【解読『ジョジョの奇妙な冒険』】自分が自分であるために――ディオ・ブランドーの「悪」の生き様にシビれよ

ディオ・ブランドーの「悪」の生き様

構造主義的なヒーローと実存主義的なヴィラン

 ちなみに、いささか乱暴にいってしまえば、名家の御曹司として、決められた運命に身を委ねているジョナサンは「構造主義」的なヒーローであり、一方、過酷な運命に抗い、自分が自分であるために戦うディオは、「実存主義」的なヴィランであるといえるだろう。

 「そこにシビれる! あこがれるゥ!」という例の悪童たちの有名なセリフを引用するまでもなく、要は、そのどちらが魅力的か、ということだ。

 いずれにせよ、ディオ・ブランドーという「悪」の存在が、主人公ジョナサン・ジョースターの成長を促し、また、その後の物語の方向性をも決めた(第3部、第5部、第6部でも、彼の存在が物語の根源に関わっている)。そして、ディオが魅力的だったからこそ、その対極の存在であるジョナサンも魅力的になったのである。

 周知のように、『ジョジョの奇妙な冒険』の長い連載の中では、「悪」の描き方も時代の変化に応じて大きく変わってきてはいるのだが(「巨大な悪」から、「目に見えない抽象的な悪」へ)、なんといっても、すべての始まりはこのディオ・ブランドーなのだ。

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