『ダンダダン』の面白さはSF・ファンタジーの“掟破り”にあり? 70~80年代の名作漫画との共通点

『ダンダダン』のファンは、高橋留美子の初期作品にも注目!
もちろん、この種の「掟破りな作品」にも、偉大なる先例はある。そう、たとえば、高橋留美子の初期の名作――『うる星やつら』が、この“なんでもあり”な、すなわち、“大きなウソ”をいくつも作中に投入することで、スラップスティック(ドタバタ喜劇)の面白さを醸し出すことに成功している。
さらにいえば、その『うる星やつら』の原点ともいえる高橋のデビュー作「勝手なやつら」こそ、『ダンダダン』のルーツ的な作品といっていいかもしれない。同作では、主人公の新聞配達員の青年が、UFOに誘拐されたのち、海底都市に棲む半魚人にも攫われることになる。
物語の途中で、ヒロインが「半魚人がいたんだから、宇宙人がいたっておかしくないわよ!!」といささか“説明”めいた発言をしてはいるものの、本来は、「UFO」と「半魚人」は、別々の漫画で描かれるべき“大きなウソ”なのである。だが、それをあえて組み合わせることで生じる破天荒なパワーが、「勝手なやつら」にはある。
ちなみに、筆者が以前おこなったインタビューで、高橋はこの件についてこう答えている。
「ひとつの漫画でついていい嘘はひとつだけといいますからね。セオリーどおりにいくなら「宇宙人」か「半魚人」か、そのどちらかだけが存在する世界にするべきかもしれません。でも、そういう漫画の基本は何もわかっていない時だったから(笑)、なんの疑問もなくどちらもぶちこみました」(『高橋留美子本』収録・「高橋留美子4万字ロングインタビュー」より)
たぶん、漫画の天才である高橋は、習作時代から物語作りの「基本」を知っていたはずだが、あえてこの発言を信じるなら、職業作家となる以前の、既成概念にとらわれない新人ならではの自由さが、「勝手なやつら」にはあるといっていいかもしれない。
いずれにせよ、それと同じ種類の自由さとがむしゃらなパワーを、私は龍幸伸の『ダンダダン』からも感じる(注・龍幸伸は新人ではなく、2010年デビューのキャリアのある作家だが――)。
いよいよ放送開始するアニメの第2期では、恐ろしい「邪視」という新たな“大きなウソ”が描かれることになるだろう。同作から当面、目が離せそうにない。






















