新連載:解読『ジョジョの奇妙な冒険』 第一回「“ジョジョ”という名の時代を越えたヒーローたちの誕生」

“ジョジョ”という名のヒーローたちの誕生

 すべては1986年に始まった。その年の12月2日に発売された「週刊少年ジャンプ」1987年1・2号にて、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』の連載が開始したのである。同作は荒木にとって、『魔少年ビーティー』、『バオー来訪者』に続く3度目の連載作だったが、おそらく第1話が発表された時点では、このどこかアナクロニズムめいたゴシックホラーが、主人公と舞台を変えながら35年以上も続く大ヒット作になっていく未来を、予想できた者はそれほど多くはなかっただろう。

 しかし、周知のように『ジョジョの奇妙な冒険』は序盤から無数の読者を獲得し、連載の場を「ウルトラジャンプ」に移した現在でも、アニメ化、映画化、小説化、展覧会開催といったさまざまなメディアミックス展開を見せながら、その作品世界を大きく広げ続けている(現在はシリーズ第9部が連載中)。

 また、第4部ではシリアルキラーの恐怖を、第6部では世紀末が象徴する破壊と再生を、第7部では同時多発テロ以降のアメリカを、そして、第8部では東日本大震災を経た人々の繋がりを描く、といった具合に、時代時代を映し出す鏡のような存在にもなっている(注・若い読者はご存じないかもしれないが、第4部が連載されていた当時のエンタメ界では、多重人格や異常犯罪などをテーマにしたサイコホラーが流行していたのである)。

 さて、本連載は、そんな稀代の名作を自分なりに「解読」しようというものだが、第1回となる今回は、そもそもなぜこの『ジョジョの奇妙な冒険』が、これほどまでの長期の連載作になりえたのかについて、改めて考えてみたいと思う。

主人公を変えていく大胆なシステムと、「スタンド」の“発明”

 考えられる要因は3つほどあるが、まずは、長い物語を「第○部」という形で区分し、その都度、(冒頭でも述べたように)時代、場所、そして、主人公を変えていく、という大胆なシステムの成功が挙げられるだろう。そう、ジョースター家の血と「黄金の精神」を持った「ジョジョ」という名の主人公さえ設定すれば、古今東西、いかなる時代、いかなる場所であっても、「奇妙な冒険」を展開させることができるのだ。このことにより、物語は常に鮮度を保つことができ、長期連載にともなうマンネリ化を避けることもできた(さらには、連載途中からの読者を取り込みやすい環境もできた)。

 むろん、この種のシステムを用いた作品に、手塚治虫の『火の鳥』や、映画『スター・ウォーズ』といった例がないわけでもないが、週刊連載の少年漫画としては、やはり極めて珍しい作りであるといえよう(スポーツ物や集団バトル物などで、一定期間、本来の主人公とは別のサブキャラクターが主役を務めることもあるが、それはまた別の話である)。

 2つ目の要因は、第3部以降の物語に登場する、「スタンド」という超能力表現の妙である。スタンドについては、「波紋」とともに別の回で採り上げたいと思っているので、本稿で詳しく解説するのはやめておくが、要は、その名の通り、使い手の背後に寄り添うように“立って”いるヴィジョン(多くの場合は人型だが、乗り物や昆虫などの形をしていることもある。また、使い手から離れて遠隔操作できるタイプもある)が繰り出す超能力のことである。

 改めていうまでもなく、超能力とは本来“目に見えない力”のことだ。それをあえて見えるようにしたところに、荒木飛呂彦という作家の凄みと、漫画という表現の自由さがあるといえよう。

 さらにいえば、荒木はこのスタンドを用いたバトルを単なる肉弾戦としては描かずに、心理戦や頭脳戦の要素をも取り入れた。そのことにより、一連のスタンドバトルには、“見応え”だけでなく“読み応え”も加わったのである(思えば荒木は、デビュー作「武装ポーカー」の頃から、派手なガンアクションに賭け事の心理戦を加えた独創的な作品を描いていた)。

 また、先ほど私は、「ジョジョ」という名の主人公さえ設定すれば、いくらでも物語を展開させることができると書いたが、このスタンドについても同様で、つまり、「スタンドの使い手」さえ出せば、時代や場所を問わず、それは『ジョジョの奇妙な冒険』であるということになる。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「連載」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる