佐々木敦 × 円堂都司昭が語る、坂本龍一との距離感 「矛盾した存在をどう受け止め、どう考えるかが重要だった」

坂本龍一がこの世を去って、早くも2年の月日が経とうとしている。
東京都現代美術館で行われている『坂本龍一|音を視る 時を聴く』展の開催(3月30日(日)まで)、アルバム『Opus』がグラミー賞にノミネートされるなど、今もなお、坂本龍一の表現や存在に触れる機会は多い。関連書籍も次々と出版されているが、佐々木敦による『「教授」と呼ばれた男——坂本龍一とその時代』(筑摩書房)、円堂都司昭による『坂本龍一語録:教授の音楽と思考の軌跡』(ぱる出版)の二つの著作もまた、巨大で多面的な存在だった坂本の全体像を掴むうえで、多くの視座と示唆を与えてくれる作品だ。
リアルサンド ブックでは、佐々木、円堂の両氏による対談をセッティング。それぞれの著作を軸にしながら、“坂本龍一とは?”について語り合ってもらった。
『坂本龍一語録』と『「教授」と呼ばれた男』は相互補完的

——佐々木さん、円堂さんは以前から交流があったそうですね。
佐々木敦:最初がいつだったかは記憶が曖昧なんですが、ちょうど1年前、文学フリマ(「文学フリマ東京38」)に自分のブースを出していたら、円堂さんが取材でいらっしゃっていて。ちょうどこの本(『教授と呼ばれた男——坂本龍一とその時代』)が出たばかりだったので、「書評してくださいよ」と言ったのを覚えています。それが今日の対談につながったのかなと。
円堂都司昭:佐々木さんの本が出た段階で、インタビューさせてほしいと思っていたんです。佐々木さんとはかなり前から面識がありましたが、しっかりお話をしたことはなかったので。
佐々木:そうですね。
円堂:今だから言いますが、『教授と呼ばれた男』の連載がwebちくまで始まったとき、既に『坂本龍一語録』の執筆依頼を受けていたんです。当然、佐々木さんの連載は気にしていたし、本になった段階ですぐに読んで。佐々木さんは『ニッポンの思想』(筑摩書房)『ニッポンの音楽』(講談社)『ニッポンの文学』(講談社)も書かれているし、ミュージシャンだけでなく評論家や小説家などとも交流があった坂本龍一を横断的に書ける方だと思っていたんですよね。しかも本の副題が“坂本龍一とその時代”なので、周辺状況やカルチャーとの関係も詳細に書かれるのだろうなと。
佐々木:それは僕も同じです。円堂さんは『YMOコンプレックス』(平凡社)の著者ですし、坂本龍一さんに関する本も準備されているんだろうという気はしていて。なので『坂本龍一語録』が出たときは、ついに来たなと思いました。
円堂:2003年に出した『YMOコンプレックス』の参考文献には佐々木さんの『テクノイズ・マテリアリズム』(青土社)も入っていますが、音楽評論としては最初の本でしたよね?
佐々木:ええ。その前に『ゴダール・レッスン あるいは最後から2番目の映画』(フィルムアート社)があって、音楽評論の単著としてあれが初めてです。
円堂:エレクトロニカや音響派という当時の動向を概観するうえで、その後の『ex-music』(河出書房新社)も参照させていただいて。あれから20年以上が経って、今日に至ったという。
佐々木:早いですよね。坂本さんが亡くなってもうすぐ2年、本を書き終えて1年経ったのも信じがたいというか、単純に時間はあっという間に過ぎるのだなと。円堂さんにとって『坂本龍一語録』は、坂本さんやその周辺について集中的に論じられた『YMOコンプレックス』以来の本になるわけですが、この切り口(坂本龍一が交流のあった著名人との対話のなかで発言した数々の言葉を、その背景と共に解説)で書こうと思われたのはどうしてなんですか?
円堂:依頼を受けた段階で『坂本龍一語録』というタイトルを提案されたんです。名言集みたいな本を僕が書くのは違うのかなと思っていたんですが、編集者が坂本龍一で卒論を書いたバリバリのマニアでやる気になりました。それで、交流のなかの発言、つまり誰かに対して言った言葉を取り上げて解説していけば、坂本龍一の多面性や彼が過ごしてきた時代、カルチャーの変遷も自ずと浮かび上がるだろうと。先ほど佐々木さんが仰った『YMOコンプレックス』の続編という意識もありました。ただ、『YMOコンプレックス』を書いたときに使った資料は処分していたので、改めて集め直さなくちゃいけなくて。かなり大変でしたね。
佐々木:それも同じですね。坂本さんは作品も多いし、関わった人も多い。出版物やメディアへの登場も多いので、一生を扱うとなるとキリがない。ある時期を掘り下げていくと、どんどんいろんな要素が出てきて、なかなか次に行けないんです。内容の交通整理と言いますか、何を残して、何を捨てるかを即座に判断しながらやっていましたが、あとになって「やっぱりあのことを入れたほうがいい」という部分も出てきて。その辺は単行本にする過程でかなり書き直しをしています。『坂本龍一語録』の執筆はどのように進めていかれたんですか?
円堂:まず坂本さんが対談した相手の名前を挙げて、誰を選ぶか?から始めました。ただ実際に対談に当たってみると、期待のわりに意外と面白くなかったりもしたんですよ。たとえばクラフトワークとYMOの座談会だったり。吟味するなかで、「最低限、これだったら成立するだろう」というところで構成したというところですね。足りない資料は図書館で検索したり、坂本マニアの編集者にコピーを送ってもらったり。デヴィッド・シルヴィアンとの往復書簡をまとめた本(『デヴィッド・シルヴィアン 写真日記 '82 - '85 + 坂本龍一 往復書簡/Perspectives』)などは「坂本図書」(坂本の蔵書を集めた図書空間)に2回行って、必要な個所をひたすらメモしました。でも、佐々木さんの本に比べれば大して苦労はしてないと思いますよ。

