杉江松恋の新鋭作家ハンティング 日本絵画の伝統を見事に咀嚼した芸術小説『あの日の風を描く』
委縮して自分の殻に籠る真が、先輩である土師から厳しくたしなめられる場面がある。
「真君は、バンドに全部を奪われたような顔をしているけど、何も奪われちゃいないだろ。作家性も十分じゃないのに、違う土俵にいたんだ。何をめそめそ泣く必要があるんだい」
まだ何者にもなっていないのに、何者になったかのような顔をしていただけだろ。
そういう批判が真の胸を刺す。『あの日の風を描く』は、過去の優れた業績に学んでそれぞれ自分を作り上げていくということを基本線とし、どのように創作行為を捉えるかが複数の人の口から語られる作品なのである。真を突き放した土師も、留学生として日本にいる蔡も、それぞれの思いを抱えて今その場所に立っている。真はやがて自分の立つべき位置を見出し、そこに行くために動き始める。最終盤には一つの試練が描かれるが、絵空事のように大きなものではなく、身の丈にあったような小さな、しかし乗り越えるのは難しい難関である。それに真がどう向き合うかが最後の山場となる。
作者は、日本絵画の伝統を十分に理解した上で本作を書いている。たとえば狩野派には粉本主義、つまり優れた原本を模倣することで技巧を高く保っていくという考え方があったが、そのことを事例によって読者に十分納得させた上で、では現在想定復元模写を進めている襖はどうなのか、という疑問を突き付けるのである。問題を解く糸口は、実はその点にある。真たちは狩野派の伝統と自らの中に生まれた創意の間で絵筆を執る平野雪香の心に降りていかねばならないのだ。『あの日の風を描く』は、そのことを的確に捉えたいい題名である。
さまざまな芸術小説はあるが、ここまで題材を見事に咀嚼し、自作に活かしたものは、殊に新人の作品は珍しい。おそらくは美術系の出身、それも日本画か、と思って読後に奥付を開き、作者のプロフィールを見て驚いた。
「福岡大学薬学部を卒業し、現在薬剤師として勤務している」と書いてある。
えっ、美大卒じゃないのか。これが冒頭に書いた、最大の驚きである。ということは専門外の分野について一から勉強し、独学でこの作品を書きあげたわけか。脱帽である。小説を書くにはさまざまな能力が必要とされるが、その中でも基本となる取材力、そこから世界を構築するための想像力、そして調べたことでも物語に必要でなければ捨て去るという胆力がこの作者にはあらかじめ備わっていた。なんでも書けるだろう。次回作が実に楽しみだ。