丸山正樹 × 五十嵐大『デフ・ヴォイス』対談 ろう者やコーダの物語を描くことへの葛藤と意義

丸山正樹×五十嵐大『デフ・ヴォイス』対談
丸山正樹『デフ・ヴォイス』(創元推理文庫)

 作家・丸山正樹氏のデビュー作『デフ・ヴォイス』の創元推理文庫版が、2月16日に刊行された。2023年末にNHKにて、草彅剛の主演でドラマ化されたことも記憶に新しい同作は、2011年に文藝春秋より刊行されたが、続くシリーズの『龍の耳を君に デフ・ヴォイス』『慟哭は聴こえない デフ・ヴォイス』『わたしのいないテーブルで デフ・ヴォイス』は東京創元社より刊行されていた。今回、改めて創元推理文庫版が刊行されたことで、登場人物たちが手話でメッセージを伝える装画も含めて、一貫したシリーズとして楽しめるようになった。

 『デフ・ヴォイス』は、ろう者の両親の間に生まれた耳の聞こえる子ども=コーダ(CODA)の手話通訳士である荒井尚人を主人公としたミステリ小説だ。ろう者や関係者の苦悩がリアルに描かれていることが評価されている作品で、昨年末のドラマでは実際に当事者の役者が出演したことも話題となった。しかし、丸山正樹氏は本作が評価されることに葛藤も抱いていたという。

 リアルサウンド ブックでは、コーダの当事者であり、『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)や『聴こえない母に訊きにいく』(柏書房)などの著作で知られる作家の五十嵐大氏との対談を実施。ろう者やコーダについての物語を紡ぐことの意義や課題について語り合ってもらった。(編集部)

丸山「葛藤がいまだにあります」

丸山正樹氏

五十嵐大(以下、五十嵐):僕は子どものころから、ろう者が登場するコンテンツは小説に限らず気になってチェックしてしまうんですよ。でもだいたい、当事者はこんなことをしないと思うけどな、という違和感があって、最後は美談でまとめられてしまう。でも『デフ・ヴォイス』は違った。作者はコーダか、あるいはろう者の研究をしている方なのではないかと思うほど、リアルな葛藤や苦しみが行間から滲み出していました。この丸山正樹という人はいったい何者なんだ、と衝撃を受けたのを覚えています。

丸山正樹(以下、丸山):ああ、よかった。これまで五十嵐さんから直接作品の感想を聞いたことがなかったので、ひょっとして怒っているんじゃないのかなと思っていたんです。

丸山正樹『龍の耳を君に デフ・ヴォイス』(創元推理文庫)

五十嵐:怒りませんよ(笑)。丸山さんと知り合ったのは二作目『龍の耳を君に』が出たあとだけど、当時はまだ、自分がコーダであるということを試行錯誤しながら咀嚼している段階だったんです。それからしばらくして、僕自身も本を書くようになってようやく「コーダであることもアイデンティティの一つだ」と思えるようになった。それまでは、作品の感想を伝えようとすると、どうしても僕自身の話に繋がってきてしまうから、なかなか難しかったんですよね。

丸山:本を出してから出会ったコーダの方たちは、子どものころからさまざまな葛藤を乗り越え、今はろう者と手をとりあえるコーダであることを誇りに思っている方々が多い。でも、なかには五十嵐さんのおっしゃるアイデンティティにはつなげず、ろう者と距離を置くコーダもいますよね。

五十嵐:そう、コーダといっても実に多様なんです。僕も手話があまり得意じゃないから、実は荒井さんに共感するところが多いわけではない。でも、彼の斜め後ろに立って、彼の目に映る景色を一緒に見ながら、「頑張れ」とその背中に声をかけ続けているような気持ちで読みました。ふだん、どんな小説を読んでいても登場人物に感情移入しがちな僕には珍しいこと。でも、この安易に共感させないところが『デフ・ヴォイス』の魅力なんです。

 ミステリーとしても抜群におもしろいですよね。多くのコーダが共通してもつある特徴が、事件の真相にたどりつくヒントになっているんだけど、たいていの人にはわからないから、ラストでびっくりさせられると同時に「コーダとはどういう存在か」が自然と伝わってくる構成になっていて。コーダの存在を知らない人にこそ読んでほしいと思いました。

丸山:とてもうれしいお言葉なんですが、一方で、忸怩たる思いもあるんです。新人賞に応募するため『デフ・ヴォイス』を書いた13年前まで、私はろう者にもコーダにも出会ったことがなかったし、手話のことも何一つ知らなかった。すべて文献を調べて書いたんです。脚本の仕事を通じて培ったノウハウを用いて、知識をエンタメに変えたんです。賞をとるために私はコーダやろう者の文化を利用した。当事者性をふみにじり、文化を盗用したも同然なのではないかという葛藤がいまだにあります。

五十嵐:丸山さんの作品を読めば、当事者の存在を尊重しながらも、そこにある痛みを真摯に伝えようとしていることがわかります。だから、まったく気にする必要はないと思います。僕のまわりには同意見のコーダが多いですよ。

丸山:と、みなさんは言ってくださるんですけど、罪悪感は消えません。だからいつか、コーダ当事者の方がミステリーを書く日がきたら、私の役目はおわりだなと思っています。実をいうと五十嵐さんが小説家デビュー、しかも東京創元社のミステリーレーベルから出すと聞いたときは、いよいよそのときが来たと思ったんですよ。以前、私がゲストで出た「山形小説家・ライター講座」に参加していただいたときは、コーダが主人公の短編を書いていたじゃないですか。

五十嵐:書きましたね。

五十嵐大『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)

丸山:ああ、ついに出てきた、と思ったんです。ところが蓋をあけてみたら、デビュー作『エフィラは泳ぎ出せない』はコーダの小説ではなかった。もしかして私に遠慮なさったのかなと。だとしたらそんな必要はまったくありませんよと今日はお伝えしたくて。

五十嵐:そんなんじゃないんです。コーダを主人公にしてしまうと、あまりに僕自身と近似しすぎて、小説にならなくなってしまうんですよね。それに、エッセイを通じてコーダについてはいろいろと書いたから、わざわざ小説で書かなくてもいいかなという気持ちもあって。今後もコーダを主人公にする可能性は、99パーセントないと思います。

丸山:残りの1パーセントに期待したいですが……。『エフィラは泳ぎ出せない』はコーダの小説でこそなかったものの、障害のある兄をもつ弟の視点を描くという、かなり難しいテーマに挑戦されたと思いました。五十嵐さんの根底には、差別のなくならないこの世の中や差別をとりまく世間の反応に対する怒りが渦巻いているんだなあ、とも。主人公を自分とはちがう立場に据えることで客観性が生まれ、それでも失われない当事者性を発露するという、なかなかすさまじい小説だと思いましたよ。しかもそれをミステリーでやるなんて。

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