『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は原作小説からどう改変された? 映画は“先読み不可能”な展開へ

『キルケーの魔女』小説はどう改変された?

 小説版『閃光のハサウェイ』の中でも、中巻の内容を中心としていた『キルケーの魔女』。映像を見ている時には「原作にけっこう忠実にまとめているんだな……」と思って見ていたのだが、改めて原作小説を読んでみるとかなり内容が異なり、自分の記憶の曖昧さを感じるところである。まずかなり印象が違った点が、ハサウェイとケリアの関係だ。

 小説でのケリアとハサウェイの関係は、割とあっさり切れてしまう印象だ。冒頭、ハサウェイとヴァリアントで会話している時点でケリアはほぼ坊主頭になっており、その後すぐハサウェイとは別行動になってしまう。小説版ではすでに二人の関係は難しいものになっており、多少の言い合いをしただけでハサウェイとケリアは離別してしまい、ハサウェイも追いかけることはない。

 対して、映画ではオエンベリへの出撃前にハサウェイとケリアは衝突し、その後にケリアは自分で髪の毛を刈り落とす。ケリアとハサウェイが対峙するシーンでの咀嚼音を使った演出もあり、ハサウェイがケリアのことを受け入れられなくなっていく過程が湿度高めに描かれていた。それでもハサウェイは雨の中でケリアとの日々を思い出していたし、このシーンはドラマチックに演出されていた。『キルケーの魔女』では、「別れるまで」の過程がより立体的に描かれているのである。

 同様に、ギギの行動についてもアニメ版はより情報量を増し、密度を高める方向に演出されていた。特に印象が異なるのが、ホンコンでのアパートメントをバウンデンウッデン伯爵の好みに合わせてリフォームするシーンである。小説でもギギの能力として「よい趣味をもって、商品を識別し、それを配置させ、それによって周囲を心服させる力」が書かれていたが、アニメ版ではギギの行ったリフォームの実作業を丹念に映像化することで、ギギというキャラクターにより血が通った印象となっていた。

 さらに小説でのギギは、「激突するハサウェイとケネスの間を行き来する、魔性の少女」という少々紋切型の印象がある。が、アニメ版では声優の演技や前述のホンコンのシーンなども手伝い、ギギ本人が主体的に考えた結果としてケネスのもとに走り、そして終盤でハサウェイのもとに飛び込んだ、という描写となっていた。彼女の心情の変化、行動に至るまでの気持ちについては、アニメ版はあくまで原作に書かれた範囲を飛び越えることなく、より具体的に観客に想像させることに成功しているように思う。

 この「アニメ版の方がキャラクターの心情が立体的に感じられる」「小説版は案外あっさりしているように見える」という点については、映像面での演出以外だけでなく、富野由悠季の小説の書き方にも原因がある。というのも、富野小説の特徴として「キャラクターの考えや心情を端的に書ききってしまう」という点があり、「このキャラクターは一体どういった気持ちでこのような行動をとったのか」という点について読者に推理させる余地がない。富野由悠季はあくまで映像を作るプロであり、おそらく映像を作る際には「このキャラクターはこのような心情だから、こう動く」という順番でものを考える。この、最初に考えたキャラクターの心情をそのまま小説に書いてしまうクセがあることが、妙にあっさりした読み心地につながっているのではないだろうか。

 さらに小説版とアニメ版において巨大な相違点となっているのが、「小説版は小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』の後日譚であるのに対し、アニメ版は劇場版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の後日譚である」という点だろう。アニメ『逆襲のシャア』ではハサウェイは目の前でクェスが撃たれるさまを目撃し、チェーンを殺害してしまう。一方、『ベルトーチカ・チルドレン』ではクェスを自分の手で殺害してしまう形となっており、クェスを喪失する過程が全く異なる。

 この差は、『キルケーの魔女』の終盤で最も大きな違いをもたらした。小説ではエアーズ・ロックから撤収しつつグスタフ・カールと戦ったハサウェイだが、『キルケーの魔女』ではレーンの搭乗するペーネロペーの練習機「アリュゼウス」と死闘を繰り広げ、さらにアリュゼウスの内部に搭載されていた量産型νガンダムの姿にトラウマを刺激されたことで、レーンだけではなくアムロ・レイの幻影とも戦うことになった。

 アニメ『逆襲のシャア』の内容を受けた、見事な改変と言っていい。ハサウェイは父と共に戦ったアムロの近くにいたにもかかわらず、個人的なトラウマが大きな原因となり、アムロのように人類を信じ切ることもできず、思想的にはむしろシャアに近い立場になってしまった。緊迫した戦闘中にνガンダムによく似たモビルスーツを目にしたことで、その負い目と過去のトラウマが刺激され、精神的に壊れたパイロットとしてレーンと対峙することになる。地味な話が続く『ハサウェイ』中巻を映像化するにあたり、クライマックスの戦闘を用意する上で、これ以上ない着地地点ではないだろうか。

 さらに商業的な面について書けば、そもそも『ハサウェイ』にはモビルスーツがおよそ4種類しか出てこない。プラモデルやフィギュアを売る立場からすれば、あまり美味しい題材ではないのだ。そこに「ガワをつけた姿はペーネロペーにそっくり、中身はほとんどνガンダム」という新しい機体を登場させ、ハサウェイの心情と絡めつつ活躍させるというアイデアは、商業的にも見事な解決策と言えるだろう。実際、アリュゼウスのプラモデルは予約段階で売り切れてしまっており、セールス面でもこの改編は功を奏したと言える。

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 もうひとつ、小説版と『キルケーの魔女』の大きな違いについて書くと、ラストシーン付近が大きく異なる。自ら捕虜になり、ハサウェイのもとに走ったギギ。Ξガンダムのマニュピレータからコクピットに飛び込み、ハサウェイに抱きつく……まではどちらも同じである。しかし小説ではこの間もハサウェイはヘルメットを外さず、ギギは「こんなときに、ハサウェイは、パイロット・スーツみたいなもので防御して……」と落胆し、ハサウェイはなぜギギが落胆しているのかわからず戸惑う。そして「マシーンにつつまれた密室の二人は、同質の悲しみを抱きながらも、そのいる場所が、すこしだけズレているのだ」という文章が締めの一文となった。最終巻の悲劇的な内容を示唆するようなラストだ。

 一方、『キルケーの魔女』でのハサウェイはヘルメットをとっており、コクピットに飛び込んできたギギとキスをする。ヘルメットで壁を作ることなく、ケネスではなく自分を選んだギギと向き合っているのだ。そこからガンズ・アンド・ローゼスの『Sweet Child o' Mine』のイントロが鳴り響き、エンディングへとなだれこむ。母艦を沈められ、仲間を失い、マフティー側はまったく予断を許さない状況ではあるのだが、それでも妙に開放感のあるラストである。

 このラストの改変によって、アニメ版『ハサウェイ』はどんな方向に転ぶか本当にわからなくなった。「次の話」に接続する部分の空気感が大きく変更されたものであり、この改編は物語の結末にまで影響するものではないだろうか。アニメ版『逆襲のシャア』の後日譚であることも考え合わせると、少なくとも極めて悲劇的だった小説版下巻の内容をそのまま完全にトレースすることはないのでは……という気がしてくる。

 このように、物語の根幹に関わる部分が改変されたアニメ版『ハサウェイ』がどこに着地するのか、観客である我々には全くわからなくなってしまった。ポイントを押さえた原作からの変更によって、アクセル・ローズが歌うように「Where do we go?」としか言いようのない、先読み不可能な展開に突っ込んだのが『キルケーの魔女』だったのである。

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