『怪と幽』編集長が語る、妖怪と怪談それぞれの楽しみ方 「お化けに真摯に向き合わなければならない」

『怪と幽』編集長インタビュー
『怪と幽 vol.011』(8月31日発売/KADOKAWA)

 1997年にKADOKAWA(当時・角川書店)が、『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる水木しげるを柱として創刊した妖怪マガジン『怪』。『幻想文学』(2003年終刊)編集長だった東雅夫が編集長となり、2004年にメディアファクトリーが創刊した怪談専門誌『幽』。2013年にメディアファクトリーがKADOKAWAに吸収合併されるなど状況は変わり、『怪』と『幽』は合併し、2019年に『怪と幽』が創刊された。そのようにあまりない経緯を持つ雑誌である。だが、前身2誌の時代からテーマとしてきた妖怪と怪談は、似ているようで異なるため、関係者は合併に戸惑いがあったらしい。「お化け好きに贈るエンターテインメント・マガジン」を標榜する『怪と幽』の似田貝大介編集長に、これまでとこれからを聞いた。(円堂都司昭/8月16日取材・構成)

学生時代から妖怪の同人サークルに出入りしていた

似田貝大介編集長

――最初はメディアファクトリーで編集者として歩み始めたんですよね。

似田貝:はじめは雑誌『ダ・ヴィンチ』のアルバイトでした。もともと編集者を目指していたわけではありません。2000年卒で、就職の超氷河期でしたから、どの業界も募集が少なくて、周りには就職浪人が大勢いた。私は就活自体にあまりやる気がなく、卒業後は主に肉体労働のバイトをして、ふらふらしていました。妖怪が好きだったので学生時代から妖怪の同人サークルに出入りしていたら、そこに『怪』を作っていたメンバーがいたんですね。妖怪探訪家の村上健司さん、妖怪研究家の多田克己さん、作家の京極夏彦さん、初代『怪』編集長の郡司聡さん、ほかにも後に研究者や作家やライターとして活躍する面々が集っていました。彼らと一緒に全国の妖怪伝説スポットを巡ったりお祭りに行ったり。

 当時、『怪』は「世界妖怪会議」という大きなイベントを、各地で開催していました。私は暇というか自由なので「お前、手伝え」と言われて物販なんかをやっていましたね。2003年の青森県むつ市では、「世界妖怪会議」と同時に「怪談之怪」というイベントが開催されたんです。「怪談之怪」は『ダ・ヴィンチ』が主催でした。そこにいた当時ダ・ヴィンチ副編集長だった岸本亜紀さんに誘われて、同誌でバイトを始めた、という経緯です。あとで理由を聞いたら「機敏に動くタクシー運転手がいるなと思ったら、コスプレした似田貝だったので使えると思った」「あと、打ち上げでご飯をいっぱいおかわりしていたから」と言われました。

『ダ・ヴィンチ』で働き始めてしばらくすると怪談専門誌『幽』が創刊されることに。どうやら肉体労働系の人員として呼ばれたようです。いきなり創刊号の小泉八雲特集でロケ企画を任されたので東雅夫さんやカメラマンさんと3人で島根に出張し、取材行程を調整しながらレンタカーを運転しました。編集経験のないバイトがやる仕事ではないですよね。でも、こういうのは趣味の妖怪伝説地巡りで慣れていたので。

――学生時代から妖怪や怪談の関連書籍は読んでいたんですか。

似田貝:文化人類学や民俗学っぽい本、民話集などはわりと読んでいました。怪談なら『新耳袋』とか。妖怪・怪談関連の新刊って、今でこそ月に何冊も刊行されますけど、20年程前は年に数冊といった感じでした。なので昭和のオカルト本や児童書、ゲーム攻略本などにも手を伸ばし、古書店を巡っていました。

――『ダ・ヴィンチ』でバイトを始めてからは、すぐに『幽』ですか。

似田貝:しばらくしてバイトから契約社員にしてもらったんですけど、『幽』は年に2回しか刊行しませんから、それ以外の時期は『ダ・ヴィンチ』や単行本の編集をしていました。

――早い時期から知りあった京極さんをはじめ、書籍情報誌の『ダ・ヴィンチ』にいた時期には、後に一緒に仕事する作家たちと取材でけっこう出会われたのでは。

似田貝:そうですね。メディアファクトリーがKADOKAWAに吸収合併されたタイミングで、『幽』がダ・ヴィンチ編集部からKADOKAWAの文芸編集部で刊行することになり、私をはじめ『幽』に関わっていたスタッフもまとめて、雑誌ごと文芸の部署へ異動になりました。『ダ・ヴィンチ』の取材で会うのと、文芸編集者として作家を担当するのでは、距離や密度が違いますから緊張します。それでも、良い印象とともに覚えてくだった方もいて、ありがたかったです。

――東雅夫さんは『幻想文学』終刊からさほど間をおかず『幽』を始めた印象でしたが。

似田貝:『幽』の前に、『ダ・ヴィンチ』で「怪談之怪」という連載ページを岸本さんが担当していました。怖い話をしてくださる人気作家や著名人の話を聞く、という会を誌上で行っていたら、「そのお遊びをそろそろ仕事にしろ」と会社にいわれて作ったのが『幽』だとか。ちょうど『幻想文学』の休刊が決まったタイミングで、岸本さんが東さんにお声がけしたそうです。

――『幽』は最初から『怪』を意識していた。

似田貝:はい。「怪談之怪」と『怪』は合同でイベントを企画していたこともあり会う機会が多く、「仕様については完全に真似した」といっていました。ただ、内容は異なります。『幽』は「怪談」ですから文芸的な側面が強くなりました。東さんの『幻想文学』の人脈と『ダ・ヴィンチ』や「怪談之怪」で岸本さんが開拓した作家人脈をたどって、小野不由美さん、綾辻行人さん、有栖川有栖さん、恩田陸さん、京極さんなど錚々たるメンバーにミステリではなく怪談を書きませんかとお願いした。普通だったら原稿をいただくまでに何年も並ばなくてはならない面々ですけど、「怪談」というテーマに魅かれて書いてくださったんだと思います。

――似田貝さんは『怪』にも『幽』にも早くからかかわっていた。

似田貝:『怪』は、作っている人たちと遊んでいただけです(笑)。ふたつの雑誌が別の会社だった時も、なぜか『怪』の企画会議みたいな呑み会に私もいて、よく「スパイ」なんでいわれました(笑)。会社が合併してからは、『怪』で水木しげるさんを担当して誌面の一部を手伝いました。

 かたや『幽』は最初から最後までかかわることが出来ました。会社の合併前まで特集はほとんど担当して、合併後は配属された部署の関係でそこまで深くかかわれなかったので、いくつかの連載記事を担当していました。

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