日本幻想文学のカリスマ・稲垣足穂が描く怪異と少年の成長譚 夏の終わりに読むべき一冊『我が見る魔もの』
かれこれもう10年以上は続いていると思うが、「平凡社ライブラリー」が毎夏刊行している、「文豪怪異小品集」(東雅夫編)の新作を娯しみにしているという読書家はことのほか多いのではあるまいか。
これまで、泉鏡花、内田百閒、宮沢賢治、佐藤春夫、江戸川乱歩、夢野久作、谷崎潤一郎、小川未明、三島由紀夫、岡本綺堂といった「文豪」たちの「怪異小品集」(怪談集)が刊行されてきたが、今年選ばれたのは稲垣足穂――『我が見る魔もの』と題された一冊は、(単に怪談であるからというだけでなく)例年以上に“夏に読むべき”内容に仕上がっている。
モダニズム文学の新星にして日本幻想文学のカリスマ
稲垣足穂は、1900年大阪市生まれ。1921年に上京し、佐藤春夫のもとに仮寓。1923年、「イナガキ・タルホ」の筆名で『一千一秒物語』を出版、モダニズム文学の新星として注目される。その他、『ヰタ・マキニカリス』、『彌勒』、『少年愛の美学』、『ヴァニラとマニラ』、『ヒコーキ野郎たち』など、メカニズム、天体、オブジェ、エロティシズムなどをテーマにした独自の文学世界を構築。
不遇な時代もあったが、自著(『夢の宇宙誌』)の献辞として「わが魔道の先達、稲垣足穂氏に捧ぐ」と書いた澁澤龍彥をはじめ、三島由紀夫から松岡正剛にいたるまで、彼に共鳴した作家、文筆家は数知れない。
『稲生物怪録』を原案とする3つのヴァリアント
さて、今回の東雅夫編『我が見る魔もの』だが、収録作はそれぞれ、描かれている「怪異」の種類によって、「Ⅰ・化物屋敷譚」、「Ⅱ・愛蘭に往こう!」、「Ⅲ・幻想市街図」、「Ⅳ・イノモケ鬼譚」という4章に振り分けられているのだが、とりわけ注目すべきは、全体のページの半分ほどを占めている最後の章――「イノモケ鬼譚」だろう。
「イノモケ鬼譚」とは、広島県三次(みよし)市に江戸中期から伝わる特異な妖怪譚『稲生物怪録』のことであり、同章では、その物語を稲垣足穂がモダンな感覚で小説化した3つのヴァリアント(+α)が収録されている。
具体的にいえば、「懐しの七月」、「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」、「稲生家=化物コンクール」という短編3作だが、足穂はよほどこの題材が気に入ったものと思われる(そうでなければ、飽きもせずに3度も同じ物語を書きはしないだろう。また、足穂だけでなく、泉鏡花、折口信夫、水木しげるといった作家、漫画家たちも、『稲生物怪録』に取材した作品をのこしている)。
「山ン本五郎左衛門」とは何者か?
なお、ヴァリアントである以上、話の骨子は3作とも似たようなものだが、ここでは結びの一文がとびきり印象的な、「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」を紹介しよう。
主人公は、稲生平太郎という16歳の武家の少年。寛延2年7月のある晩、この平太郎が、比熊山にある古塚を侵したため、連日稲生家で“怪異”が起こるようになる。畳は舞い、石臼は転がり、おどろおどろしい(だがどこか滑稽でもある)モノノケたちが家の中を跳梁する日々……。
しかし平太郎少年は気丈にそれらを撃退。結局、怪異は1か月ものあいだ続くことになるのだが、夏の終わりとともに、化け物たちの総大将らしき「山ン本五郎左衛門」なる大男が現れる(注・「山ン本」は「サンモト」と読む)。
度重なる怪異にも全く怯むことのなかった平太郎に感心した山ン本は、一挺の手槌を平太郎に渡し、こういう。「若(モ)シ怪事アラバ北ニ向イテ、山ン本五郎左衛門来レト申シテ、コノ槌ニテ柱ヲ強ク叩クベシ。余ハ速ヤカニ来リテ御身ヲ助ケン」
日本にはこの山ン本の他にも、「神野(シンノ)悪五郎」という魔人がいるらしいのだが、物語の最後まで彼らの正体が明かされることはない(神野にいたっては、その名が出るのみであり、かえって恐ろしい印象を読み手に与えることだろう)。
やがて山ン本は百鬼夜行を率いて稲生家を去り、後日、季節が秋になっていることに気づいた平太郎はこう想うのだった。「山ン本五郎左衛門ノ顔ヲ僕ハ生涯忘レルコトハナイデアロウ。(中略)槌ヲ打ツ心算ハナイガ、僕ノ心ノ奥ニハ次ノ様ニ呼ビ掛ケタイ気持ガアル。山ン本サン、気ガ向イタラ又オ出デ!」
この、最後の「山ン本サン、気ガ向イタラ又オ出デ!」という一文が、なんともいえず、いいではないか。