中島らもの遺作「DECO-CHIN」まさかの映画化へーー普通の外を求めるバッド・チューニングの物語

中島らもの遺作「DECO-CHIN」まさかの映画化へ

 中島らもの短編小説「DECO-CHIN」が映画化されるというニュースを見た時、ウソだろ、あれを実写でやるのか、本気かよ……と驚いた。しかし、現実に島田角栄監督の映画『デコチン DECO-CHIN』は、4月26日より全国順次公開となっているのだ。

 インディーズ系ミュージック、ドラッグ、アブノーマル・セックスを三本柱とするカウンターカルチャーの音楽誌「OPSY」の編集者・松本が主人公。同誌は、皮下に樹脂を埋めこむインプラントやボディ・ピアッシング、舌先を蛇のように二つに分断するスプリット・タンといった身体改造もあつかっていた。松本は、プロダクションからプッシュされたバンドを会社の命令でしかたなく見に行ったライブハウスで、THE COLLECTED FREAKSと運命の出会いをする。シークレットで突然登場したこのバンドは、異形のメンバーばかりで組まれ、これまで聴いたことのない音楽を奏でていた。心を奪われ彼らの仲間になりたいと思った松本は、 今のままでは願いがかなわないため、とんでもない決心をする。

 中島らもの原作にあるこれらの要素のほとんどを映画はとりこんでいる。アブノーマルな趣味、体を傷つける光景があちこちにちりばめられ、THE COLLECTED FREAKS(直訳すれば、集められた奇妙な人たち)、「DECO-CHIN」といった物語の核となる異様なキャラクターもビジュアルとして表現される。本作のテイストを簡単にいえば、エログロナンセンス。好き嫌いが分かれる内容なのは確かだろう。ただ、原作を読んでいてこのままでは映像化できないと感じた部分は、生々しくなりすぎないように微妙な工夫がされており、グロテスクでありながらユーモラスに感じられもする絵作りがされていた。意外にポップなのである。

 この点に関しては、古市コータロー(コレクターズ)、小林雅之(JUN SKY WALKER(S))、仲野茂(アナーキー)といったバンドマンが出演したほか、プロダクションが推す空疎なバンドのボーカル役のゆってぃに加え、鳥居みゆきという芸人が登場するキャスティングも影響している。画面も演技もリアリズムではなく、フィクション性が強調された世界といっていい。

 また、松本は、若い頃にバンド活動に熱中したが自らの音楽的限界を自覚し、編集者になったと設定されている。その挫折の経験があるゆえに、常識を越えた音を鳴らすTHE COLLECTED FREAKSに魅せられ、のめりこむわけだ。松本の過去について原作ではさらりと触れるだけだが、映画はこの部分を膨らませ、かつてのバンド活動の様子や一緒にやっていたメンバーとの関係も描く。また、音楽活動の挫折後に編集者として、雑誌の商業性のため意に沿わない記事を作らなければならない鬱屈を追う。この主人公をアーバンギャルドの松永天馬が演じているのが、ポイントだ。

 アーバンギャルドといえば、トラウマテクノポップを標榜し、サブカルチャーであることにこだわったバンドであり、歌詞はリーダーでソロ活動も行う松永が担当している。『メンタルヘルズ』、『ガイガーカウンターカルチャー』、『アバンデミック』といったアルバムや「病めるアイドル」、「自撮入門」、「戦争を知りたい子供たち」などの曲のタイトル、主催フェスを鬱フェスと名づけ「盛り下がれ」を合言葉とするあたりに良識の外と戯れようとする松永のセンスがよくあらわれている。

 音楽界にはクロスロード伝説というものがある。ブルースの偉人ロバート・ジョンソンは、十字路で悪魔に魂を売り渡すかわりにギターの超絶的テクニックを得たという伝説だ。芸術をめぐる物語においてこの主の異様な取引や決断はたびたび題材になってきた。本作の場合、それが身体改造を通して描かれる。身体改造までしなくても、自分にとってブレイクスルーとなる取引ができればいいのにと夢想するアーティストはいるだろうし、音楽に対しねじれた感情を抱き、普通ではない選択をする主人公に松永天馬は適役だろう。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる