ナムコが生み出したBGM、スーパーマリオブラザーズの楽曲分析……ゲーム音楽の誕生とその技法に迫る2冊
スーパーマリオブラザーズの楽曲はなぜ心を深く動かすのか
続いては、アンドリュー・シャルトマン『「スーパーマリオブラザーズ」の音楽革命 近藤浩治の音楽的冒険の技法と背景』(樋口武志訳、DU BOOKS)。『ナムコはいかにして世界を変えたのか』が歴史的社会的アプローチだったのに対し、こちらは音楽分析的アプローチである。
著者はクラシック系の音楽学者・作曲家で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを理論的に扱ってきたそうだ。
本書の親本は、イギリスの出版社ブルームズベリー社の「33 1/3」シリーズ(https://www.bloomsbury.com/uk/series/33-13/)から2015年に発売された。「33 1/3」は同社のアカデミック部門の叢書で、ポピュラー音楽の重要なアルバム1枚を1冊費やして掘り下げるというのがコンセプトだ。ラインアップはさながら「ポピュラー音楽名盤列伝」といった趣で(現時点で192冊出ている)、村上春樹が訳したジム・フリージ『ペット・サウンズ』(新潮文庫)もこのシリーズの1冊である。
ゲーム音楽が取り上げられたのはマリオが初めてだったが、それよりも気になるのは、「アルバム1枚を掘り下げる」というコンセプトにマリオのBGMが果たしてマッチするのかという点ではないか。シャルトマンの弁を聞こう。
「近藤の「スーパーマリオブラザーズ」の音楽は、二十世紀のいかなる偉大な音楽アルバムと比べても同じくらい重要なものであり、文化的にも音楽的にも同じくらい豊かなものである」
マリオBGMには「音楽自体にも私たちの心を深く動かす何か――ノスタルジーとは関係のない何かがある」とシャルトマンは言う。その「何か」に言葉を与えるのが本書の目的であると宣言されている。
シャルトマンの方法の基本は楽曲分析なのだが、2部構成になっており、意外にも第1部は、アタリ社が壊滅した情景、アタリショックから書き起こされている。
任天堂進出以前の米家庭用ゲーム市場の状況を振り返る、ゲーム音楽の歴史をさらうなどいくつかの意味があるのだが、主たる目的は、ファミコン(海外ではNES=ニンテンドー・エンタテインメント・システム)が、家庭向けゲーム、ひいてはゲーム音楽に対するアプローチを根底から変えたことを示すことにある。任天堂の思想との相克が近藤浩治の創造性に及ぼした影響を、シャルトマンは言おうとしているのだ。一見、楽曲分析には不要に見えるアタリショックから書き始められているのはそのためだ。
「その音楽をゲーム内の環境とプレイヤーの体験にマッチさせること」
そう要約されているが、この抽象的で漠然とした課題が、実際の音楽でどのようにクリアされいかに高度に達成されているか。それを探るために分析という手法が使われているのである。
「私が「スーパーマリオブラザーズ」をプレイするとき、操作する画面上のキャラクターと音楽はいつも不気味なまでにシンクロしている。(…)近藤はゲーム音楽が、マリオと、マリオを動かす手のあいだのギャップを小さくできると信じていたのだ」
初期のコンシューマーゲームの音楽を論じるとき、音源の貧弱さ(同時発音数や音質の制限)を感じさせない、あるいは逆手に取った表現力や美学が称えられることが多い。本書もその例に漏れないものの、「キャラクターと音楽の不気味なまでのシンクロ」、音楽の身体性に対するこだわりのおかげでひと味違う分析になっている。
もうひとつ書き添えておきたいのは、楽曲分析とはいえ、いわゆる五線譜の重要度が実はそこまで高くないことだ。なぜなら「彼の楽曲の最終的な「楽譜」は(…)通常の記譜法で書かれたどんな音楽とも似ても似つかない。ゲーム音楽の巨匠たる近藤のアイデアは、コンピュータ・コードという言語に翻訳され」ているからである。