ、紫の上に同情してしまう。いやはや、これだから男性は。そんなふうに読者が脱力してしまうように、角田訳は設計されている。

 なぜ紫の上が「心底恨みぬくようなことはない」と思えるのだろう、彼女はあんなにも苦しんで苦しんで死んでいったのに。と、現代の読者が、千年前の読者と同じように「源氏のばか、何もわかってない……」と頭を抱えられるように。

 だけど、ふと考えてみれば。紫の上という女性を理解しないまま、それでも最愛の妻として思い返していること。その描写は、紫式部自身の筆の凄まじさ(だって千年後の読者にすら、紫の上の不憫さがつたわってくる)、そして角田光代という作家の訳した腕に支えられているのだ。

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