日本幻想文学のカリスマ・稲垣足穂が描く怪異と少年の成長譚 夏の終わりに読むべき一冊『我が見る魔もの』
夏に読むべき少年の物語
ちなみにこの「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」という物語は、三島由紀夫が「小説とは何か」というエッセイの中で絶賛していることでもよく知られているのだが(国枝史郎『神州纐纈城』とともに、「疑いようのない傑作」と書いている)、ここでは、『我が見る魔もの』の編者である東雅夫の文章を引用するのがいいだろう。
(引用者注/稲垣足穂の「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」という作品は)とりわけ最後の魔王山ン本と平太郎少年との語らいの場が出色で、ひと夏のイニシエーションの物語へと見事な変換を成し遂げている。
〜『日本幻想文学大全 日本幻想文学事典』東雅夫(ちくま文庫)より〜
そう、要するにこの物語は、ただの怪談ではなく、モノノケとの対決という困難を乗り越えた、ひとりの少年の成長譚としても読むことができるのだ。あらためていうまでもなく、人間の一生を四季にたとえるなら、子供が大人になっていく季節は、夏から秋にかけてのひとときということになるだろう。
だからこそ、同作を読むのに最もふさわしい季節は夏――それも、夏が終わろうとしているいま――なのではないかと、私は常々思っているのである。
※「山ン本」の「ン」は小文字が正式表記。