中島らもの遺作「DECO-CHIN」まさかの映画化へーー普通の外を求めるバッド・チューニングの物語

中島らもの遺作「DECO-CHIN」まさかの映画化へ

 一方、原作者の中島らもは、小説家、コピーライター、放送作家、エッセイストなど多くの顔を持ち、音楽活動も行っていた。映画『デコチン』でも彼の書いた歌詞が多く使われている。中島は、2004年7月15日の三上寛、あふりらんぽの出演したライブにギター持参で飛び入り参加し、終演後、ともに飲酒した仲間と別れてから酔って階段で転落。脳挫傷によるダメージが回復せず、同月26日に亡くなった。その転落事故3日前に脱稿した作品が「DECO-CHIN」だった。

 現在、この特異な物語は、集英社文庫で刊行されている中島らもの短編集『君はフィクション』で読める。収録された12作に特に統一テーマはないが、なかには「DECO-CHIN」と近しい要素をもった作品もある。「ねたのよい-山口冨士夫さまへ-」では、クスリで暇をつぶしているような何物でもない若者が、村八分(実在のバンド)の轟音の演奏を聴き、そのギタリスト・山口冨士夫と出会って、心のどこかが揺れる。「結婚しようよ」では、はっぴいえんど、岡林信康、吉田拓郎などが出演したフォークジャンボリーに若い男女が出かける。自由や本当を求めている主人公の男は、みんなが大合唱する予定調和の感動になじめず、かといってステージを占拠した学生運動の連中の政治的主張にも賛同できない。どちらの短編にも音楽があり、主人公は普通の日常の外にあるなにかに憧れている。でも、「ねたのよい」では無為な状態が結局続くし、「結婚しようよ」では結婚という小市民の道を選ぶ。どちらも普通の外には出られない。

 それに対し、「バッド・チューニング」は、ピアノの調律師が主人公であり、彼は楽器の音を正確にチューニングしようとするだけでなく、人間関係にも秩序や整合性を求める。だが、ある失敗をきっかけに、この狂った世界ではむしろバッド・チューニングが大切なのだと気づく。さらに短編集の表題作「君はフィクション」では、まるで性格が反対の双子姉妹とつきあった作家が、自身とは別のフィクションの人物になれば自分の人生は倍になると思い当たる。これらの物語では、バッド・チューニングやフィクションの生活を通して、普通の外を垣間見るのだ。普通の外への憧れは、こんな自分を認めてほしいという承認欲求と一体であり、それが一連の短編の共通テーマだといえる。

 ちなみにアーバンギャルドは、「保健室で会った人なの」、「ロリィタ服と機関銃」、「コミック雑誌なんかILLかい」など、既存の音楽や映画をパロディにしたタイトルが多く(元ネタは「美術館で会った人だろ」、『セーラー服と機関銃』、「コミック雑誌なんかいらない」)、松永のこの手法自体がサブカル的であり「あたしフィクション」という曲もある。

 バッド・チューニングは中島らもの文筆家としての方向性を象徴する言葉であり、「DECO-CHIN」のTHE COLLECTED FREAKSの存在や表現の核でもあるだろう。彼らに魅せられた松本は、決定的で不可逆な方法を用いて自らをバッド・チューニングな状態にする。それは、普通の日常の外にあるはずのフィクションを生きる選択をしたということでもある。「DECO-CHIN」は、極端でありえないはずの物語だ。でも、「ねたのよい」や「結婚しようよ」のような短編にみられる通り、ごく普通の人間のなかにも普通の外を求める気持ちはあるし、一歩間違えば誰でも極端な選択をしてしまうかもしれない。「DECO-CHIN」は、その入口の魅惑と恐怖をためらいなく描いているから人をひきつけるのだ。

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