中国ムスリムの歴史から何を学ぶことができるか 海野典子に聞く、イスラームが動かしたもう一つの中国史

中国に1,000万人以上存在しながら、その実像があまり知られていない「回族」。彼ら中国ムスリムは、歴代王朝の変遷や近代の荒波の中で、いかにして独自の信仰とアイデンティティを維持してきたのか。
『イスラームが動かした中国史:唐宋代から鄭和の大航海、現代回族まで』の著者、海野典子は、漢族中心の視点ではない「グローバル・ヒストリー」の視点から、中国社会にイスラームが与えた動的な影響を鮮やかに描き出す。弾圧や同化政策、諸外国との関係、そして現代の厳しい宗教統制。千数百年にわたる「生存の知恵」の積み重ねから、現代の多文化共生社会にも通じる教訓を導き出す、海野の深い知見に迫る。
知られざる「回族」の歴史を掘り起こす

――海野さんのご専門と、本書の執筆動機についてお聞かせください。
海野典子(以下、海野):私の専門は中国や中央ユーラシア、旧ソ連圏におけるムスリム(イスラーム教徒)の歴史と文化です。主に清朝末期から中華民国初期の中国ムスリムの社会史を研究しており、彼らが激動の時代にいかにして他集団と関係を築いたかを調べてきました。
近年、新疆ウイグル自治区の人権問題により中国のムスリム、とくにウイグル族への関心は高まりましたが、実は中国には「回族(かいぞく)」という、漢語を話し漢族と外見上は見分けがつかないムスリムが1,000万人以上存在します。専門家の間でも「漢化したムスリム」という一言で片付けられがちな彼らの実像を、通史として描き出す必要があると考えたのが執筆のきっかけです。また、戦前の日本による「回教工作(対ムスリム宣撫工作)」の歴史も含まれており、日本の読者にとっても避けて通れないテーマだと感じています。
――ご専門以外の時代を改めて通史としてまとめてみて、どのような発見がありましたか?
海野:唐代や宋代に関する日本語の先行研究を読み直した際、西域から来た商人が単に定着しただけでなく、その後の王朝の宗教民族政策においていかに重要な役割を果たしたのかを詳らかにした先達の功績に、改めて日本のアジア史研究の層の厚さを感じました。なお、中国政府が現在定めている55の少数民族のうち、イスラームを信仰する民族は10あります。それらがどのように形成されたかを追うことは、中国社会の多様性を再確認する作業でもありました。
グローバル・ヒストリーが捉える「中国社会の動態」
――一国史ではない「グローバル・ヒストリー」の視点で描く意義は何でしょうか。
海野:従来の中国史は、どうしても為政者側や漢族中心の視点に偏りがちです。しかし、イスラームという軸を置くことで、広域な商業ネットワーク、思想の伝播、軍事・科学技術の流入といった横のつながりが見えてきます。中国化したイスラームという受動的な見方ではなく、「イスラームが中国をどう動かしたか」という能動的な視点を取り入れることで、固定化された中国像を相対化できると考えています。
――唐代から元代にかけて、ムスリムは中国社会に何をもたらしたのでしょうか。
海野:薬学、医学、天文学といった最先端の知見、軍事や航海技術をもたらしました。当時の王朝にとって、ムスリムの商業・情報ネットワークは統治に不可欠なリソースでした。例えば元朝統治下で活躍した蒲寿庚(ほじゅこう)は、ムスリム軍人の軍事力と商人としての商業・航海知識を併せ持っていたからこそ、水上戦に不慣れだったモンゴル帝国に重用されたのです。
「土着化」と「信仰の維持」を支えた精神的紐帯
――明代に入り「海禁政策(海外貿易の制限)」が取られると、ムスリムは「土着化」を余儀なくされますね。母語を失いながらも、なぜ信仰を保持できたのでしょうか。
海野:主に三つの要因があると考えています。一つ目は「宗教教育の整備」です。ペルシア語やアラビア語を母語として話さなくなっても、その遺産を伝えていこうと努力した形跡があります。その過程で、経堂語といった現在でも使われているような中国ムスリムの独自の言語文化も編み出されていきます。
二つ目は「民間伝承」です。預言者ムハンマドの仲間であるワッカースが中国にイスラームを伝えたという説話や、自分たちは預言者の血を引く「サイイド」であるという一族の記憶を、知識人だけでなく一般民衆も代々引き継ぎました。これにより、中国にいながらにしてアラブ・イスラーム世界の本流とつながっているという精神的紐帯を維持したのです。
三つ目は「強固な団結力」です。マイノリティである彼らは、モスクを中心に相互扶助の伝統を築きました。この結束力が社会的な地位を高める武器にもなったのです。
――大航海で知られる鄭和もムスリムですが、習近平政権下でもアイコンとして利用されています。
海野:中国政府は「良いムスリム」と「悪いムスリム」を峻別しており、鄭和は前者とみなされています。鄭和は東南アジアの華人社会でも人気があり、現代の経済戦略「一帯一路」を進める上で、プロパガンダに利用しやすい「外交の象徴」なのです。一方で、反抗的とみなされるムスリムには往々にして抑圧的な政策が取られています。
激動の清代と「ナショナリズム」の芽生え
――清代になるとムスリムへの差別や衝突が深刻化します。
海野:スーフィー(神秘主義)教団のように、弾圧されれば殉教精神で反撃するグループもあれば、北京や天津のムスリムのように漢人と調和しながら静かに信仰を守ろうとするグループもありました。また、雲南や西北地域で発生したムスリム反乱は、清朝に国境概念を再認識させるきっかけの一つとなりました。
――ヤークーブ・ベグが独立政権を樹立した際は、清朝に衝撃を与えた?
海野:もちろん衝撃はあったと思います。ただ、清朝政府の内部でも新疆に対する認識は二分化していました。東トルキスタンはもはやヤークーブ・ベグに乗っ取られてしまったので、西洋列強がどんどん中国に進出したり、民衆反乱も各地で起こったりする中で、新疆は手放してしまっていいのではないかと考える人たちもいれば、ロシアが中国内地に入り込んできてしまうという恐怖心から、新疆は手放してはいけないと考える人たちもいました。
――中華民国期、戦前の日本による「回教工作」がムスリムに与えた影響は?
海野:皮肉にも、日本の工作が彼らのナショナリズムを刺激しました。回民たちは「日本の手先」と思われることを嫌い、中国国民としての意識を強めました。一方で日本軍は、彼らを漢族とは異なる「独立した民族」として懐柔することによって、親日的な傀儡政権の樹立を狙いましたが、これが結果的に回民たちに「自分たちは独立した民族(回族)なのだ」という民族意識を自覚させるきっかけにもなったのです。
社会主義体制と「宗教の中国化」
――現代、習近平政権下で進む「宗教の中国化」政策は、過去の弾圧と何が違うのでしょうか。
海野:二つの特徴があります。一つは「忖度」の構造です。習近平政権下では、トップダウンの命令だけでなく、地方政府や各地の中国イスラーム教協会支部が罰を恐れて先回りし、自発的にモスクを中国風に改築するといった巧妙な支配が浸透しています。
もう一つは「外来宗教への狙い撃ち」です。文化大革命の時はあらゆる宗教が対象でしたが、現在はキリスト教、イスラーム、チベット仏教といった「海外と結びつきが強い宗教」が明確にターゲットにされています。政府は海外からの改革思想の流入を非常に警戒しています。
――文化大革命のトラウマは今も残っていますか?
海野:非常に深いです。当事者の多くはムスリムであることで弾圧された経験から、自宅でひっそり礼拝したり、信仰を実践せず豚肉だけ避けるという習慣だけを残したりしています。宗教が悪とされた記憶が、現代の信仰のあり方を規定しています。
中国ムスリム史から学ぶ「共生の知恵」
――日本でも移民やマイノリティへのヘイトスピーチが問題になっています。歴史から得られる教訓は何でしょうか。
海野:中国ムスリム史を辿ると、ヘイトやデマが暴力へとエスカレートし、結果的に国全体を揺るがす大反乱に発展した事例(清代のムスリム反乱など)が多々あります。差別を放置することは、結局、差別した側にも凄惨な暴力として跳ね返ってくることがあるのです。
もう一点伝えたいのは、マイノリティ側も共生のための凄まじい努力をしてきたということです。清代のイスラーム学者は、中国伝統文化とイスラームの親和性を説く著作を書き、自分たちが社会の害ではないことを証明し続けました。現在日本にいるムスリムも、ホームレスへのボランティアや、地域住民への文化説明など、目立たない場所で地道な交流を続けています。
中国のムスリムが千数百年にわたり、弾圧を受けながらも中国社会で存続することができたのは、生存のための「知恵」と「配慮」の結果です。この歴史的なプロセスは、現代の日本社会が多文化共生を考える上で、大きなヒントになるはずです。
――彼らの「生存の知恵」は、現地社会に溶け込もうとする能動的な努力の賜物なのですね。
海野:その通りです。政府への反対意見を唱えれば逮捕される厳しい環境下で、彼らは目立たないように気を配るという知恵を働かせて生きています。そのようなマイノリティの微細な調整と努力の歴史を、この本を通じて感じ取っていただければ幸いです。
■書誌情報
『イスラームが動かした中国史 唐宋代から鄭和の大航海、現代回族まで』
著者:海野典子
価格:1,430円
発売日:2025年12月23日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書
