佐々木:いやいや。ただ、もちろんファクトや情報をベースにしなくてはいけなかったし、いちばん恐れていたのはハッキリと間違いを書いてしまうことだったんです。坂本さんに対する何かしらの価値判断をしなくてはいけない箇所もあったし、勢いで書いてしまわないように気を付けていました。『「教授」と呼ばれた男』は評伝として受け取られかねない本ですが、伝記ではないんですよね。坂本龍一という人がやってきこと、話したこと、書いたこと、奏でたこと、それが為された時代に対して、同時代を生きてきた自分がどう考えていたのか。あるいは執筆の時点からどう見えているのかを書くことが大きな課題だったので、そのバランスを取るのが非常に難しかったです。web連載は反応がダイレクトに来るので、それはよかったですけどね。第1回、第2回と読んでくれた人の反応がネットに上がり、もちろんいろんな意見があるんですが、それがとても参考になったので。これまで書いてきた音楽論、文芸評論もそうですが、ほとんどは紙面で連載していたんです。たとえば1年間連載すれば、その間にいろいろなことが起きるし、どこかドキュメントの要素が入ってくる。それを入れ込みながら書いていく、ジャーナリスティックな側面が自分にはあるんだと思います。ただ、今回の場合は何といっても坂本龍一ですからね。マニアックな方も多いし、いろいろな意見があるだろうなと身構えていたところもありました。これは半分冗談、半分は本気なんですが、集合知だと思ってるところもあるんですよ。僕が書いたものに対して「ここが足りない」「これは間違っているのでは」ということがあれば、それを活かせばいいので。結局我々は、与えられた条件のなかでやれるだけのことをやるしかないですから。それを踏まえて言わせていただくと、『坂本龍一語録』と『「教授」と呼ばれた男』は相互補完的なところがあるのかなと。『坂本龍一語録』には彼の発言をつなげることで、坂本龍一という多焦点的な在り方を論じようという意識が感じられるし、まず“語録”を読んで、僕の本を読んでもらえたら理解しやすいかもしれない(笑)。
円堂:なるほど(笑)。佐々木さんはあとがきで“中沢新一との共著(『縄文聖地巡礼』イースト・プレス)や福岡伸一との対談本(『音楽と生命』集英社)などについてももっと触れたかった”という内容のことを書かれていますが、そちらは僕の本で扱っているんですよね。
佐々木:諦めないといけなかった内容もかなり多かったんですよ。時間が倍あって、本の厚みを2倍にしていいのであれば、入れたかったものたくさんありますね。