『ブルーロック』なぜ“ブレ”たと言われた? エゴイズムに原点回帰した最新40巻を解説

実写映画版も大ヒット公開中のサッカー漫画『ブルーロック』(原作:金城宗幸・漫画:ノ村優介/講談社)。その最新刊となる単行本第40巻が、2026年8月17日に発売された(世界累計6000万部突破)。
誤解を恐れずにいわせていただければ、この第40巻は、ここしばらく“ブレていた”物語を軌道修正する、「原点回帰」の一巻にもなっている。
近年の『ブルーロック』のどこが“ブレていた”のか
……などと書くと、同作の熱狂的なファンの方々は怒るかもしれないが、私はその“ブレ”を、決して悪いものだとは思っていない。なぜなら、少年漫画の週刊連載作品とは生(なま)ものであり、そのときどきの社会情勢や時代の空気などを取り込んで、主人公の成長の在り方を探りながら変化していくものだからだ。そしてその変化が、ときに物語を“ブレ”させてしまうこともあるわけだが、それもまた、先が読めない連載漫画の醍醐味のひとつなのだと私は思っている。
ちなみに、具体的に私がこのところの『ブルーロック』の物語が“ブレ”ていたと思うのは、大きく分けて以下の2点。まずは、「物語のテーマそのものが“ブレ”ていた」ということだ。
というのは、本来、『ブルーロック』という物語の「正義」は、「他者を蹴落としてでも点を取りにいくエゴイズム」だったはずだ。しかし、このところ――具体的にいえば、U-20日本代表との特別壮行試合以降、「ブルーロック」の選手たちのあいだで、友情めいた感情が芽生えていた。そして、それが、パスの連係の妙や、異才同士が織り成す化学反応のカタルシスにつながり、結果的に、『ブルーロック』という作品を、「友情・努力・勝利」を描いた“普通のサッカー漫画”にしてしまっていた、といえなくもないのだ。
あらためていうまでもなく、初期の『ブルーロック』の面白さは、「友情」の要素を排除し、ひたすら自分だけの「勝利」を目指すという、従来の少年漫画のヒーローらしからぬキャラクターたちの「エゴイズム」の新しさ(あるいは、スポーツ漫画としての邪道さ)から生じたものだったはずだ。
そしてもうひとつ。これはいま述べた話とも関連することなのだが、物語が進むにつれ、主要キャラの中には、ディフェンダーやゴールキーパーとしての才能を開花させる者たちも徐々に出てきていた。
これは、明らかに、「ブルーロック」を率いる男・絵心甚八の「自分だけの得点を貪欲に狙うエゴイスト=世界一のストライカー」という理想の選手からは遠い存在だろう。
むろん、現代のサッカーにおいては、前線(フォワード)の選手たちもある程度は守備面での働きが要求される、ということは原作者の頭にあったかもしれない。しかし、絵心甚八が“それ”を求めているようには、最初から描かれてはいないのである。つまり、ディフェンダーやゴールキーパーとして活躍する選手たちを、(「全員がストライカー」という「ブルーロック」の哲学的には)「脱落者」として描くならまだしも、そういうわけでもないから、読んでいて、「この選手たちのこの漫画における存在価値は……?」と“ブレ”を感じてしまうのである(なお、このことについては、単行本第39巻で少し疑問視されてもいる)。
※以下、『ブルーロック』第40巻のネタバレを含みます。同書を未読の方はご注意ください。(筆者)
第40巻で描かれた「原点回帰」とは
さて、問題(?)の第40巻の冒頭。前巻から引き続き、U-20ワールドカップのグループリーグで、「ブルーロック」の選手たちを主軸とするU-20日本代表はU-20フランス代表と戦っているのだが、主人公・潔世一は、ライバル・糸師凛とほぼ同時にシュートを放つ。
“普通のサッカー漫画”なら、この主役級のキャラふたりが放った豪快な“ツインシュート”は得点につながることだろうが、ボールは無残にもゴールポストに跳ね返され、ノーゴール。さらには、相手チームのエース、ロキにそのボールを奪われ、逆に得点されてしまう始末。
結果、U-20日本代表はU-20フランス代表に敗北することになるのだが、それは、自分たちを見直すきかっけを与えてくれた、価値のある敗北だった、といえなくもない(注・U-20日本代表は、次のイングランド戦に勝てば、決勝トーナメントに進むことができる)。
詳しくは、第40巻を読んでいただければと思うが、潔たちは、試合に敗れたあとのロッカールームで、自分たちの「エゴイズム」とは何かをあらためて見つめ直すことになる。さらには、このところの世界的な人気で勘違いしていたが、本来の自分たちは「挫折してきた異端児」の集団だったということを思い出す(そして、それが自分たちの“強さ”の原動力であったということも)。
つまり、絵心がいう「エゴイズム」の意味をそれぞれが再確認することで、彼らはただの“仲良しチーム”とは一線を画す、いつでも相手を食らう覚悟で共闘する集団、という形に変化/進化していくのだ(これが、最初に私が述べた、同巻における物語の“ブレ”の「軌道修正」ないし「原点回帰」である)。
そのうえで第40巻の終盤(第354話)――潔世一は、こんなことを自問自答する。
「サッカーの神さまがいるなら、俺はきっと試されてる――『潔世一(おまえ)はまだ新しくなれるのか?』と“エゴ”を試されてる!!! 夢の途中(こんなとこ)で終わってたまるか!!!」
これは、この先の『ブルーロック』という漫画そのものについてもいえることだろう。そう、『ブルーロック』はまだまだ新しい世界を私たち読者に見せてくれるのか。それは、第41巻以降の展開にかかっている。

























